皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 「自分に対する自信」を失い続けた結果、高校で鬱を完全発症(過去編・1988年・12歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、「A先生怒られ事件」後の被害妄想について考えてみました。そして、自分が「自分に対する自信」をどのように失っていったのかを考えてみました。「A先生怒られ事件」とは自分が小学校6年生の時に起こった事件になります。事件の概要はこちらです。自分はA先生に怒鳴られた後、その精神的ショックを誰にも喋る事が出来ませんでした。これにより自分の中で「被害妄想」が発生し、自分はA先生の授業に出る事が恐ろしくてたまらなくなったのです。その「被害妄想」はこんな感じです。
「A先生に怒鳴られた事で、自分はA先生から目を付けられてしまったのではないか?」
「これから先、自分は事あるごとにA先生から理不尽に厳しくされ、怒鳴られてしまうのではないか??」
そう、A先生はこの塾で最も厳しい事で有名な先生でした。そんなA先生に自分は怒鳴られてしまったのです。自分の中で悪い想像はどんどん膨らんでいき、その恐怖は大きくなる一方でした。そして、A先生の授業に出られなくなり、塾をサボり始めたのです。
このように自分は小学校6年生時点で「被害妄想」を発症させていました。その理由は、この時点で自分が「自分という存在に対する自信」をかなり失っていたからです。そして、何故「自分という存在に対する自信」を失っていたのかと言いますと、家庭環境がかなり不安定だったからです。自分の家庭は自分が小学校3年生の時に戦争状態に突入し、両親はますます自分の事を省みなくなっていました。それにより自分は「自分という存在に対する自信」をますます無くしていきました。「自分という存在」が立っている地面が常にグラグラに揺れていて、いつ下に落ちていくか分からない、そんな不安感です。そしてそんな感覚は、喘息を悪化させ、小学校の半分は休んでいた記憶です。
ではここで、自分が幼い頃から「自分という存在に対する自信」をどのように失っていったのか、フローチャートで示したいと思います。各項目後ろの数字が、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化したものです。(この数値をメンタル数値と呼んでいます)
3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を言うのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)
↓
小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)
↓
小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人感(マイナス5)
(詳細はこちら)
↓
小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8)→ 被害妄想発症
(概要はこちら)
↓
中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)
↓
中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)
↓
中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)
↓
高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)
↓
高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)
↓
高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)
↓
高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22)→ 鬱を完全発症
(概要はこちら)
いいですね!このフローチャートによって自分のメンタル数値(「自分という存在に対する自信」)がどのように下がっていったのか、一目瞭然です。素晴らしい。まず、メンタル数値がマイナス8まで下がった所(「A先生怒られ事件」)で被害妄想が発症しました。そして、メンタル数値がマイナス22まで下がった所(「ホルンパートでの「自己紹介事件」)で、鬱を完全発症、と。当時の鬱の諸症状は以下の通りになります。
「高校時代の5つの鬱の諸症状」
①食欲の完全消失
②日曜夜ごとの激しい喘息
③慢性的な背中の疲労感(痛み)と眠気
④学校生活中の激しいめまい
⑤激しい被害妄想
(「③慢性的な背中の痛み」と「⑤激しい被害妄想」は相関関係にある。慢性的な背中の痛みが酷くなっていくと、被害妄想も酷くなっていった。)
良いですね!よくまとまりました。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
↑クリックして頂くとランキングアップ&アクセス数アップします。ご協力よろしくお願いします。