鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

「自分に対する自信」が失われる程、「家族への信頼度」も失われていった(過去編・2003年11月・27歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 「尿管結石事件」によって、家族に対する憎しみがさらに激化(過去編・2003年11月・27歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、「尿管結石事件」後の家族に対する憎しみについて考えてみました。「尿管結石事件」を端的に説明させて貰いますと、ある日自分が尿管結石の激しい痛みに襲われ、父親に助けを求めた所、「こんな時に頼りやがって!!」という血も凍るような暴言を吐かれた、という話になります。この時の自分の年齢は27歳。事件の詳細はこちらです。


この事件により、自分は「自分に対する自信」を大幅に失いました。そもそも自分は、幼い頃から「自分に対する自信」を失っていく一方の人生を送っていました。家庭環境や様々な事件が原因でそれは失われていく一方だったのです。そして、それを失えば失う程、「被害妄想」は悪化し、「体調」も悪化していきました。そして、自分は27歳にしてさらにそれを大幅に失ってしまった、という事になります。



ではここで自分が「自分に対する自信」を失っていく経緯を表したフローチャートを貼りたいと思います。いつも貼っているフローチャートですので、いつもお読みの方はスルーして下さい。


このフローチャートは自分が幼い頃よりどのように「自分に対する自信」を失っていったのかを示しています。各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。この数値を「メンタル数値」と呼んでいます。この数値が下がれば下がる程、自分が「自分に対する自信」を失った事を示します。同時に「被害妄想」と「体調の悪化」も意味しています。



「鬱悪化のフローチャート(3歳〜28歳)」


3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を表現するのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)




小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8) 被害妄想発症
(事件の概要はこちら・被害妄想についてはこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)

高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)



高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)

高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22) 鬱を完全発症
(事件の概要はこちら・8個の鬱の諸症状はこちら)



大学に入学後空手部に入部し、そこでの稽古の厳しさを乗り越えようと必死に自主練を繰り返すが全く体力が付かない。自分の中で無力感がどんどん増えていき、「被害妄想」がさらに悪化。それにより、空手部の稽古に対して「死の恐怖」を感じるようになり、夜眠れなくなってしまった。この生活を3年間続けた結果、鬱がさらに3倍に悪化。「鬱の廃人」状態に突入。(マイナス66)
(この時代の12個の鬱の諸症状はこちら)



大学3年生でカウンセリングを受け始めるも、鬱の諸症状の辛さをほとんど喋る事が出来ず、短期的には何のポジティブな効果も得られず。(マイナス66)(詳細はこちら)



大学空手部引退後も、トレーニングという名の「無意識の自傷行為」を続けてしまい、鬱が全く回復しない(マイナス66)(詳細はこちら・大学空手部引退後の「鬱の廃人」状態はこちら)



大学空手部引退後、自分の居場所を作ろうと、ロックダンス教室、タップダンス教室、ファミレスバイト、自動車教習所にチャレンジするも、全く周りとコミュニケーションが取れず、全て挫折。(マイナス71)(概要はこちら)



1つ目の大学を中退し、2つ目の大学で大学生活をやり直す。しかし、半年でクラスと手品サークルの人間関係から脱落。その後タップダンス教室や大学の体育の授業でも人間関係を作れず、大学生活が破綻。(マイナス76)(概要はこちらこちら)



大学を1年間休学し、比較的穏やかに過ごす。(マイナス76)
(概要はこちら)


大学休学中、家の中に「居場所」「安心」「暖かさ」を求め、15年間続く両親の喧嘩の仲裁に動く。しかし、母親の心の中には15年間に渡って蓄積した「父親への不信感」が膨大に存在し、説得が全く通じない。自分は次第に仲裁を諦め、無力感を感じるようになっていった。そして、いつまでも父親の糾弾を続ける母親に対して、憎しみがどんどん増えていった。(マイナス78)(概要はこちら)

2つ目の大学に復学し、和楽器サークルに居場所を作ろうとするも、やはり周りの学生と全くコミュニケーションが取れず、3ヶ月で大学生活から脱落。(マイナス83)(概要はこちら)



2つ目の大学の復学に失敗後、再起をかけて古本屋バイトに取り組むも、「被害妄想」と「鬱の諸症状」が酷く、1年半で支店を撤退。その後、残った本店での人間関係もどんどん厳しくなっていった。(マイナス88)(概要はこちら)



大学復学に失敗し、古本屋バイトでも挫折し続ける間、妹の方は海外ホームステイに成功したり、新しい彼氏が出来たりで、充実した生活を送っているようだった。それに対する劣等感がすごい勢いで増大。(マイナス91)(概要はこちら)



2003年10月のある日、尿管結石が発症し、あまりの痛みに父親に助けを求めるが、父親から「こんな時だけ頼りやがって!!」という血も凍るような暴言を吐かれる。その後病院に担ぎ込まれ、そこでも甚大な精神的・肉体的苦痛を受ける事となった。(マイナス132)(ダメージの詳細はこちら)



思ったのですが、上記のフローチャートにおけるメンタル数値は、「自分が家族に感じる信頼度」を数値化したものという風にも言えると思います。そう、自分が「自分に対する自信」を失えば失う程、「家族への信頼度」も失われていった、と。つまり、「自分に対する自信」=「家族への信頼度」という事です。



とは言いましても、自分は1つ目の大学でカウンセリングを受け始めるまでは、家族に対して信頼感の喪失を全く感じてはいませんでした。自分は自分自身の事さえ全く把握出来ていませんでしたから、家庭環境に関しても全く興味が無かったのです。ですから、カウンセリング以前に関しては自分がそれを認識する事はなく、無意識的にそれは減っていった感じです。



そして、自分はカウンセリングを受け始めた頃から、家族に対する「信頼感の喪失」を認識するようになりました。自分はカウンセリングにおいてほんの少しずつですが、自分自身の事を把握していきました。その中で自分の家庭環境に対しても少しずつ客観的な目線を持ち始めたのです。そう、自分が育った家庭環境は小学校3年生の時からずっと戦争状態が続いていたのですが、それに対する疑念が生まれ始めたのです。



また、自分はカウンセリングを受け始めてからも、あらゆる場所で挫折を繰り返し続け、心身が衰弱していきました。そうなると、せめて家の中くらいは自分の「居場所」であって欲しいとの願いが産まれたのです。ところが先程も書きましたように、自分の仲裁にも関わらず、母親は父親の事を糾弾する事を辞めず、我が家は戦争状態であり続けました。自分は徐々に仲裁を諦めていき、代わりに母親に対する憎しみが凄まじい勢いで増えていき、それは「殺したい」程の憎しみになっていったのです。まぁこうなると信頼感どころではありません。



そして、「尿管結石事件」が起こりました。この事件によって自分は母親だけでなく、父親や妹にも「殺したい」程の憎しみを感じるようになったのでした。まとめますと、自分の家族に対する信頼度は「0」から始まり、それは年齢を重ねるごとに失われていきました。そして、それが「マイナス132」まで失われた時、家族全員に対して「殺したい」程の憎しみを感じていたのです。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!



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