鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

最後のトラウマを言語化し終えた(2023年4月・46歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 女性と街を一緒に歩く事に対して、絶望的に自信がない⑤(2013年〜2015年・37歳〜39歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、38歳頃の自分が元バイト仲間のTさんと吉本の劇場に行った、という話でした。では、まずは前回の記事をそのまま引用したいと思います。



『前回記事からの引用』



このように、38歳の自分はTさんと吉本の公演を見に行った後、絶望に打ちひしがれたのでした。


そもそも、自分はTさんと10年ぶりに会うにあたって、このような気持ちで声をかけたのでした。


「今の自分は、記憶のサルベージや家族とのコミュニケーションを経て、学生時代よりは全然喋れるようになっている。これならば女の子とも喋れるはずだ!!」


この期待通り、自分はTさんと1回目、2回目は居酒屋で楽しくお喋りが出来ました。しかし、3回目の今回、見事に期待と自信は打ち砕かれ、自分はまたも地獄の底の底に打ち付けられたのでした。この日、自分はこれ以上なく絶望的な気分で家に帰ってきた記憶です。まさか、自分の心身が高校時代の発達障害状態に戻ってしまうとは。



だとしたら、これまでの10年間は一体なんだったのでしょう。必死に自分の過去と戦い続けた「記憶のサルベージ」、「トラウマ歩き」とは、何だったのでしょう。



自分はこれまでの10年間が全否定されたかのような気持ちになりました。そして、金輪際女の子と交流するのはやめようと思ってのでした。



『引用終わり』



これがこの事件の顛末という事になります。この事件が起きたのが、2012年〜2015年(36歳〜39歳)のどこかという感じです。



そして、自分の予想では、この事件はたぶん自分の人生で最後のトラウマです。自分のこれまでの人生では数限りないトラウマ事件が発生しましたが、この事件以降、強い精神的ショックを伴う事件は起こっていません。



という訳で、とうとう自分はこのブログにおいて、全てのトラウマを書き終える事が出来たようです。46年間の人生で起きた全てのトラウマを書き終える事が出来ました。自分がこのブログを書き始めて、4年弱が経ちましたが、ようやく全てのトラウマの言語化が終わったな、という感じです。



今回書いた「Tさん事件」ですが、他のトラウマ同様、書いている最中にはかなりの精神的辛さが発生していました。トラウマの言語化とは、当時味わった絶望感をそのまま再体験する行為に他ならないからです。それは心のかさぶたを容赦なく無理矢理剥がし、その傷口を塩水に晒すような行為です。




しかし、その精神的苦痛に耐えてトラウマの一部始終を言語化し、トラウマに関する情報を整理整頓し終われば、気分は一気にスッキリ爽快です。それはこのブログで幾度となく繰り返されてきたトラウマ克服のパターン。




Twitterにも書きましたが今の気持ちはこんな感じでもあります。



ブログを書く前の自分→自分がこれまで経験してきた阿鼻叫喚のトラウマ人生は、世界に類を見ない超特殊な経験だ!😤

全てのトラウマを言語化した後の自分→「家庭環境が原因で発達障害→鬱→引きこもり」というよくある人生だった😂




という訳で、最後のトラウマを言語化し終えた、という話でした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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