鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

鬱の回復要因②親への憎悪が完全消滅した(2023年1月・46歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 鬱の回復要因①トラウマ歩きが終わった(2023年1月・46歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分の鬱が回復した要因について考えてみました。では前回の記事をそのまま引用したいと思います。



『前回記事からの引用』


このように現在の自分(2023年2月・46歳)の体調と、トラウマ歩き時代(2008年4月〜2011年4月・32歳〜35歳)の自分の体調を比べると、圧倒的に現在の方が良い印象です。



改めてトラウマ歩き時代の体調を振り返ってみます。当時の自分の心身は「自分で自分の身体を全くコントロールし切れない状態」に陥っており、過去最悪とも言える体調でした。当時の自分は常に致命的な疲労感と睡眠不足と被害妄想にのたうち回っており、生きていく上で絶対的に必要な行為をすると、致命的な苦痛が発生してしまう状態にありました。



生きて行く上で絶対的な必要な行為とは「食べる事」「眠る事」「排泄する事」です。当時の自分はこれら全てで致命的な精神的苦痛を感じなければならなかったのです。これはただ生きているだけでも拷問のような状態でした。



そして、トラウマ歩き終了から12年が経った現在、自分の体調はトラウマ歩き時代に比べると70〜80%改善している印象です。



自分はこのブログのトップ記事「「人生年表と鬱のフローチャート」の中で「メンタル数値」という数値を設定し、自分の鬱の悪化具合を数値化しています。そして、このメンタル数値が最も悪化していた時がトラウマ歩き時代となります。その時のメンタル数値は「マイナス742.5」です。



そして、現在の自分はトラウマ歩き時代の自分と比べ、鬱が80%くらい回復している印象です。これはつまり、-742.5×0.2=-148.5まで自分の鬱が回復している事を表しています。



そして、鬱回復の要因として考えられますのが、前回の記事に書きました通り、2011年にトラウマ歩きが終わった事、です。



何せ当時の自分はトラウマ歩きの最中に以下の9つの致命的な苦痛にのたうち回っていました。


「トラウマ歩き」の最中のネガティヴな感情❶〜❾


当時の自分は週に3回、1回平均4時間トラウマ歩きを行い、その時間ずっと上記❶〜❾の苦痛にのたうち回っていたのです。そして、トラウマ歩きが終了したという事はこの❶〜❾の苦痛を感じなくても良いという事でありました。これは当時の自分にとって劇的にポジティブな出来事だったと思います。あの拷問のようなトラウマ歩きから解放されたのですから。


このように自分の鬱がここ12年で回復した要因として、まずは「2011年にトラウマ歩きが終わった事」が挙げられると思います。


『引用終わり』


このように自分の鬱はここ12年でマイナス742.5からマイナス148.5まで回復しています。その要因としてまずは「トラウマ歩きの終了」が挙げられると思います。



次に思い付く要因としましては、「親への憎悪が消滅した事」です。これも大きかったですねぇ。もしかしたら、これが一番大きな要因だったかもしれません。



そう、現在の自分の心の中では親への憎悪が完全消滅しています。しかし、鬱が最も酷かった時期2006年〜2011年)には、両親に対して「殺しても殺し足りない」(2.25倍)程の憎悪を感じていたのです。自分は両親に対して病的に激しい憎悪を感じており、家に灯油を撒いて家もろとも燃やしてやろうかと考える事もしばしばでした。



もちろんこのような精神状態で両親とのコミュニケーションが計れるはずもありません。それどころか自分は家の中で両親とすれ違うだけでも発狂しそうだったのです。ですから、部屋の外に出る時は極力両親とすれ違わないよう、両親の気配を感じながら生活していたのです。これは2007年頃の精神状態です。



そして2007年の秋頃、自分はその憎悪を減少させる第一歩を踏み出す事となりました。その第一歩とは「母親とのコミュニケーション」です。自分はそれまでの5年間母親と全くコミュニケーションをとっていませんでした。何故なら当時の自分は母親に対して「殺しても殺し足りない」(×2.25倍)程の憎悪を感じていたのですから。家の中ですれ違うだけでも発狂しそうだったのです。本来ならそんな母親とのコミュニケーションなど絶対的にあり得ません。



そんな自分の精神状態は2007年の秋頃、いよいよ追い詰められつつありました。当時の自分は音に対する病的な被害妄想にものたうち回っており、いよいよ幻聴まで聞こえつつある状態だったのです。その精神的苦痛は致命的に耐え難く、自分は大学時代以来の自殺願望をいよいよ現実化させる所まで追い詰められていました。



そこで自分は自分に自問自答しました。「首を吊る前にやり残した事はないのか??」、と。すると、出て来たのが先程の絶対にあり得ない選択肢「母親とのコミュニケーション」だったのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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