鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

2008年以降、自分はどのようにして鬱を回復していったのか(2023年1月・46歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 「世代間の心の闇(発達障害)の連鎖」が見えてくる過程が滅茶苦茶面白かった②(2023年1月・46歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事も36歳の自分が父親の人生を詳細に聞いていき、その闇深さに驚愕した、という話でした。ではまずは前回の記事をそのまま引用したいと思います。



『前回記事からの引用』



このように自分は父親の人生を詳細に聞いていく中で、「世代間の心の闇の連鎖」を認識していき、それに激しい知的興奮を覚えたのでした。そして、「世代間の心の闇の連鎖」を確信する頃には父親に対して、「こんなに壮大で面白い謎解きを用意してくれてありがとう」という気持ちも芽生えていたのでした。



このように自分は両親それぞれの人生を詳細に聞いていく中で、それぞれの人生を知っていきました。そして、自分はその中で「父方の祖父→父&父の兄弟→自分」と、莫大な心の闇(発達障害)が世代を超えて連鎖していった事を知りました。その結果、「長期的視点で見ると、自分の人生が滅茶苦茶にぶっ壊されてしまった責任は、両親には無い」という結論に至ったのです。この過程で、自分が両親に対して感じていた「殺しても殺し足りない」程の憎悪は減少していきました。



また、自分は「世代間の心の闇の連鎖」を確信していく中で、何度も激しい知的興奮を覚えました。そう、祖父の病的に歪んだ性格が幼い父とその兄弟達の人格を壊し、さらには孫である自分の人格も壊していったのです。この「世代を超えた壮大でドラマチックな闇の物語」、これが少しずつ見えてくるたびに自分の脳内は知的興奮で溢れました。この激しい知的興奮も、父親に対する憎悪を減少させる効果があったと思います。この構図を言語化するとこんな感じです。「こんなに壮大で面白い謎解きを用意してくれてありがとう」。



このように自分は2008年頃から両親の人生を詳細に聞き始め、その中で両親に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪は減少していったのです。そして、両親に対する憎悪が減少していけばいく程、自分の鬱は回復していった印象です。



『引用終わり』


このように自分は2008年から両親の人生を詳細に聞いていきました。そして、その中で両親に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪は減少していき、それによって鬱が回復していった印象です。ではここで、どうして自分が両親の人生を聞いていく事で憎悪が減少していったのか、前回の記事を参照にまとめてみたいと思います。


「どうして自分が両親の人生を聞いていく事で、両親への憎悪が減少していったのか。」



⑴自分は両親それぞれの人生を詳細に聞いていく中で、それぞれの人生を知っていった。すると、莫大な心の闇(発達障害)が「父方の祖父→父&父の兄弟→自分」と、世代を超えて連鎖していった事を知った。その結果、最終的には「長期的視点で見ると、自分の人生が滅茶苦茶にぶっ壊された責任は、両親には無い」という結論に至ったのだった。この過程で、自分が両親に対して感じていた「殺しても殺し足りない」程の憎悪は減少していった。



⑵自分は上記の「世代間の心の闇の連鎖」を確信していく中で、何度も激しい知的興奮を覚えた。その連鎖とは、祖父の病的に歪んだ性格が父親の人格を壊し、さらにはその父親の人格が自分の人格も壊していった、そんな連鎖。この「世代を超えた壮大でドラマチックな闇の物語」、これが少しずつ見えてくるたびに自分の脳内には知的興奮が溢れた。この激しい知的興奮も、父親に対する憎悪を減少させる効果があった。この構図を言語化すると「こんなに壮大で面白い謎解きを用意してくれてありがとう」。



いいですね。このように自分は両親の人生を詳細に聞いていく中で、両親への「殺しても殺し足りない」程の憎悪を減少させていったのです。そして、両親への憎悪が減少するという事は、自分の鬱が回復していく、という事でありました。何故なら『両親に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪』が、自分の鬱の大きな要因になっていたからです。



また、以前の記事にも書きましたが、自分は2011年5月にトラウマ歩きを終える事になりました。この出来事もまた鬱の回復の大きな要因になったと思います。何せ当時の自分はトラウマ歩きの最中に莫大な心身の苦痛を感じていました。( 「トラウマ歩き」の最中のネガティヴな感情❶〜❾ )ですから、これが終わるという事は、莫大な心身の苦痛から解放されるという事でもあり、これは鬱の回復の大きな要因になっていたと思います。



ではここまでを踏まえてさらにまとめたいと思います。まとめのタイトルは「2008年以降、自分はどのようにして鬱を回復していったのか」、です。


「2008年以降、自分はどのようにして鬱を回復していったのか」


①自分は2008年以降、両親の人生を詳細に聞いていった。そして、その中で両親に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪は、減少していった。これによって家庭内における致命的な孤立感は薄れていき、鬱は回復していった。(どうして両親の人生を聞いていく事で両親への憎悪が減少していったのか、その理由は上記の⑴⑵)


②自分は2011年5月に3年間に及ぶトラウマ歩きを終える事となった。当時の自分はトラウマ歩きの中で莫大な心身の苦痛を感じていた。( 「トラウマ歩き」の最中のネガティヴな感情❶〜❾ )故にこれが終わるという事は莫大な心身の苦痛から解放されるという事であり、これは鬱の回復の大きな要因となった。



いいですね!よくまとまりました。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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