鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

「尿管結石事件」によって、家族に対する憎しみがさらに激化(過去編・2003年11月・27歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「「尿管結石事件」で一体どれくらいの精神的ダメージを受けたのか②(過去編・2003年10月・27歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が「尿管結石事件」でどれくらいの精神的ダメージを受けたのか、改めて考えてみました。「尿管結石事件」を端的に説明させて貰いますと、ある日自分が尿管結石の激しい痛みに襲われ、父親に助けを求めた所、「こんな時に頼りやがって!!」という血も凍るような暴言を吐かれた、という話になります。この時の自分の年齢は27歳。事件の詳細はこちらです。



自分は幼い頃より「自分に対する自信」をひたすら失い続ける人生を送ってきていました。そして、この「尿管結石事件」においてもかなりそれを失った、という事になります。ではここでいつものフローチャートを貼りたいと思います。いつもこのブログをお読みの方はスルーして下さい。



このフローチャートは自分が幼い頃よりどのように「自分に対する自信」を失っていったのかを示しています。各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。この数値を「メンタル数値」と呼んでいます。この数値が下がれば下がる程、自分が「自分に対する自信」を失った事を示します。同時に「被害妄想」と「体調の悪化」も意味しています。



「鬱悪化のフローチャート(3歳〜28歳)」


3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を表現するのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)


小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8) 被害妄想発症
(事件の概要はこちら・被害妄想についてはこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)

高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)



高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)

高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22) 鬱を完全発症
(事件の概要はこちら・8個の鬱の諸症状はこちら)



大学に入学後空手部に入部し、そこでの稽古の厳しさを乗り越えようと必死に自主練を繰り返すが全く体力が付かない。自分の中で無力感がどんどん増えていき、「被害妄想」がさらに悪化。それにより、空手部の稽古に対して「死の恐怖」を感じるようになり、夜眠れなくなってしまった。この生活を3年間続けた結果、鬱がさらに3倍に悪化。「鬱の廃人」状態に突入。(マイナス66)
(この時代の12個の鬱の諸症状はこちら)



大学3年生でカウンセリングを受け始めるも、鬱の諸症状の辛さをほとんど喋る事が出来ず、短期的には何のポジティブな効果も得られず。(マイナス66)(詳細はこちら)



大学空手部引退後も、トレーニングという名の「無意識の自傷行為」を続けてしまい、鬱が全く回復しない(マイナス66)(詳細はこちら・大学空手部引退後の「鬱の廃人」状態はこちら)



大学空手部引退後、自分の居場所を作ろうと、ロックダンス教室、タップダンス教室、ファミレスバイト、自動車教習所にチャレンジするも、全く周りとコミュニケーションが取れず、全て挫折。(マイナス71)(概要はこちら)



1つ目の大学を中退し、2つ目の大学で大学生活をやり直す。しかし、半年でクラスと手品サークルの人間関係から脱落。その後タップダンス教室や大学の体育の授業でも人間関係を作れず、大学生活が破綻。(マイナス76)(概要はこちらこちら)



大学を1年間休学し、比較的穏やかに過ごす。(マイナス76)
(概要はこちら)


大学休学中、家の中に「居場所」「安心」「暖かさ」を求め、15年間続く両親の喧嘩の仲裁に動く。しかし、母親の心の中には15年間に渡って蓄積した「父親への不信感」が膨大に存在し、説得が全く通じない。自分は次第に仲裁を諦め、無力感を感じるようになっていった。そして、いつまでも父親の糾弾を続ける母親に対して、憎しみがどんどん増えていった。(マイナス78)(概要はこちら)

2つ目の大学に復学し、和楽器サークルに居場所を作ろうとするも、やはり周りの学生と全くコミュニケーションが取れず、3ヶ月で大学生活から脱落。(マイナス83)(概要はこちら)



2つ目の大学の復学に失敗後、再起をかけて古本屋バイトに取り組むも、「被害妄想」と「鬱の諸症状」が酷く、1年半で支店を撤退。その後、残った本店での人間関係もどんどん厳しくなっていった。(マイナス88)(概要はこちら)



大学復学に失敗し、古本屋バイトでも挫折し続ける間、妹の方は海外ホームステイに成功したり、新しい彼氏が出来たりで、充実した生活を送っているようだった。それに対する劣等感がすごい勢いで増大。(マイナス91)(概要はこちら)



2003年10月のある日、尿管結石が発症し、あまりの痛みに父親に助けを求めるが、父親から「こんな時だけ頼りやがって!!」という血も凍るような暴言を吐かれる。その後病院に担ぎ込まれ、そこでも甚大な精神的・肉体的苦痛を受ける事となった。(マイナス132)(ダメージの詳細はこちら)





上記のチャートの最下部にありますように、自分はこの「尿管結石事件」によって「マイナス41」の精神的ダメージを受けた、という事になります。(132-91=41)




では「尿管結石事件」後の話に移ります。自分は尿管結石発症後、病院に担ぎ込まれ、1週間程々に入院する事になりました。そして、退院後一応古本屋バイトに復帰はしましたが、自分の体調はさらにぶっ壊れており、レジ前で立っているだけでも厳しい状態になっていました。



また、上記のチャートに有りますように自分はこの事件で「自分に対する自信」を大幅に失いました。よって、その自信を回復させようとパチンコ屋に赴き、3ヶ月で100万くらい稼いだりもしました。これにより表面的には嬉しい気持ちになりましたが、それで「自分に対する自信」が回復する事は全くありませんでした。自分が自信を喪失してきた歴史は、ホントに長くて根深いものですから、パチンコの稼ぎのノウハウを会得したくらいでは、自信は全く回復しなかったのです。



では「尿管結石事件後」、自分が家族に感じる憎しみはどうなったのかという話になります。まずは「尿管結石事件直前」の家族それぞれに対する憎しみはこんな感じになります。


父親→一緒にいると酷く疲れるのでご飯を食べには行かなくなったが、憎しみはほとんど無し


母親→自分の仲裁にも関わらず、父親を糾弾する事を全く辞めないので、自分の中で憎しみがすごい勢いで増えていった。この頃には「殺したい」程の憎しみに悪化。


妹→自分が大学を休学している間は関係が良かったものの、復学後、自分と妹の人生はどんどん離れていった。それにより自分は妹に対してかなりの劣等感を感じるようになっていった。また、妹は母親とのコミュニケーションを維持していた為に、それに対する憎しみも発生し、この頃にはかなりの憎しみとなっていた。



そして、「尿管結石事件後」の憎しみはこんな感じです。


父親→「尿管結石事件」で父親が発した血も凍る暴言を許せるはずもなく、「殺したい」程の憎しみを抱くようになった。

母親→変わらず「殺したい」程の憎しみを感じる存在。

妹→妹との激しい口論がきっかけで「尿管結石事件」が発生した為、妹に対する憎しみも「殺したい」程に悪化。



先程書きましたように、「尿管結石事件以前」、自分が家族に対する憎しみには濃淡がありました。一番憎いのが「殺したい」程憎い母親で、次に妹、最後に父親です。そして、「尿管結石事件」が起こりました。この事件によって、自分は家族3人全てに等しく「殺したい」程憎いという感情を持つようになった、という事になります。そう、「尿管結石事件」によって、家族に感じる憎しみは明らかに激化しました。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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