皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 「妹の出すドア音」に対する病的な憎悪と被害妄想(2008年5月・32歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、32歳の自分が「トラウマ歩き」に熱中しており、この最中に母親や妹に対するストレスを考え、消化していた、という話でした。そして、当時の自分が抱えていた妹への「殺しても殺し足りない」(×2.25倍)程の憎悪、これの原因を考えてみました。
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「トラウマ歩き」とは、歩きながら過去のトラウマを思い出す事で、それを消化する試みを指しています。自分はこの行為を2008年7月頃から始めました。この時の年齢は32歳です。今から14年前の話になります。
「トラウマ歩き」を開始してからというもの、自分は週に3回のペースで外を歩く事になりました。1回の歩き時間は平均4時間。1回で歩く距離は平均10km。この行為を続けていた期間は少なくとも1年以上です。
ここからは今回の記事の前提となる「前フリ」部分となります。いつもこのブログをお読みの方はスルーして下さい。
『前フリ』
まずはこれまでの記事でまとめた「トラウマ歩き」の最中のポジティブな感覚とネガティヴな感覚を確認したいと思います。
そして、この①〜⑥のポジティブな感覚と❶〜❽のネガティヴな感覚、これらをトータルで差し引きしますと、「プラス」という感じです。ただこれは「トラウマ歩き1年目」の評価であり、2年目以降はまだ評価出来ません。またこれは今現在(2022年8月)の評価です。今後変わる可能性もあります。
次に、「トラウマ歩き1年目」において自分がよく歩いていたルートを確認したいと思います。そのルートは以下の4つになります。
・東京都心ルート
・鉄道沿線ルート(2種類)
・駄菓子屋ルート
ここまでの話をまとめますと、当時の自分は「トラウマ歩き」の最中に、①〜⑥のポジティブな感覚と❶〜❽のネガティヴな感覚、両方を同時に感じていた、という事になります。なんというか凄まじく自己矛盾した状態で上記の4つのルートを歩いていた、という感じです。
『前フリ終わり』
ここからは前回の記事をそのまま引用したいと思います。「トラウマ歩き」の頃の自分が感じていた「妹の出すドア音」に対する病的(12×2.25=27倍)な被害妄想と憎悪、これによって妹との間に激しい衝突が起こっていた、という話になります。
『前回記事からの引用』
このように当時の自分は2003年〜2007年に起きた家庭内の様々な事件によって、妹との「差」を感じていき、その「差」の積み重ねが、妹に対する「殺しても殺し足りない」(×2.25倍)程の憎悪に繋がっていった、という話になります。(妹の年齢は3歳年下です。)そして、自分は2008年4月にトラウマ歩きを開始するのですが、当時の自分も当然妹に対して「殺しても殺し足りない」(×2.25倍)程の憎悪を感じていた、という事になります。
ですから、当時の自分は「妹の出すドア音」に対して、病的(12×2.25=27倍)な被害妄想と憎悪を感じていたのです。当時の「妹の出すドア音」は、以前住んでいた家のドア音に比べると、大分音や振動が少ないモノでした。しかし、自分はその音や振動に対しても病的(×27倍)な被害妄想と憎悪を感じ、さらに眠れなくなっていったのです。
そこで自分は妹に対してドア音に対するクレームを繰り返し言い続けていた記憶です。しかし、それでも病的(×27倍)な被害妄想と憎悪は全く収まりません。そして、確かあれは2008年のゴールデンウィークの時期です。自分と妹はかなり激しい口論をした記憶です。激昂した自分は口論の途中で周りにある物を蹴ったり、殴ったりした記憶があります。
何故2008年のゴールデンウィークだったのかという話ですが、この時に父親がゴールデンウィークを利用して、とある場所に旅行に出かけたのです。そして、父親が居なくなった事で、家の中のパワーバランスがなんかおかしくなり、自分と妹が激しく衝突した、という流れだったと思います。ただ、この事件はもしかしたら2009年のゴールデンウィークだったかもしれません。
このように「トラウマ歩き」の頃の自分は、「妹の出すドア音」に対して病的(×27倍)な被害妄想と憎悪を感じており、その事で妹と激しく衝突する事もあったのでした。
『引用終わり』
☆ご注意:今回の記事の中には4つの時系列があり、それぞれの時代の自分が出て来ます。3つの時系列は以下の通りです。
①今から18年前の、部屋に引きこもり、記憶のサルベージ(言語化)をしている自分(2004年10月〜2005年10月・28歳〜29歳)
②今から10年以上前の「トラウマ歩き」をしている自分(2008年4月〜・32歳)
③今現在のブログを書いている自分(2022年8月・45歳)
この3つがなるべく分かりやすいように書いていきますが、ややこしくてすみません。
このように「トラウマ歩き」の頃の自分は、「妹の出すドア音」に対して病的(12×2.25=27倍)な被害妄想と憎悪を感じており、これを巡って妹と激しくぶつかる事もあった、という話でした。
また、「妹の出すドア音」で言いますと、当時の自分は深夜2時以降にそれが隣の妹の部屋から聞こえてくると、致命的にブチ切れまくっていた記憶です。また、ドア音だけでなく、生活音や気配にもブチ切れまくっていましたね。そう、その音量が例え微細な音だとしても、自分は致命的にブチ切れまくっていまきた。
何故深夜2時以降だったのかと言いますと、当時の自分の中に「深夜2時以降は他の家族3人が寝静まり、自分一人の自由な時間だ。」という強い思いがあったからです。この思いは3年前の記憶のサルベージの頃からありました。
ここからは記憶のサルベージの時代を振り返り、当時の自分がどうしてそのような思いに至ったのか、探っていきます。そう、これは自分が部屋に引きこもって記憶のサルベージをしていた時代(2004〜2005・28歳〜29歳)の話です。この時代の自分は部屋に引きこもり、ひたすら過去のトラウマをノートに詳細に書き続ける行為をしていました。一方妹の方はといえば、大学受験の為に予備校に通っていました。(自分と妹との年齢差は3歳です。)妹は深夜2時頃には寝付いており、そうなると妹の部屋は静かになっていました。自分は妹の部屋の隣の部屋に住んでいましたから、妹が寝静まった気配を感じるとかなり安堵していた記憶です。それはこういう気持ちです。
「両親も妹も寝静まり、これでようやく一人ゆっくり過ごせる。」
何故当時の自分がこのような心理状態になっていたのかと言いますと、それは当時の自分が家庭内において完全孤立状態に陥っていたからです。当時の自分は家族3人それぞれに対して殺したい程の憎悪を感じていました。当然家族とのコミュニケーションなどあり得ません。
ここからは家庭内における完全孤立状態がどのように自己否定感に繋がっていったのか、過去記事から引用したいと思います。
『過去記事からの引用』
この「家庭内における完全孤立状態」、この状態もまた妹との致命的な「差」を感じさせるものでした。そう、妹の方は両親と普通にコミュニケーションを取っていましたが、自分の方はといえば、家族関係から完全脱落してしまいました。そして、当時の自分は社会的にも人間関係から完全脱落し、引きこもり状態に陥ったのです。この状態もまた自分の中の「自己否定感」をさらに増大させる原因になっていた記憶です。
そう、当時の自分としては自分が感じている家族3人それぞれに対する凄まじい憎悪は、「正統なモノである」という信念がありました。だって「殺したい」程の憎しみですから、それが間違いであるはずがありません。しかし、その憎悪によって家庭内において自分は1vs3の完全孤立状態に陥ったのです。当時の自分の中にはこのような思いがありました。
「果たして正しいのは、俺か、あいつら3人か?!」
そう、当時の自分としてはもちろん自分自身を信じたい気持ちがありました。しかし家の中においては1vs3で、完全に不利な状態なのす。多数決なら負けています。
この完全孤立状態は当時の自分の凄まじい憎悪が作り出したものであり、そこに当時の自分は信念めいたものを感じていました。しかし、一方でその信念に従った結果訪れた「家庭内における完全孤立状態」、これに対して当時の自分はかなりの不安を感じていた記憶です。そりゃそうです、当時の自分は社会からも家庭からも孤立無援状態に陥っていたのですから。
当時の自分が陥っていた「社会的にも家庭内でも完全孤立状態」、この状態が妹に対する激しい嫉妬、そして激しい憎悪に繋がっていった事は間違いないと思います。
『引用終わり』
そう、上記の引用に出てきます、
「果たして正しいのは、俺か、あいつら3人か?!」
という気持ち。この気持ちは当時の自分にかなりの不安感を生じさせていました。今回の記事もこの気持ちを改めて考えていきます。
引きこもっていた頃の自分にとって、家族3人に対して感じている「殺したい」程の憎しみは、絶対的に正しいものでした。そりゃそうです。ここに至るまでに自分の精神は彼らによって1回殺されたのと同様の精神的ダメージを受けたのですから。
しかし、当時の自分はこの憎悪によって家族から完全孤立状態に陥ったのです。そして、この状態は当時の自分にとって本当に理不尽なものでした。自分としては絶対に正当な憎悪を感じているのにも関わらず、家庭内においては1vs3の孤立無援状態なのですから。これは家庭内における圧倒的なマイノリティ状態です。
さらに当時の自分は社会からも完全孤立していました。故に自分が頼れる人間は家庭内外にただ一人もいません。これにより、当時の自分の精神状態は圧倒的に不安定になりました。あの不安定さは気が狂いそうになりましたね。特に家庭内における圧倒的なマイノリティ状態は本当に発狂ものでした。
ですから、当時の自分は深夜2時頃に妹が寝静まると本当に安堵していたのです。両親と妹が寝てしまえば、家庭内における圧倒的なマイノリティ感覚は少し薄らぎ、自分の精神は束の間の休息を得られました。
このように自分は引きこもりの頃から、妹が深夜2時に寝る事に病的(×6倍)に過敏になっていました。深夜2時を過ぎると妹が寝ているのか気になり過ぎて、部屋の壁に耳を付けて、隣の気配を探っていましたからね。確かに病的(×6倍)です。
今日はここで失礼します。お読み頂きありがとうございました!
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