鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

引っ越し後「極度の虚脱状態と放心状態」に陥る②(過去編・2006年6月・30歳)

皆さんこんにちは!スキッパーです。このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 引っ越し後「極度の虚脱状態と放心状態」に陥る(過去編・2006年6月・30歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事も、自分が30歳の時に起こった出来事、「実家の引っ越し」について考えてみました。自分は当時実家に住んでいたのですが、両親が引っ越しを言い出した事により、致命的な憎悪と被害妄想の嵐に巻き込まれる事となりました。では、ここでこの引っ越し当日の経緯をまとめたフローチャートを貼りたいと思います。



「引っ越しの1日のフローチャート。(2006年6月・30歳の出来事)」



引っ越し前夜、自分は引っ越しに対する憎悪と被害妄想のせいで、ほとんど眠る事が出来なかった。それらの憎悪と被害妄想は致命的な精神的苦痛を発生させており、自分の心の中は断末魔の叫びを上げ続けていた。こんな精神状態で眠れるはずがない。この時の自分が感じていた致命的な憎悪と不安の内訳は以下の9個(①〜⑥+❶❷+1)。


「引っ越しに対する凄まじい憎悪と絶望感、その6つの理由」(前提として当時の自分は実家暮らし)


①そもそも当時の自分は、引っ越しの話が出て来る前から、両親に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。(自分が両親に対して憎しみを募らせていく過程はこのブログのトップ記事 「人生年表&鬱悪化のフローチャート 」参照。) よって自分と両親とはこの1年以上全くコミュニケーションが無い状態が続いていた。そんな状態で両親が急に「引っ越し」という一大イベントを言い出してきたことが許せない。自分には「引っ越しをしたい」という気持ちが1㎜もない。



②もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、家族とのコミュニケーションは避けられない。そして、当時の自分は家族に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。よって、家族とコミュニケーションを取らざるを得ない状況を強制的に作り出された事に対する凄まじい憎しみ。




③もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、そこに自分の時間やエネルギーを割かなければならなくなる。その事に対する凄まじい憎しみ。何故なら、当時の自分はそれまでの29年間の人生を、両親によって全て搾取されたような感覚を持つに至っていた。よって、両親に人生を搾取された上に、さらに引っ越しで時間とエネルギーを搾取されそうな事が気が狂いそうな程の憎悪を発生させていた。




④当時の自分の心身は長年の孤独によって、「鬱の廃人」×2倍状態に陥っていた。「被害妄想」は病的(×6倍)に悪化していたし、日々の心身の辛さも半端ではなかった。(当時の鬱の諸症状はこちら)当時の自分はカウンセリング&パチンコ生活をしていたが、それは心身ともにギリギリな状態でなんとか日々を過ごしている状態。こんな状態で「望まない引っ越し」や「望まない一人暮らし」をするエネルギーがあるはずもなく、それに対する凄まじい不安と憎しみも発生していた。



⑤当時の自分は1年間の引きこもり生活を終え、ようやく外の世界に出れるようになっていた。そこで新しく始まった生活は、週1回カウンセリングを受け、そのカウンセリング代と生活費を稼ぐ為に週4〜5回パチンコで稼ぐ生活。この生活は「鬱の廃人」状態に陥っていた自分にとってかなりの心身の苦痛を伴うものだったが、一方でそれ以上のやり甲斐と希望もこの生活に感じていた。それは自分が29歳にしてようやく掴んだ自分らしい日々だった。しかし、両親が引っ越しを言い出した事で、この明るい日々はたった2ヶ月で終わってしまった。自分は引っ越しがもたらす凄まじい憎しみと絶望と不安と悲しみに打ちひしがれ、再び人生の先行きが全く見えない状態に陥ってしまった。これによる、恨みも凄まじいものがあった。




⑥当時の自分は自分の部屋に並々ならぬ愛着を感じていた。故に引っ越しにより、この部屋を離れなければならない事に対して、身を裂かれるような精神的苦痛を感じていた。自分の部屋への愛着の理由は以下の3つ。


⑴28〜29歳の自分は1年間部屋に引きこもり続けており、病的(×6倍)な被害妄想を発症していた。その被害妄想とは家族に向けられたものであり、「父親に殺されるのではないか?」「妹の出すドア音で眠る事が出来ず、衰弱死させられるのでは??」といったもの。そして、「自分の部屋」だけが、「父親」や「妹の出すドア音」から自分を1年間守り続けてくれた、そんな感覚を持っていた。


⑵引きこもりの1年間を経て、自分は限定的にだが、「自分に対する自信」を大きく取り戻す事に成功していた。それは引きこもり前の状態と比べると生まれ変わったかのようなポジティブな変化だった。そして、その生まれ変わりが起きた場所は「自分の部屋」に他ならなかった。つまり「自分の部屋」とは、自分が自分の手で自分の精神を生まれ変わらせた場所。当時の自分にとって自分の部屋は「聖地」のような意味合いを持っていた。


⑶自分はこの部屋には中学2年生の時に引っ越してきて、17年間の時間をこの部屋で過ごしてきた。そして、この17年間はただひたすら孤独と挫折が続き、心身が壊れて行くだけの17年間だった。高校時代の暴言事件によって、日曜夜ごとに激しい喘息に苦しんだのもこの部屋であり、大学空手部の恐怖で夜眠れなかったのもこの部屋。そして、「尿管結石事件」が起きたのもこの部屋。この部屋で自分は17年間孤独と恐怖に苦痛にのたうち回り、心身を壊していった。つまり、30歳の自分は、この部屋に対して「自分の17年間分の悪戦苦闘の歴史が刻み込まれている」という意味での愛着も感じていた。



「東○荘事件後にさらに悪化した憎悪と被害妄想」



❶家族3人に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪 (自分が両親に対して憎しみを募らせていく過程はこのブログのトップ記事 「人生年表&鬱悪化のフローチャート 」をお読み下さい。)


❷ 「もしベッドに入り寝てしまったら、その無防備な所を家族に襲われ、殺されてしまうかもしれない」という病的(×12倍)な被害妄想(詳細はこちら



・東○荘事件の後、両親が引っ越しの決行を決めた事による、過去に例を見ない程の挫折感と虚無感(東○荘事件の詳細はこちら)



また、自分は引っ越しの前夜に以下の事態が起こり得る可能性を想定していた。


「引っ越し当日に予測不能な非常事態が起こり、それによって自分が両親と直接喋らなければならない事態」


この想定は自分にとって最悪の最悪の想定であり、もしこの想定が現実化したなら、自分の気は狂ってしまう事は確実。故に自分は翌日の引っ越しが致命的に恐ろしくて仕方なく、夜眠る事がほとんど出来なかった。



朝7時。自分はほとんど眠れていない身体でベッドから出た。しかし、引っ越しは10時からなので、こんなに早く起きる必要性は全く無かった。しかし、もはやこれ以上ベッドの中にいても恐怖で眠れそうになかった。むしろ、ベッドから出た方がまだ気持ちが紛れて、気が楽だった。



ベッドから出てみると、前日の疲労感はほとんど回復しておらず、むしろベッドに入る前より身体が重くなっている印象すらあった。しかし、ここまで来たら、とりあえず引っ越しをやり切るしかない。



朝8時。自分は原付に荷物を載せて、一足先に引っ越し先に向かった。荷物は自分の部屋の扇風機。ただし、この扇風機は原付で運ぶには大きさがけっこう大きく、運ぶ最中の原付の運転が安定感の無い運転となった。原付のハンドルを握っている腕が、扇風機に当たってしまって、ハンドル捌きに支障が出るような状態だった。



不安定な原付の運転を30分ほど続け、なんとか新しい一軒家に着いた。自分は事前に貰っていた鍵で中に入り、新しい自分の部屋に扇風機を持っていった。ただし、何故にこの時の自分がわざわざ原付で扇風機を運んだ理由は謎。あと3時間もすれば引っ越し業者が家にやってきて、扇風機を新しい家に運んでくれる予定だったのに。



その後自分は一度元の家に戻った。すると10時に引っ越し業者が家にやってきた。引っ越し業者は自分の部屋の段ボールや家具を20分くらいでほとんど持っていき、自分の部屋は呆気なく空っぽになってしまった。



自分は空っぽになった部屋を見てなんとも言えない気持ちになった。自分はこの部屋に中学2年生の頃から住み続けそれからの16年間をこの部屋で過ごした。故に⑶の理由でかなりの愛着をこの部屋に感じていた。



また、⑴にあるようなこの部屋は自分にとって、外敵から自分を守ってくれる「殻」の役割りも果たしていた。同時に⑶にあるように「自分の精神がポジティブに生まれ変わった」という意味での「聖地」でもあった。故にこの部屋との別離は自分にとって耐え難い苦痛であった。



自分はこの日の為に買った使い捨てカメラで、空っぽになった部屋の様子を撮りまくった。そして、一通り撮り終わるといよいよお別れの時。話によるとこの家は引っ越し後取り壊されるという話なので、もう2度とこの部屋を見る事は出来ない可能性が高い。自分は本当に感無量の気持ちになった。



自分は部屋を去る際、この部屋に対してただただ感謝の気持ちしか無かった。よって立ち去る際に、部屋の中に向かって深々と頭を下げ、「16年間お世話になりました」と呟きました。そして、部屋の壁にキスをして、この部屋を後にしたのだった。



自分は新しい家に原付を走らせ、20分程で到着した。程なくして引っ越しのトラックも新しい家の前に到着し、搬入作業が始まった。自分は引っ越しの作業員さん達に、家具の配置場所を説明し、その通りにベッドや本棚やテレビが次から次に新しい部屋に搬入され、設置された。その後段ボールが20箱くらい搬入され、自分の部屋の搬入は終わった。時間にして30分ほど。



とりあえずここまでは前夜に想定していた「最悪の最悪の想定」は起こらず、自分は少し安堵した。



自分はその後、段ボールの荷開け作業に取り掛かった。と言ってもこの日20箱全ての荷開けを終わらすつもりは無かった。自分はとりあえずここ1週間くらいの下着や服を取り出し、衣装ラックに入れた。そして、本棚に本が並んで無いと落ち着かないので、本を並べた。



その後テレビの配線作業も行った。部屋に引かれているアンテナ線をテレビと繋げた。当時の録画機器は「ハードディスク」ではなく、「ビデオテープ」。



上記の作業をしていると時間は過ぎ、気付けば夜8時。随分前に引っ越し業者は帰っており、家全体の引っ越しもとりあえずは終わった様子だった。ここに来て自分は今日の引っ越し作業が一通り終わった事を確信し、心の底から安堵した。そう、前夜に想定していたような以下の想定が現実化する事をなく、引っ越し作業を一通り終わらす事が出来たのだ。


「引っ越し当日に予測不能な非常事態が起こり、それによって自分が両親と直接喋らなければならない事態」



もし、引っ越し当日になんらかの大きなトラブルが起こり、上記の事態が現実化していたなら、自分の精神は憎悪と被害妄想に完全支配され、崩壊していた事だろう。しかしこの日の引っ越しは、順調に進み、途中妹を通じてコミュニケーションを取る場面はあったものの、上記のような場面は訪れなかった。自分はその事に本当に心の底から安堵した。



思い返せば、自分が最初に両親から引っ越しの話が最初に聞いたのが、前年の11月頃で、引っ越し当日が翌年の6月だった。そして、この6ヶ月の間、引っ越しが原因で「東○荘事件」が起こり、自分は致命的な精神的ダメージを受ける事となった。そして、「首吊り装置」という「最終安全装置」を自分の部屋に設置した上で、文字通り命懸けでこの引っ越しに臨んできた。そして、何とか引っ越し当日を迎え、こうして引っ越し作業を一通り終える事が出来た。



もちろん、この時点では引っ越し作業が全部終わった訳では無かった。段ボールの荷開けはまだまだ残っていたし、今後電子レンジを買いに行ったり、大きな物置の引っ越しもしなければならなかった。しかし、とりあえず大枠の引っ越し作業は無事終わった。なんとか「引っ越し」という絶望的過ぎる出来事を終わらす事が出来たのだった。当時の自分はその事に心の底から本当に安堵感を覚えた。



その後自分は夜ご飯を食べ、風呂に入った。この時の自分の身体は睡眠不足と疲労感でかなり意識朦朧としていたので、風呂から上がるとすぐにベッドに入った。ベッドに入ると、天井が全く見慣れぬ天井でかなりの違和感と悲しさを感じた。しかし、それも束の間、すぐに睡魔に襲われ、寝付いたのだった。



フローチャート終わり』


ここからは前回の記事をそのまま引用したいと思います。自分が引っ越し直後から激しい虚脱状態と放心状態に陥った、という話です。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。


『前回記事からの引用』


そして、自分は上記のフローチャートの翌日に電子レンジを購入し、さらにその2〜3日後に大きな棚の引っ越しを実行した、ということになります。これにより、引っ越しの後始末はほとんど終わり、自分はかなりの安堵感と達成感に包まれました。そう、自分はこの引っ越しに臨むにあたって「首吊り装置」を設置したのですが、それを使う事なく、無事引っ越し作業を終える事が出来たのです。それは、かなりの安堵感と達成感を感じるはずです。


そして、大きな棚の引っ越しが終わった後の自分は、それらに加えて激しい虚脱状態と放心状態にも陥った記憶です。この半年間自分はまさに命懸けで引っ越しに臨みました。引っ越し作業の最中に憎悪と被害妄想で正気を失いそうになったら、「首吊り装置」でこの世から離脱しようと決めていたのです。つまり、この半年間自分の心は常に「死の恐怖」に晒され続けていました。この間に蓄積した緊張感や疲労感や不安感は半端ありません。途中では「東○荘事件」も起こりましたし、それ以外にも何度恐怖で眠れない日々を過ごした事でしょう。



ですから、自分は引っ越しの後始末が終わった事で、かなりの安堵感と達成感を感じましたが、一方では激しい虚脱状態と放心状態」にも陥ってしまったのです。いわゆる「燃え尽きた」という状態です。



この状態はかなり長く続いた記憶です。長期的に見ますと、ここから短くても5年間は続いた印象がありますし、あれから15年間経った現在でもそれらは自分を苦しめている感覚もあります。



『引用終わり』



このように自分は今回の引っ越しが原因で極度の虚脱状態と放心状態に陥りました。そして、以前の記事にも書きましたが、この「引っ越し」によって自分の鬱はさらに2倍悪化してしまいました。まとめますと、「引っ越し」によって自分の鬱はさらに2倍に悪化し、心身が極度の虚脱状態と放心状態に陥った、という事になります。もう少し具体的に書きますと、「引っ越し及び東○荘事件」にが原因で、自分の鬱はさらに2倍に悪化し、心身が極度の虚脱状態と放心状態に陥ったのです。



今回の記事では、自分の鬱がどのように悪化していったのかを振り返ってみたいと思います。まずは今回の引っ越しの話が出てくる「以前」の話です。今回の引っ越しの話が出てくる前、自分は部屋に引きこもり、ノートに自分の過去を書きまくっていました。そして、この時点で自分の心身は「鬱の廃人」×2倍状態に陥っていたのです。この『「鬱の廃人」×2倍状態』状態を詳細に書くと下記の9個の諸症状に分けられます。かなり長いコピペになります。


「引きこもり時期の9個の鬱の諸症状」


①当時の自分は睡眠を取っても取っても酷い疲労感が全く取れず、睡眠への欲求が底無しになっていた。自分にとって睡眠は、自分の生命と同じ価値を持っており、「睡眠を妨害される」=「生命を激しく傷付けられる」となっていた。故に自分の睡眠を妨害する可能性のある音に対して、「病的(×6倍)な怯え」と「病的(×6倍)な憎しみ」を感じる事に。


そして、実際に自分が睡眠を取ろうと布団の中に入ると、瞼を閉じた途端、上記の怯えと憎しみに襲われてしまい。全く眠る事が出来ない。実際にはまだ「睡眠を妨害する音」は発生していないのだが、その発生を先取りして考えてしまい、予期不安(予期憎悪)が発生。これにより自分の身体は恐怖と緊張でガチガチに強ばり、冷や汗ダラダラで覚醒してしまう。睡眠を取る際には毎回1時間、この恐怖と緊張に必死に耐え続けないと、寝付く事が出来なかった。


また、当時の自分は睡眠への欲求が底無しになっており、身体が無限に睡眠を要求していた。しかし、いざ実際に睡眠を取ろうとすると、上記の如く「病的(×6倍)な怯え」と「病的(×6倍)な憎しみ」に襲われ、全く寝付く事が出来ない。身体は無限に睡眠を欲しているにも関わらず、いざ睡眠を取ろうとすると、耐え難い精神的苦痛に襲われてしまう。これは自分の身体の中で起こっていた「激し過ぎる自己矛盾」であり、これによるメンタルダメージも甚大だった。



②引きこもり中も相変わらず食欲は完全消失していた。記憶のサルベージ(言語化)によって言語化される記憶のほとんどはトラウマであり、「記憶のサルベージ」=「トラウマの再体験」と言って良い。そして、トラウマを再体験すればする程、自分の胃は10kgの鉛を飲んだように重くなっていった。こんな状態で食欲が湧くはずがない。


③酷い冷え性は大学空手部時代と比べてさらに2倍悪化。それ故異常に風邪を引きやすくなっており、風呂にも入れない。頭がどうしても痒くなった時に月に1度シャンプーするくらい。湯船に入る体力は無い。また、眠る時には服を5〜6枚重ね着し、布団を6〜7枚掛け、さらにその上にいらない服を6〜7枚載せないと寒くて眠る事が出来ない。しかもこの状態で①の精神的苦痛に襲われ続け、1時間耐えねばならなかった。


④ 大学空手部時代と比べて慢性的な背中の激痛と眠気は2倍に悪化していたのだが、これらは部屋に引きこもっている1年間はそれほどの苦痛にはならなかった。本当にこれらがキツかったのは引きこもり明けのパチンコで稼いでいる時期。パチンコを打っている間、これらの肉体的苦痛がホント辛くて仕方なく、その肉体的苦痛で意識朦朧としながらパチンコを打っていた。


⑤自殺願望も大学空手部時代に比べて2倍悪化していた。社会生活と家族関係から完全脱落し、体調も「鬱の廃人」×2倍状態に陥っている自分にとって、ますます自殺願望だけが唯一の心の支えとなっていた。

ただし一方では「記憶のサルベージ(言語化)を終わるまでは絶対に死ねない!!」との思いも強かった。自分はこの疑問の答えを心の底から切実に欲していた。


「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


故に「記憶のサルベージ(言語化)が終わるまでは死んでも死に切れない」との思いもあった。つまり当時の自分は自殺願望に関しても両価的(自己矛盾)だったと言える。


⑥慢性的な口内炎


⑦自分は空手部引退後の6年間、トレーニングに対しても挫折し続けていた。やってもやっても体調を壊すばかりだった為、次第にトレーニングの強度は落ちていった。引きこもり期間に入ると、もはやそれはトレーニングではなく、30分間の散歩になっていた。しかし、それでも翌日の体調は壊れてしまう。自分はその状態にかなりの情けなさを感じていた。


⑧当時の自分は、サッカーの日本代表戦に溢れ返る殺意を感じていた。その理由は以下の5つ。


❶ノートにひたすら過去のトラウマを書いていく事で感じるストレス。それは空手部時代を始めとする数々のトラウマを再体験するという事であり、これだけでも発狂もののストレス。


❷当時の自分は母親と妹に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。(自分が家族に対して憎しみを募らせていく過程はこのブログのトップ記事 「人生年表&鬱悪化のフローチャート 」をお読み下さい。) そんな母親と妹が仲良さげにサッカーを見ている事が許せない。


❸自分は全ての社会生活と家族関係から脱落して、ひたすらトラウマと向かい合っていた。一方、母親と妹はお気楽にサッカーを楽しんでいる。この格差に対する凄まじい憎しみ。


❹深夜の時間帯(1時以降)に騒がれることに対する憎しみ。普段この時間帯は、他の家族は寝ていて、自分一人だけの落ち着く時間帯。その落ち着く時間帯を土足で荒らされているような激しい憎しみ。


❺自分が全ての社会生活と家族関係から脱落し、ひたすら過去のトラウマをノートに書いている時に、日本全国が日本戦の話でお祭り騒ぎになっている。それに対する悲しさと孤立感と絶望感。



⑨部屋に引きこもってから半年後くらいに「父親突入事件」が発生。この事件によりさらに甚大な精神的ダメージを受ける事となった。その精神的ダメージの内訳は以下の5つ。

「父親突入事件で受けた精神的ダメージ」


❶そもそも自分は事件前から父親に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。1年半前に起きた「尿管結石事件」、その事件における父親の言い放った血も凍る様な暴言を忘れるはずがない。また、自分は幼い頃から父親に対して何の愛情も信頼も感じないまま年齢を重ねていた。父親は幼い自分に対してひたすら無関心であったので、自分の中に遊んで貰った記憶や楽しかった記憶が皆無。自分にとって父親は「お金を稼いでくる透明人間」だった。



❷部屋に引きこもってから半年後くらい経つと、父親がドア越しに「〇〇(自分の名前)部屋で何やってるんだ???」と声を掛けてきた。自分は問い掛けを聞き、はらわたが煮え繰り返った。その理由は①の通り。自分にとって父親は幼い頃から「父親」ではなく「お金を稼いでくる透明人間」であったし、「尿管結石事件」での暴言によって「殺したい」程の憎しみを感じる相手になっていた。そんな父親が父親ズラして自分に問い掛けてくるのが、はらわたが煮え繰り返って仕方がない。自分は当然の如く問い掛けをガン無視。



❸その父親からの問い掛けは日を置いて3〜4回続き、自分はその度ごとにはらわたが煮え繰り返っていた。ある日自分は憎しみが限界を超え、問い掛けに対して「うっせぇ!!!俺は俺でやってるんだからほっとけ!!!」と怒鳴った。それに対して父親も怒鳴り返してきて、3〜4回怒鳴り合いが続いた。すると、父親は「お前はホントに何をやってるんだ!!!」と怒鳴り、ドアを開けて、自分の部屋に突入してこようとした。もちろん父親を部屋に入れる訳にはいかない。自分は必死にドアを押さえ、父親が入って来れないようにした。そんなドア越しの押し合いが5分程続き、結局父親は諦めて去っていった。



❹事件後の自分の心の中は超パニック状態に陥った。まず発生したのは、凄まじい殺意の嵐。事件前から自分にとって父親は「殺したい」程憎い存在だったのだが、そんな父親が無理矢理自分の部屋に入ろうとしてきたのだ。その行動に対する殺意の衝動は凄まじいものがあった。


❺一方自分の心の中には、凄まじい恐怖感も発生していた。今回の事で父親のそういう邪悪な意志が確認出来た以上、いつまた同じ様な事態が発生するか分からない。今後もしかしたら自分が寝ている時に父親が部屋に突入してくるかもしれない。さらに当時の自分は被害妄想が病的(×6倍)に激しくなっていた為、物事を究極的に悪く考える癖が付いていた。よって寝ている時に父親が部屋に突入してきて、自分は殺されるのではないか、という被害妄想が発生した。ただでさえ自分は①の被害妄想により、布団に入ってから寝付くまでに1時間かかるようになっていた。そこに加えてさらに新たな被害妄想が発生した為、寝付くまでの時間が1時間から1時間半に伸びた。また、寝付けたとしても極度に睡眠は浅く、ほとんど疲労感が取れていない状態。



上記のコピペにありますように、自分の心身は引っ越しの話が出て来る「以前」の時点ですでに「鬱の廃人」×2倍状態にあったのてす。そして、上記の「鬱の廃人」×2倍状態は、引っ越し及び東○荘事件によって、「鬱の廃人」×4倍状態に悪化してしまいました。それはつまり、上記の9個の諸症状がそれぞれさらに2倍悪化した事を意味していました。



その結果、引っ越しが終わった後の自分の心身は、極度の虚脱状態と放心状態に陥った、という事になります。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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