鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

自己肯定感の減り幅を数値化(2021年6月頃・44歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 自己否定感の増大→被害妄想発生→夜眠れない→鬱発症(2021年6月頃・44歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、1年前の自分(44歳)がブログを書き進めていき、高校時代の記憶を言語化した、という話でした。



☆ここから先の話は4種類の時系列があり、それぞれの時代の自分が出て来ます。



①今現在のブログを書いている自分(2022年8月・45歳)

②1年程前にブログを書いている自分(2021年6月頃・44歳)


③33年前の小学校6年生の自分(1988年・12歳)

④36年前の小学校3年生の自分(1985年・9歳)


なるべくこの4種類を分かりやすいように書いていきますが、ややこしくてすみません。




1年前の自分は「被害妄想」を切り口にして、4度目くらいの学生時代の言語化に挑みました。そして、その中で小学校時代の「家庭環境」と「自己肯定感」と「被害妄想」の因果関係を認識していったのでした。1年前の自分が認識したこれらの因果関係は以下の通りになります。



小学校3年生の時に家庭環境が戦争状態に突入。この頃から両親は新規事業に忙殺され、心身を激しく消耗していった。また、新規事業に伴い、父親方の親族問題が勃発。これにより、夫婦仲が戦争状態に突入。両親の中に子供の自分に視線を投げかける余裕は消えていった。


また、幼い自分の周りには親類縁者や先生など、自分に視線を向けてくれる大人も皆無だった。これにより自分という存在は、大人の目が全く届かないエアポケットに落ちてしまった。故に、幼い自分は自分という存在が立っている「地面」がいつ崩壊してもおかしくないような、そんな激しい不安に日々苛まれる事となった。



メンタルが急激に悪化し、喘息も急激に悪化。学校を半分くらい休む



自己肯定感が「0」から「マイナス」に突入



自己肯定感が自己否定感に変化



自分で自分という存在を軽んじるようになる。



小学校6年生の時に「A先生怒鳴られ事件」発生。自分の周りには信頼出来る人間関係が皆無だったので、事件のショックを誰にも喋る事が出来ない。



さらに自己否定感が増大


自分自身という存在をさらに軽視し、、否定するようになる。同時に他人も自分という存在を根拠なく否定するに違いない、という思考に陥る



被害妄想発症




このように1年前の自分はブログの中で小学校時代の記憶を紐解いていき、「被害妄想」に関する因果関係を認識していきました。



ここから先は前回の記事をそのまま引用したいと思います。1年前の自分が中学、高校時代の記憶をブログに書いていった、という話になります。


『前回記事からの引用』


1年前の自分はここからさらに学生時代の記憶を紐解いていきました。中学校、高校時代の記憶を「被害妄想」を切り口にして言語化していったのです。すると、中学、高校時代でも様々な精神的ショックを伴う事件が起こっており、それらにより「自分に対する自信(自己肯定感)」がさらに低下していった事が明らかになったのです。そして、同時並行で「被害妄想」も酷くなっていきました。



[中学、高校時代の事件の詳細は「「人生年表と鬱のフローチャート」をご覧下さい。]




もちろん、当時の自分はそれらを誰かに相談する事など全く出来ていません。信頼出来る人間関係など家庭内外を問わずずっと皆無でだったのです。この状況が「自分に対する自信(自己肯定感)」の低下の原因になっていた事は明らかでした。



そして、「自分に対する自信(自己肯定感)」が低下し続けていった結果、「被害妄想」はどんどん酷くなっていってしまいました。そして、「被害妄想」が原因で持病の喘息が激化、高校時代の自分は夜眠れなくなってしまったのです。これによって、自分は心身をどんどん衰弱させ、高校1年生の秋頃に「鬱」を発症したのでした。


[高校時代の8個の鬱の諸症状はこちら]


『引用終わり』



このように1年前の自分はブログを書き進めていき、「家庭環境」と「自己肯定感」と「被害妄想」の因果関係を高校時代まで認識していきました。当時の自分は、家庭環境と学校生活における挫折が原因でどんどん自己肯定感が下がっていきました。その結果「自己否定感」が増大していき、高校時代には「被害妄想」を発症してしまったのです。



1年前の自分はこれらを言語化する中でこう考えました。


『自分の人生はひたすら「自己肯定感」が下がっていく人生だった訳だが、これを数値化する事は出来ないだろうか??』



そこで生み出されたのが「メンタル数値」でした。これは1年前の自分がこのブログ内で生み出したオリジナル用語であり、「自己肯定感」を数値化したものです。これも今から考えるとなかなか良いアイデアだったと思います。



まず自分は3歳くらいの時に起きたとある事件を言語化し、その際のメンタル数値を「0」と設定しました。この事件は自分の記憶に残る最も古い事件であり、その後の鬱人生を暗示しているかのような事件でした。


[この事件の概要は こちら]


次に自分は小学校3年生の時に起きた「家庭環境の急激な悪化」を言語化しました。この事件により小学校3年生の自分は自己肯定感をかなり失い、メンタルがかなり悪化してしまいました。喘息が急激に悪化し、小学校の半分を休んだのもこの頃です。そして、自分はこの事件で受けたメンタルダメージを数値化し、「マイナス5」と設定しました。



この「5」という数字に意味はありません。とりあえずはメンタル数値が「0」から「マイナス」に突入した事に意味がありました。これはつまり自己肯定感が「マイナス」に突入したという事です。自己肯定感がマイナスにという事は、「自己肯定感→自己否定感」という変化が起きたという事です。




次に自分は小学校6年生の時に起きた「A先生怒鳴られ事件」を言語化しました。この事件においても自分はメンタルダメージを受け、自己肯定感を失っていました。これは逆に言いますと、自己否定感がさらに増大した事を意味しています。そこで自分は、先程の「小学校3年生の時の家庭環境の悪化」と「A先生怒鳴られ事件」を比較しました。比較したのは、それぞれの事件で受けたメンタルダメージです。



2つの事件を比較したところ、「A先生怒鳴られ事件」で発生したメンタルダメージは、「家庭環境の悪化」で発生したメンタルダメージ(マイナス5)と比べると、少し少ないように思えました。そこで、「A先生怒鳴られ事件」におけるメンタル数値の下げ幅を「マイナス3」と設定しました。ですから、「A先生怒鳴られ事件」「後」の自分のメンタル数値は「-5-3=-8」という事になりました。



そして、その後も自分は中学、高校時代の鬱事件を言語化していき、それぞれの事件におけるメンタルダメージを数値化していきました。重要なのは「小学校3年生の時の家庭環境の悪化」におけるメンタルダメージが「マイナス5」という事でした。この事件がその後の全ての事件の基準でした。この事件とその後の事件を比較し、メンタルダメージが同じくらいなら「マイナス5」、少し少ないなら「マイナス3」という風に、他の事件のメンタルダメージも数値化していったのです。



自分はその後も大学時代、2つ目の大学時代、「尿管結石事件」、引きこもり期、「引っ越し及び東○荘事件」、「花粉症発症→ぎっくり腰事件」をブログに書いていきました。そして、それぞれの事件におけるメンタル数値の減り幅を設定していったのです。そして、出来上がったのが、このブログのトップ記事「「人生年表と鬱のフローチャート」」という事になります。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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