鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

大学復学失敗までのフローチャート②(過去編・2000年3月・25歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 大学復学失敗までのフローチャート(過去編・2000年3月・25歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が2つ目の大学に復学後、和楽器サークルに入ったのですが、そこでも人間関係を全く作れなかった、という話でした。あれもキツかったですねぇ。復学前、自分の中にはこのような希望がありました。


「もしかしたら今度こそ、大学内で人間関係が作れるのでは??」


しかし、実際に復学してみると、「鬱による肉体的苦痛」や「病的(×3倍)な被害妄想」は、全く改善しておらず、復学から3ヶ月も経つと見事に和楽器サークルから脱落していたのです。自分は心の中で「あぁ、やっぱり駄目だったか、、」って呟いた記憶です。この挫折によってさらに自分が「自分に対する自信」を失ったのは言うまでもありません。



ではここで、自分が幼い頃からどのように「自分に対する自信」を失っていったのかを示す、いつものフローチャートを貼りたいと思います。各項目後ろの数字は、自分の中の「自分という存在に対する自信」を数値化しています。この数値を「メンタル数値」と呼んでいます。この数値が下がれば下がる程、自分が「自分に対する自信」を失った事を示します。同時に「被害妄想」と「体調」の悪化も意味しています。



3歳くらいの時に起きたとある事件により、親に対して自分の感情や欲求を表現するのを諦める(プラスマイナス0)
(とある事件の概要は こちら)

小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化(マイナス5)
(詳細はこちら)


小学校3、4年生の時のスイミングスクールにおける離人(マイナス5)
(詳細はこちら)



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」 (マイナス8) 被害妄想発症
(事件の概要はこちら・被害妄想についてはこちら)



中学入学時の「自己紹介事件」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」(マイナス10)
(概要はこちら)

中学校のクラスにおける「被害妄想的ないじめの予期不安」(マイナス10)
(概要はこちら)

高校入学時に起こった「歓迎会逃亡事件」(マイナス11)
(概要はこちら)

高校1年生の秋に起こった「暴言事件」(マイナス16)
(概要はこちら)



高校1年生の3月に起きた「寄せ書き事件」(マイナス21)
(概要はこちら)

高校2年生の4月に起きた「ホルンパートでの自己紹介事件」(マイナス22) 鬱を完全発症
(事件の概要はこちら・8個の鬱の諸症状はこちら)



大学に入学後空手部に入部し、そこでの稽古の厳しさを乗り越えようと必死に自主練を繰り返すが全く体力が付かない。自分の中で無力感がどんどん増えていき、「被害妄想」がさらに悪化。それにより、空手部の稽古に対して「死の恐怖」を感じるようになり、夜眠れなくなってしまった。この生活を3年間続けた結果、鬱がさらに3倍に悪化。「鬱の廃人」状態に突入。(マイナス66)
(この時代の12個の鬱の諸症状はこちら)



大学3年生でカウンセリングを受け始めるも、鬱の諸症状の辛さをほとんど喋る事が出来ず、短期的には何のポジティブな効果も得られず。(マイナス66)(詳細はこちら)



大学空手部引退後も、トレーニングという名の「無意識の自傷行為」を続けてしまい、鬱が全く回復しない(マイナス66)(詳細はこちら・大学空手部引退後の「鬱の廃人」状態はこちら)



大学空手部引退後、自分の居場所を作ろうと、ロックダンス教室、タップダンス教室、ファミレスバイト、自動車教習所にチャレンジするも、全く周りとコミュニケーションが取れず、全て挫折。(概要はこちら)



1つ目の大学を中退し、2つ目の大学で大学生活をやり直す。しかし、半年でクラスと手品サークルの人間関係から脱落。その後タップダンス教室や大学の体育の授業でも人間関係を作れず、大学生活が破綻。(概要はこちらこちら)



大学を1年間休学し、比較的穏やかに過ごす。
(概要はこちら)


2つ目の大学に復学し、和楽器サークルに居場所を作ろうとするも、やはり周りの学生と全くコミュニケーションが取れず、3ヶ月で大学生活から脱落。(概要はこちら)





今回の記事では、前回の記事で新しく加わった4つの項目のメンタル数値を考えていきます。大学空手部引退後、どのようにメンタル数値が下がっていったのか、という話になります。考えてみましたが、それぞれの項目でメンタル数値が「マイナス5」ずつ下がったと考えると、しっくりくる感じです。(休学期間を除く)




何故「マイナス5」なのかと言いますと、「小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化」が、「マイナス5」だからです。この出来事は生まれて初めてのメンタルがマイナスになった出来事ですので、基準にし易い感じです。この「小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化」=「マイナス5」が、このフローチャートの基準値って感じですね。そして、大学空手部引退後のそれぞれの場所での挫折は、「小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化」に匹敵するくらいの精神的ダメージがあったと思います。では、新しく加わった3項目にメンタル数値を書き加えます。



大学空手部引退後、自分の居場所を作ろうと、ロックダンス教室、タップダンス教室、ファミレスバイト、自動車教習所にチャレンジするも、全く周りとコミュニケーションが取れず、全て挫折。(マイナス71)(概要はこちら)



1つ目の大学を中退し、2つ目の大学で大学生活をやり直す。しかし、半年でクラスと手品サークルの人間関係から脱落。その後タップダンス教室や大学の体育の授業でも人間関係を作れず、大学生活が破綻。(マイナス76)(概要はこちらこちら)



大学を1年間休学し、比較的穏やかに過ごす。(マイナス76)
(概要はこちら)


2つ目の大学に復学し、和楽器サークルに居場所を作ろうとするも、やはり周りの学生と全くコミュニケーションが取れず、3ヶ月で大学生活から脱落。(マイナス81)(概要はこちら)



いいですね。自分は大学空手部引退後、さらに挫折を繰り返し、メンタル数値が「マイナス81」まで下がってしまった、という事になります。下がりましたねぇ。この後さらにメンタル数値は、下がっていく予定です。自分はこの後始める事になる、古本屋バイトでも全く人間関係を作れませんでしたし、この頃くらいから家庭内での人間関係からも脱落していきますからね。そして、とどめの「尿管結石事件」、という流れになります。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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