鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

「自分に対する自信」を失い続けた結果、高校で鬱を完全発症(過去編・1993年・17歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「私立中学受験時の被害妄想(過去編・1988年・12歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事も「A先生怒られ事件」が起こった後の「被害妄想」について考えてみました。この事件の概要ですが、小学校5年生の自分は中学受験の塾に1年半通い続け、かなり良い成績を取る事が出来ました。灘中学も狙えるくらいの成績です。自分はそこで舞い上がってしまい、授業が始まってからもはしゃぎ続けてしまったのです。そんな自分に対して塾で一番怖いA先生が「やる気のないやつは出て行け!!」と一喝し、自分の頭を黒板消しではたきました。自分はこの一連で甚大な精神的ショックを受けた、という事件になります。



事件後、自分はこの一連を親を含めた誰にも喋る事が出来ませんでした。よっていつまで経っても精神的ショックが癒える事がありません。それどころか、このような「被害妄想的な予感」に囚われ始めたのです。


「これから先、自分は事あるごとにA先生から必要以上に厳しくされ、怒鳴られてしまうのではないか??」


自分はこれを考えると恐ろしくて仕方ありません。自分はA先生の授業をサボり始める事となり、その後サボり癖がどんどん拡大。成績は急降下し、中学受験に失敗してしまったのでした。



このように自分は小学校6年生の時点で「被害妄想」に囚われていた、という話になります。つまり、この時点で自分は「自分という存在に対する自信」をかなり失っており、「自分という存在は他人からいつ迫害されてもおかしくない人間なのだ」と感じていた記憶です。ですから、塾で一番厳しくて恐ろしいA先生に怒鳴られた後、上記のような「被害妄想的予期不安」に囚われてしまったのです。そして、恐ろしくてA先生の授業に出る事が出来なくなってしまった。つまりこの時の「被害妄想」の原因は、自分が「自分という存在に対する自信」をかなり失っていたからです。



では自分が幼い頃からどのようにして「自分という存在に対する自信」を失っていったのか、いつものフローチャートを貼りたいと思います。各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。(この数値をメンタル数値と呼んでいます)


3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を言うのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)


小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8)
(概要はこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
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中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
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中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
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高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
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上記の小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 、この事件後の「自分という存在に対する自信」は(マイナス8)となっています。つまり、メンタル数値がマイナス8の時点で「被害妄想」が発生していた、と。そして、この「被害妄想」はどんどん悪化していき、その後の事件でも自分の心を苦しめていく事になります。



中学入学時の「自己紹介事件」然り、中学校でのクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」然り。そして、高校入学時の「歓迎会逃亡事件」然り、高校2年生での「ホルンパートでの自己紹介事件」然り、です。これらは全て自分が「自分という存在に対する自信」をどんどん失っていった結果の「被害妄想」なのです。ではここで上記のフローチャートの続きを考えてみたいと思います。とりあえずメンタル数値を考えるのは後回しにしまして、事件の項目を付け足したいと思います。付け足すのは、高校2年生の時に起きた「寄せ書き事件」と「ホルンパートでの自己紹介事件」です。


3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を言うのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)


小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8)
(概要はこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)

高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)



高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」
(概要はこちら)

高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」
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では新たな加わった事件でメンタル数値がどれくらい下がったのか考えます。まず「寄せ書き事件」ですが、ここでさらに「マイナス5」下がった感じです。そして、「ホルンパートでの自己紹介事件」では「マイナス1」。何故「マイナス5」なのかと言いますと、小学校3年生での家庭環境の悪化によるメンタル数値の悪化が「マイナス5」だからです。「暴言事件」及び「寄せ書き事件」での精神的なダメージは、それに匹敵する感じがします。ホルンパートでの自己紹介事件はこの2つに比べるとそこまでのダメージにはならなかった印象ですので、「マイナス1」です。では、メンタル数値を書き込んだ上で、フローチャートを書き直したいと思います。




3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を言うのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)


小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8)
(概要はこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)

高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)



高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
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高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22)
(概要はこちら)




良いですね!素晴らしい。つまり、自分の中から「自分という存在に対する自信」が「マイナス22」まで失われた時に、完全に鬱を発症した、という事になります。高校時代の鬱の諸症状は以下の通りになります。



「高校時代の4つの鬱の諸症状」


①食欲の完全消失

②日曜夜ごとの激しい喘息

③慢性的な背中の疲労感(痛み)と眠気

④学校生活中の激しいめまい



そして、ここに新たに「⑤激しい被害妄想」を付け加えたいと思います。最近この「被害妄想」をテーマに記事をよく書いていますが、書けば書くほど「被害妄想」と「鬱」がすごく関係が深かったという事が分かりました。この「被害妄想」を書かずして「鬱」は語れない、って感じがしています。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!






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