鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

人生年表&鬱悪化のフローチャート

「人生年表」

1976・0歳 誕生
1977・1歳
1978・2歳
1979・3歳 妹誕生・この頃に喘息発症
1980・4歳
1981・5歳 幼稚園入園
1982・6歳
1983・7歳 小学校入学
1984・8歳
1985・9歳 父親が開業。ここから16年間に渡って家庭内が戦争状態。喘息が急激に悪化。
1986・10歳
1987・11歳
1988・12歳 A先生怒鳴られ事件
1989・13歳 中学校入学
1990・14歳
1991・15歳
1992・16歳 高校入学・暴言事件により鬱発症
1993・17歳 寄せ書き事件
1994・18歳
1995・19歳 大学入学・空手部入部でさらに鬱は悪化
1996・20歳
1997・21歳 4月から大学内でカウンセリング開始
1998・22歳 空手部引退・鬱は高校時代の3倍に悪化
1999・23歳 1つ目の大学中退・2つ目の大学入学
2000・24歳 大学休学
2001・25歳 大学復帰するもまたもドロップアウト
2002・26歳 古本屋でバイト
2003・27歳 10月に尿管結石発症・鬱は高校時代の6倍に悪化
2004・28歳 4月に2つ目の大学中退・9月に部屋に引きこもり記憶のサルベージ(言語化)本格開始
2005・29歳 9月に記憶のサルベージ終了・カウンセリング&パチンコ生活開始
2006・30歳 3月 東○荘事件
6月 引っ越し 鬱は高校時代の18倍に悪化
2007・31歳 3月 花粉症発症→ぎっくり腰事件・鬱は高校時代の36倍に悪化
10月 母親と喋り始める



「鬱悪化のフローチャート(3歳〜28歳)」



このフローチャートは自分が幼い頃よりどのように「自分に対する自信」を失っていったのかを示しています。各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。この数値を「メンタル数値」と呼んでいます。この数値が下がれば下がる程、自分が「自分に対する自信」を失った事を示します。同時に「被害妄想の悪化」「睡眠の悪化」「体調の悪化」「両親への憎しみの悪化」も意味しています。(ただし親への憎しみを自覚し始めたのは、大学3年生でカウンセリングを受け始めて以降)



3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を表現するのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス0→5)
(詳細はこちら)


小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5→5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス5→8) 被害妄想発症
(事件の概要はこちら・被害妄想についてはこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス8→10)
(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10→10)
(概要はこちら)

中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10→10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス10→11)
(概要はこちら)

高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス11→16)
(概要はこちら)



高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス16→21)
(概要はこちら)

高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス21→22) 鬱を完全発症
(事件の概要はこちら・8個の鬱の諸症状はこちら)



高校時代の自分は自分が鬱を発症している事には全く気付いていなかった。しかし、自分が酷く虚しい高校生活を送っている事には気付いていた。そこで来るべき大学生活では高校生活の二の舞を舞いたくないと決意。そして、自分に自信を付けてコミュニケーション能力を改善させる為には、体育会系の部活しかないと考えた。自分は喘息児でスポーツは大嫌いだったのだが、それにあえて取り組む事で、自分が変わるのではないか、と。「荒療治」的な発想。(マイナス22→22) (詳しい話はこちら)



大学入学後空手部に入部。そして、そこでの稽古の厳しさを乗り越えようと必死に自主練を繰り返すが全く体力が付かない。自分の中で無力感がどんどん増えていき、「被害妄想」がさらに悪化。それにより、空手部の稽古に対して「死の恐怖」を感じるようになり、夜眠れなくなってしまった。この生活を3年間続けた結果、鬱がさらに3倍に悪化。「鬱の廃人」状態に突入。(マイナス22→66)
(この時代の12個の鬱の諸症状はこちら)



大学3年生でカウンセリングを受け始めるも、鬱の諸症状の辛さをほとんど喋る事が出来ず、短期的には何のポジティブな効果も得られず。(マイナス66→66)(詳細はこちら)



大学空手部引退後も、トレーニングという名の「無意識の自傷行為」を続けてしまい、鬱が全く回復しない(マイナス66→66)(詳細はこちら・大学空手部引退後の「鬱の廃人」状態はこちら)



大学空手部引退後、自分の居場所を作ろうと、ロックダンス教室、タップダンス教室、ファミレスバイト、自動車教習所にチャレンジするも、全く周りとコミュニケーションが取れず、全て挫折(22歳)(マイナス66→71)(概要はこちら)



1つ目の大学を中退し、2つ目の大学で大学生活をやり直す。しかし、半年でクラスと手品サークルの人間関係から脱落。その後タップダンス教室や大学の体育の授業でも人間関係を作れず、大学生活が破綻(23歳)。(マイナス71→76)(概要はこちらこちら)



大学を1年間休学し、比較的穏やかに過ごす(24歳)。(マイナス76→76)
(概要はこちら)


大学休学中、家の中に「居場所」「安心」「暖かさ」を求め、15年間続く両親の喧嘩の仲裁に動く。しかし、母親の心の中には15年間に渡って蓄積した「父親への不信感」が膨大に存在し、説得が全く通じない。自分は次第に仲裁を諦め、無力感を感じるようになっていった。そして、いつまでも父親の糾弾を続ける母親に対して、憎しみがどんどん増えていった。(マイナス76→78)(概要はこちら)

2つ目の大学に復学し、和楽器サークルに居場所を作ろうとするも、やはり周りの学生と全くコミュニケーションが取れず、3ヶ月で大学生活から脱落(25歳)。(マイナス78→83)(概要はこちら)



2つ目の大学の復学に失敗後、再起をかけて古本屋バイトに取り組むも、「被害妄想」と「鬱の諸症状」が酷く、1年半で支店を撤退。その後、残った本店での人間関係もどんどん厳しくなっていった(27歳)。(マイナス83→88)(概要はこちら)



現実世界で挫折を重ねれば重ねる程、自分の心の中では家の中に「暖かな居場所」を求める気持ちが激しくなっていった。しかし、母親は相変わらず父への糾弾を続けており、家の中は相変わらず戦争状態。これにより母親への憎しみはさらに増大し、「殺したい」程の憎しみを感じるようになっていった。(マイナス88→93)
(詳細は こちら)


自分が大学復学に失敗し、古本屋バイトでも挫折し続ける間、妹の方は海外ホームステイに成功したり、新しい彼氏が出来たりで、充実した生活を送っているようだった。それに対する劣等感がすごい勢いで増大(27歳)。(マイナス93→98)(概要はこちら)



2003年10月のある日、尿管結石が発症し、あまりの痛みに父親に助けを求めるが、父親から「こんな時だけ頼りやがって!!」という血も凍るような暴言を吐かれる(27歳)。その後病院に担ぎ込まれ、そこでも甚大な精神的・肉体的苦痛を受ける事となった。この事件により、鬱は大学空手部時代の2倍にまで悪化。よってメンタル数値は66×2=132。(マイナス98→132)(ダメージの詳細はこちら)



2003年10月に起きた「尿管結石事件」により自分の中での父親な対する憎しみは「殺したい」程にまで悪化した。同様に妹に対する憎しみも「殺したい」程にまで悪化。母親に対しては元々「殺したい」程の憎しみを感じていた。よって、この事件によって自分は家族全員に対して「殺したい」程の憎しみを感じるようになっていた。(マイナス132→132)(詳細はこちら)



2004年の4月頃、最後の頼みの綱であった古本屋バイトからも脱落寸前になっており、いよいよ社会からの脱落が差し迫ってきていた(28歳)。そこで自分の中には以下の疑問が浮かび上がってきた。


「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


自分はこの疑問の心の底から欲していた。そこで最初は親との会話の中でこの疑問を解こうと試みたが、すぐに挫折。そこで過去の記憶をノートに書く事で上記の謎を解く事を思い付いた。ここから自分は、バイトと並行して記憶の言語化作業をしていく事となった。当時の自分はこの作業を「記憶のサルベージ」と呼んだ。(詳細は こちら )(マイナス132→132)



2004年9月、いよいよ社会生活から脱落し、引きこもり状態に陥った(28歳)。ここからは起きている時間の全てを記憶のサルベージに費やし、この作業を進めていった。しかし、記憶のサルベージはトラウマの再体験を意味しており、自分のこれまでの人生はトラウマまみれ。よってトラウマの再体験が延々と続き、その精神的苦痛はまるで拷問のようだった。(詳細はこちら)(マイナス132→132)




2005年1月、記憶のサルベージが折り返し地点に到達(29歳)。この時点で大学空手部時代と小学校3年生の頃の記憶はほぼ言語化完了。しかし、当時の自分は折り返し地点に到達している事に全く気付いておらず、先の見えない戦いに絶望感を感じていた。一方それまでの記憶のサルベージにおいて、自分に関する重大な発見が次々に見つかり、その一つ一つに目から鱗な感動と知的興奮を感じていた。(記憶のサルベージ前半戦における9個の発見はこちら) (マイナス132→132)



2005年1月頃、「父親突入事件」発生(29歳)。父親が無理矢理自分の部屋に突入してこようとしてきて、被害妄想による凄まじい精神的ダメージを受ける事となった。また、引きこもり中には、ワールドカップの日本代表戦が行われ、それを観戦する母親と妹に対して凄まじい殺意を感じていた。この2点を含む、引きこもり中の9個の鬱の諸症状はこちら(マイナス132→132)



2005年6月頃、記憶のサルベージの後半戦が終わる(29歳)。後半戦で言語化した記憶は、小学校3年生〜高校3年生までの記憶。ここでも自分に関する大きな発見が次から次に見つかっていった。後半戦で見つかった8個の発見はこちら (マイナス132→132)



2005年8月頃記憶のサルベージの終盤戦が終わる(29歳)。ここで言語化した記憶は、小学校3年生以前の記憶と喘息に関する記憶。終盤戦で見つかった5個の発見はこちら (マイナス132→132)



2005年8月頃、記憶のサルベージがいよいよ終わろうとしていた(29歳)。そもそも自分がこの記憶のサルベージを始めたきっかけは、以下の疑問の答えを心の底から欲していたからだった。

「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


そして、自分は1年5ヶ月の間ひたすら自分の過去をノートに書き続け、上記の発見をしていった。そして、上記の発見の数々によって、上記の謎の答えが導かれていった。その答えとは


「小学校3年生以降、家庭環境が戦争状態に陥っていたから」。


自分はこの答えに大満足し、大納得していた。これによって自分は「自分に対する自信」を一部分大きく回復させる事となった。それはこのような感情によるものだった。


「自分の人生が28年目にして社会から脱落する羽目になってしまった原因は、『自分自身が生まれつき大幅に劣っている人間だったから』ではない!『小学校3年生以降家庭環境が戦争状態に陥ってしまったから』なんだ!!」(詳細はこちら)(マイナス132→132)



2005年8月頃、記憶のサルベージがいよいよ終わろうとしていた(29歳)。1年5ヶ月に及ぶ記憶のサルベージの結果、大満足で大納得な答えを手にしていたし、もはやまだ言語化していない記憶が思い出せなくなっていた。すると自分の心の中に、この1年5ヶ月に及ぶ記憶のサルベージの内容をカウンセラーの先生に聞いて貰いたいという衝動が生まれた。そこで、自分はカウンセリング代と生活費をパチンコで稼ぐ生活を思い付いた。自分がこれまでの人生において唯一自信とプライドを持っていたのが、パチンコのスキルだった。よってパチンコで稼いだお金でカウンセリングに通うというアイデアは、これ以上ないアイデアだった。自分はまず1年5ヶ月に及ぶトラウマまみれの生活から抜け出られる事が嬉しくてたまらなかったし、さらに新しい生活がカウンセリングとパチンコを組み合わせた生活である事も嬉しくてたまらなかった。(詳細はこちら) (マイナス132→132)



記憶のサルベージの1年5ヶ月を終えて、自分は「自分に対する自信」を限定的に回復させた。しかし、一方で以下の2つに関しては全く回復しなかったし、むしろ悪化してしまった印象すらある。


・病的(×6倍)な被害妄想と鬱の諸症状(引きこもり中の被害妄想と鬱の諸症状はこちら)


・家族に対する「殺したい」程の憎しみ


故に記憶のサルベージによるプラスの効用は上記の2つのマイナスの効用と打ち消しあってしまい、トータルで考えると「自分に対する自信」を回復させる事は出来なかった。つまり、記憶のサルベージを終えた時点でのメンタル数値は、記憶のサルベージ直前と同じ「マイナス132」のまま。(詳細はこちら)(マイナス132→132)