鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

現在の鬱の回復度合いは80%(2023年4月・46歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 トラウマを思い出すと起こる様々な身体反応(2023年4月・46歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が2011年以降どのように鬱を回復させていったのか、改めて考えてみました。では、まずは前回の記事をそのまま引用したいと思います。


『前回記事からの引用』


このように自分は2016年(40歳)からネットを使ったお小遣い稼ぎを始め、その中で自己肯定感を回復させ、鬱を回復させてきた、という流れになります。



では話を大きく元に戻したいと思います。ここまでの話の流れは、自分がどのようにして鬱を回復させてきたのか、という話でした。では改めてそれをまとめてみたいと思います。


「自分が2011年以降鬱を回復させていった要因」


①2011年4月にトラウマ歩きが終わった事で、莫大な心身の苦痛から解放される事になった。( 「トラウマ歩きの最中のネガティヴな感情❶〜❾」)


②2008年から母親の人生を詳細に聞き始め、2011年には妹、2012年には父親の人生も詳細に聞いていった。その中で家族それぞれに対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪がどんどん下がっていった。


③2016年からネットを使ったお小遣い稼ぎを始めた。(http://benten99.hatenablog.com)




このような3つの要因によって、自分は鬱を回復させてきた訳ですが、他にも要因はあるように思います。それは、自分が2011年にトラウマ歩きを終えて以降、自分の部屋の中でトラウマを思い出し続けた、という事です。大体毎日1〜2時間はそれを費やしていた印象で、この行為は12年間続き、現在まで続いています。


そして、部屋の中でトラウマを思い出していると、毎回のように身体が反応しました。例えば凄まじい悲しみの感情に反応して号泣してしまう事がよくありましたし、恐怖の感情によってえづきが起こる事もありました。また、大学時代の冷え性を思い出すと、勝手に身体が震え出しましたし、大学時代の慢性的な睡眠不足に反応して、あくびが起こる事もよくありました。また、ゲップが出る事もよくありました。



このようにトラウマを思い出すと、当時のネガティヴな感情に対応した身体の反応が頻発しました。しかし、これらの身体の反応は決して嫌なものではなかったのです。



例えば、号泣すれば気持ちが少し晴れましたし、えづきをしても身体は少しスッキリしました。あくびやゲップも同様です。それらの身体反応によって、気持ちが少しスッキリする効果があったのです。また、身体が震えれば身体が温まる感じがしました。( トラウマを思い出すと極度の睡眠不足がフラッシュバックし、あくびが起こる(2011年9月・35歳) )



これらの「トラウマ思い出しによる身体的反応後のスッキリ感」も鬱を回復させる要因になっていたと思います。ではこの現象を「自分が2011年以降鬱を回復させていった要因④」としてまとめたいと思います。


④ 2011年のトラウマ歩き終了以降、自分の部屋の中でトラウマを思い出し続けた。それをすると、号泣や震えやえづきやあくびやゲップなどの身体的反応が起こり、それによって気持ちが少しスッキリする効果があった。( トラウマを思い出すと極度の睡眠不足がフラッシュバックし、あくびが起こる(2011年9月・35歳) )



いいですね!よくまとまりました。


『引用終わり』


上記4つの要因によって自分の鬱は2011年以降少しずつ回復していったのでした。



では改めてその4つの要因を振り返ってみます。


「自分が2011年以降鬱を回復させていった要因」


①2011年4月にトラウマ歩きが終わった事で、莫大な心身の苦痛から解放される事になった。( 「トラウマ歩きの最中のネガティヴな感情❶〜❾」)


②2008年から母親の人生を詳細に聞き始め、2011年には妹、2012年には父親の人生も詳細に聞いていった。その中で家族それぞれに対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪がどんどん下がっていった。


③2016年からネットを使ったお小遣い稼ぎを始め、その中で信頼出来る仲間が出来た。(http://benten99.hatenablog.com)


④ 2011年のトラウマ歩き終了以降、自分の部屋の中でトラウマを思い出し続けた。それをすると、号泣や震えやえづきやあくびやゲップなどの身体的反応が起こり、それによって気持ちが少しスッキリする効果があった。( トラウマを思い出すと極度の睡眠不足がフラッシュバックし、あくびが起こる(2011年9月・35歳) )



上記4つの要因によって自分の鬱は回復していった、という事になります。そして、「現在の自分の状態(46歳)」と「最も鬱が酷かった時期(2008〜2011・32歳〜35歳)」を比べると、その回復度合いは80%といった状態です。この「最も鬱が酷かった時期」、自分の心身は「自分で自分の身体を全くコントロール出来ない状態」に陥っていました。そして、あれから12年経ち、コントロール不能だった心身は80%まで改善している、という事になります。よく回復しましたねぇ。




ちなみに現在の自分の鬱の諸症状は以下の通りになります。以前の記事で作ったものです。


『現在の自分(2022年10月)の身体に今だに残る「自分で自分の身体を全くコントロールし切れない状態」


ⅱ 病的な冷え性
14年前と比べると回復度合いは60%。当時はGパンの下に防寒着を7枚着ないと原付に乗れなかったが、現在は股引1枚で大丈夫。しかし、相変わらず夏のエアコンはかなり苦手だし、季節問わず鼻水はズルズル。秋の季節に外出すると、周りの人は半袖なのに、自分は3枚くらい着ているって事がよくある。


ⅲ 目の下の漆黒のクマ
14年前と比べると回復度合いは80%。当時のクマはブラックホールのように漆黒のクマだったが、現在のクマはそこまで酷くはない。しかし、20%くらいは当時の面影が残っている。故に現在の自分は、外出時にはかならず伊達メガネをかけている。メガネをかけると目の下のクマをカモフラージュ出来るから。


ⅵ 将来の体調が全く予測できないのでスケジュールが立てられない
14年前と比べると回復度合いは70%。今だに少しは残っている。将来のスケジュールを決める事に対して、今だに多少の苦手意識がある。


ⅶ 自己否定感
14年前と比べると回復度合いは70%。上記の3つの諸症状が原因で、自己否定感はまだ30%残っている。ただ、ブログをこの先も書き続けていけば、この自己否定感はさらに消滅していく気がする。



上記の項目の中で、ⅰ、ⅳ、ⅴが抜けていますが、これらの症状はすでに完治していますので、割愛しています。



このように現在の自分の鬱は、「最も酷かった時期(2008〜2011)」と比べると80%回復しており、その回復要因は上記の①〜④という事になります。



追記(2023年9月):現在の自分の鬱の諸症状ですが、上記の4つの症状に加えて中学校時代以来続く「背中の慢性的な疲労感」も時折酷い状態に陥りがちです。この「背中の慢性的な疲労感」を構成する要因を考えてみました。


背中の慢性的な疲労感(中指の拷問感)を構成する4つの要因。


①小学生以来続く、喘息由来の疲労感の蓄積。

②小学生時代から続く睡眠不足の蓄積(恐怖による過覚醒によって、睡眠が取れない。大学空手部時代に、稽古に向けて体力を回復させたいのに恐怖で全く眠れず、心と身体が何時間にも渡って引き裂かれ続けた。それによる消耗感と自分自身を全くコントロール出来ていない感。凄まじい自己不全感。「睡眠を取りたい欲」vs「恐怖による過覚醒」。「恐怖による過覚醒」によって何時間も早く起きてしまうし、寝付くのにも何時間もかかってしまう。この状態が大学空手部時代から20年以上続き、現在でもフラッシュバックし続けている。)


③高校時代以来続く、無意識の自傷行為の蓄積。

④小学生以来続く、発達障害由来の孤立感の蓄積。


この「背中の慢性的な疲労感」は、今現在、お小遣い稼ぎ活動を激しく続けると起こりがちです。とくに携帯乞食などの外出系案件が続くと起こりがち。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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