鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

父親の人生の闇深さに何度驚嘆したか分からない(2023年1月・46歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 うちの父にとってうちの母親は救いの女神だった(2023年1月・46歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が父親の人生を詳細に聞いていった、という話でした。ではまずは前回の記事をそのまま引用したいと思います。



『前回記事からの引用』


このように父は大学を休学し始め、気付けばその期間は6年間に及んでいたのでした。その後、父はうちの母親と出会い、そのサポートを得て、なんとか大学に復学しました。そして、そこから3年間大学に通い、なんとか医師の国家試験に合格したのです。



仮にもしこの時に父親が母親に出会っていなければ、大学復学は絶対的に不可能だった事でしょう。母親のサポート無しに復学出来たとは到底思えません。6年間休学していた上に、やっていた事が神秘世界への現実逃避ですから。



そして、もし父が大学に復学出来ていなければ、父は大学を中退し、その後の人生は滅茶苦茶になっていた事でしょう。かなりの高確率で四男と共に引きこもりになっていたと思います。



その意味でうちの父にとってうちの母親は救いの女神だったと言えます。



『引用終わり』


このように父の大学休学期間は6年にも及びました。しかし、母と出会えた事で父はなんとか大学に復学し、そこから3年間大学に通い続けました。そして、30歳で医師免許を取る事に成功したのです。その後父は医師として働き始め、32歳の時に自分が産まれ、35歳の時に妹が産まれました。そして、40歳の時に自宅で医院開業する事になったのです。



開業後の我が家の血みどろの戦争状態については、これまでの記事に書いていますので割愛します。興味のある方は今年1月19日以降の記事をご覧下さい。



このように自分は2007年に母親の人生を聞いていき、その5年後に父親の人生を詳細に聞いていく事になりました。当時の自分は、そこで語られた父親の人生の闇深さに何度驚いたか分かりません。父親の育った家庭環境、父親の学生時代、父親の大学休学時代、父親の医者時代、全てが深い闇に覆われていました。加えて、祖父の人生及び父親の3人の兄弟の人生も深い闇に覆われていたのです。自分のそれまでの人生もこれ以上なく闇深いものでしたが、父親の人生及びその家族の人生も、それに匹敵するくらい闇深いモノでした。



父の人生を詳細に聞き、自分はこう確信しました。


「自分のこれまでの人生は家庭内外に全く居場所を作れず、心身が孤独によってただただ壊れていくだけの人生だった。その原因の90%以上は、父親及び父親が育った家庭環境にある!!」


と。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
↑クリックして頂くとランキングアップ&アクセス数アップします。ご協力よろしくお願いします。












PVアクセスランキング にほんブログ村