鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

「母親とコミュニケーションを取るか」「首を吊るか」の二択(2023年1月・46歳)(2023年1月・46歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「鬱の回復要因②親への憎悪が完全消滅した(2023年1月・46歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分の鬱が回復した要因について考えてみました。では前回の記事をそのまま引用したいと思います。




『前回記事からの引用』



このように自分の鬱はここ12年でマイナス742.5からマイナス148.5まで回復しています。その要因としてまずは「トラウマ歩きの終了」が挙げられると思います。



次に思い付く要因としましては、「親への憎悪が消滅した事」です。これも大きかったですねぇ。もしかしたら、これが一番大きな要因だったかもしれません。



そう、現在の自分の心の中では親への憎悪が完全消滅しています。しかし、鬱が最も酷かった時期2006年〜2011年)には、両親に対して「殺しても殺し足りない」(2.25倍)程の憎悪を感じていたのです。自分は両親に対して病的に激しい憎悪を感じており、家に灯油を撒いて家もろとも燃やしてやろうかと考える事もしばしばでした。



もちろんこのような精神状態で両親とのコミュニケーションが計れるはずもありません。それどころか自分は家の中で両親とすれ違うだけでも発狂しそうだったのです。ですから、部屋の外に出る時は極力両親とすれ違わないよう、両親の気配を感じながら生活していたのです。これは2007年頃の精神状態です。



そして2007年の秋頃、自分はその憎悪を減少させる第一歩を踏み出す事となりました。その第一歩とは「母親とのコミュニケーション」です。自分はそれまでの5年間母親と全くコミュニケーションをとっていませんでした。何故なら当時の自分は母親に対して「殺しても殺し足りない」(×2.25倍)程の憎悪を感じていたのですから。家の中ですれ違うだけでも発狂しそうだったのです。本来ならそんな母親とのコミュニケーションなど絶対的にあり得ません。



そんな自分の精神状態は2007年の秋頃、いよいよ追い詰められつつありました。当時の自分は音に対する病的な被害妄想にものたうち回っており、いよいよ幻聴まで聞こえつつある状態だったのです。その精神的苦痛は致命的に耐え難く、自分は大学時代以来の自殺願望をいよいよ現実化させる所まで追い詰められていました。



そこで自分は自分に自問自答しました。「首を吊る前にやり残した事はないのか??」、と。すると、出て来たのが先程の絶対にあり得ない選択肢「母親とのコミュニケーション」だったのでした。


『引用終わり』


このように2007年秋に自分の精神は過去最悪な所まで追い詰められたのでした(当時の年齢31歳)。自分の行動の選択肢は2つに絞られていました。それは「首を吊るか」「母親とコミュニケーションを取るか」の2択です。



ではどうして自分の心の中に「母親とコミュニケーションを取る」という選択肢が出てきたのでしょう。それは自分の心の中に「どうして自分の人生がこんなにも惨めで孤独に塗れたものになってしまったのか、その原因はこの家庭環境に全てある!その原因とこれまでの経緯を洗いざらい母親にぶつけたい!!」という気持ちがあったからです。




当時の自分は母親に対して「殺しても殺し足りない」(×2.25倍)程の憎悪を抱いていました。これは当然コミュニケーションなど絶対的に不可能な状態です。しかし、一方で自分の心の中には上記の願望も激しく渦巻いていました。自分の人生が徹底的に破壊尽くされた原因が100%家庭環境にあると確信していたのです。(それは今も変わりません。)それならばその話を母親にぶつけたくなるのは筋というものです。



しかし、先程も書きました通り、一方で当時の自分は両親に対して「殺しても殺し足りない」(×2.25倍)程の憎悪を感じており、コミュニケーションなど絶対的に不可能な精神状態だったのです。ですから、当時の自分は「首を吊る」か「母親と喋るか」の2択に追い詰められ、その自己矛盾で心が真っ二つに引き裂かれていたのでした。



自分は上記の心の動きを逐一ノートに書いていき、最終的にこう決断したのでした。「どうせ自殺するなら母親とコミュニケーションを取ってみて、その精神的苦痛に耐えられないようなら首を吊ればいいじゃん」、と。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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