鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

自分の鬱はどのように回復して行ったのか(2023年1月・46歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 ブログを書くモチベーションが落ちて来ている話(2023年1月・46歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分がトラウマ歩きを終え、「部屋の中でのトラウマの思い出し」を始めた、という話でした。


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「トラウマ歩き」とは、歩きながら過去のトラウマを思い出す事で、それを消化する試みを指しています。自分はこの行為を2008年7月頃から始めました。この時の年齢は32歳です。今から14年前の話になります。



トラウマ歩きを開始してからというもの、自分は週に3回のペースで外を歩く事になりました。1回の歩き時間は平均4時間。1回で歩く距離は平均10km。この行為を続けていた期間は少なくとも1年以上です。



ではまずは、これまでの記事でまとめた「トラウマ歩き」の最中のポジティブな感覚とネガティヴな感覚を確認したいと思います。



「トラウマ歩きの最中に発生していたポジティブな感情①〜⑥」


「トラウマ歩きの最中のネガティヴな感情❶〜❽」




ここまでの話をまとめますと、自分は「トラウマ歩き」の最中に、①〜⑥のポジティブな感覚と❶〜❽のネガティヴな感覚、両方を同時に感じていた、という事になります。なんというか凄まじく自己矛盾した状態で歩いていた、という感じです。



そして、この①〜⑥のポジティブな感覚と❶〜❽のネガティヴな感覚、これらをトータルで差し引きしますと、「プラス」という感じです。ただこれは「トラウマ歩き1年目」の評価であり、2年目以降はまだ評価出来ません。またこれは今現在(2022年8月)の評価です。今後変わる可能性もあります。




次に、「トラウマ歩き2年目」において自分がよく歩いていたルートは以下の5つになります。



「トラウマ歩き2年目で歩いたコース」


・東京都心ルート(利用頻度は月1回ペース)

・鉄道沿線ルート(地元の最寄駅が起点)

・鉄道沿線ルート(以前働いていた古本屋が起点)

・駄菓子屋ルート

・引っ越し前に住んでいた家を中心とする住宅地ルート(1周1時間を平均4周)




ここまでの話をまとめますと、当時の自分は「トラウマ歩き」の最中に、①〜⑥のポジティブな感覚と❶〜❽のネガティヴな感覚、両方を同時に感じていた、という事になります。なんというか凄まじく自己矛盾した状態で上記の5つのルートを歩いていた、という感じです。



最近の記事でまとめた「深夜2時近辺の戦い」のフローチャートはこちらになります。



上記のリンクの経緯で「トラウマ歩き」の頃の自分は、妹に対して病的(×27 倍)な憎悪を感じていた、という話になります。そして、その憎悪をトラウマ歩きの中で思い出し、消化する事もありました。



また、トラウマ歩き2年目の自分は、日々の生活の中での致命的な精神的苦痛の連続によって、「自分で自分の身体を全くコントロールし切れない状態」に陥っていました。この状態は以下の通りになります。




ここからは前回の記事をそのまま全て引用したいと思います。2011年6月頃、自分が「部屋の中でのトラウマの思い出し」を始めた、という話でした。そして、2012年3月頃、父親の人生を聞き始めたのでした。自分は父親の大学時代の話を聞き、驚愕したのでした。



『前回記事からの引用』



このように自分は2012年の2月頃から父親の人生を聞き始め、5月頃にそれは終わったのでした。


自分がこのブログを書き始めて3年半経つのですが、最近新しい記事を書くモチベーションが下がっている感じです(2023年1月現在)。この3年半、1日に2記事は必ず書いていたのですが、ここ1週間はほとんど記事を書けていません。なんというか、「ブログはとりあえず一段落」、という感覚になっています。



その理由を考えてみますと、最近の記事の中で、自分は両親と妹が精神的に最も辛かったであろう時期を自分なりに言語化しました。さらに、それ以前には自分自身が精神的に最も辛かった時期(トラウマ歩きの3年間)についても全て言語化しました。



このように自分は自分と家族が精神的に最も辛かった時期を言語化する事が出来ました。これによって自分の中に達成感が発生した感じがあります。そう、これまではそれらの時期の話は、全く言語化されておらず、自分の頭の中で「超カオス状態」に陥っていました。しかし、それぞれを言語化して整理整頓した事で、「超カオス状態」はすっかり解消された感があります。これにより自分の中に達成感が発生したようです。


今から3年半前、自分がこのブログを書き始めた頃は、それらの時期の話は全く言語化されず「超カオス状態」に陥っていました。そして、3年半前の自分はそれらを言語化し、整理整頓する事を目的としてこのブログを書き始めました。



あれから3年半が経ち、気付けばそれらの話は全て言語化され、すっきりと整理整頓されています。これによって、自分はこのブログを書き始めた当初の目的をけっこう達成した感じがします。そう、自分の人生の中で最も「超カオス状態」な時期を言語化し、整理整頓する事に成功したのです。



自分の人生の中で最も「超カオス状態」な時期とは、トラウマ歩きの3年間を指しています。そして、そこで陥った「自分で自分の身体を全くコントロールし切れない状態」、この状態こそが自分の人生で最も辛かった状態です。この状態をこのように言語化出来た事は、このブログを書いた事で得られた大きな収穫の一つです。



さらには、自分は自分なりに家族それぞれの最も精神的に辛かった時の状態も言語化する事が出来ました。両親については以下の通りです。


「父が開業15年目で胃に穴が空き、入院した際、それまでに蓄積していた心理的ダメージ①〜10」


「開業から11年後、父親(当時50歳)が整体師に心酔していく事件が発生。この時に母親が父親に対して感じていた莫大な不信感と怒り❶〜❺(短縮ver)」




また、妹に関しても、妹の人生を書いているうちに妹の人生の辛さに感情移入し、泣いてしまう事がありました。( 妹の人生を書いていたら泣いていた(2021年11月・46歳) )これは10年前の自分が妹に対して「殺しても殺し足りない」(×3.375倍)程の憎悪を感じていた事を考えると、別人のような変化だったと思います。


このように自分は、自分を含めた家族それぞれの最も辛かった時期を言語化し、整理整頓する事が出来ました。これは本当に大きな収穫だったと思います。これにより自分の心の中に達成感が発生し、ブログを書くモチベーションが落ちてきている感じです。


『引用終わり』


このように今現在(2023年1月)の自分は、ブログを書くモチベーションが落ちている感じです。それはたぶん自分がこのブログで達成感を得たからだと思います。自分はこの3年半このブログを書き続け、自分を含めた家族4人の最も辛かった時期の精神状態を言語化する事に成功しました。これによって自分の中に達成感が発生し、このブログを書くモチベーションが落ちている感じです。



ただ改めてこのブログを書き始めた当初の目的を考えてみますと、まだ全ての目的は達成していないように思います。そう、確かに最も精神的に辛かった時期の言語化には成功しました。しかし、自分がどのようにしてそこから回復していったのか、その過程についてはまだまとめ切れてはいない印象なのです。



このブログのタイトルの下の説明にはこう書いてあります。


「15年間鬱と闘病した45歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。」



この中の「何故社会に適応できなかったのか」については、このブログで解析し終わった感があります。しかし、「どのようにして鬱から回復していったのか」については、まだ考える余地がありそうです。



という訳で、次回からは「自分がどのようにして鬱から回復していったのか」について考えてみたいと思います。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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