「父が開業15年目で胃に穴が空き、入院した際、それまでに蓄積していた心理的葛藤 ①〜10(フルver)」
①開業後、父の仕事量が勤務医時代と比べて2〜3倍に増えた。
勤務医時代は病院にいる時間だけ働けば良かったのだが、自宅で開業となるとそうは行かなかった。父は昼夜を問わない往診依頼に応え続け、睡眠は削られていった。また通常の診療においても1日に100人診察する事もあった。父はただでさえ体力が無い人間なので、勤務医時と比べて消耗度が2〜3倍になってもおかしくはなかった。
② そもそも医師という職業へのモチベーションが極めて低い
「 「父が大学3年生で休学し、休学期間が6年間も続いて要因①」 にあるように、父は医者になりたくて医者になった人間ではなかった。故に医者という職業に対するモチベーションがかなり低く、医者という仕事の激務への耐性もかなり低かったのだと思われる。このようなモチベーションの低さによって、心身がさらに消耗したと思われる。
③ 仕事のストレスを誰にも相談出来ず、一人で抱え込んでいった。
父方の祖父はかなりヒステリックな性格であり、どこに地雷があるのか分からない人だった。(祖父の性格の詳細はこちら)故に祖父の家の食卓は常に緊張感に満ち溢れ、皆黙々とご飯を食べるだけだった。このような家庭環境の中で父は日々の生活における様々な出来事を家族と共有する事は不可能だったと思われる。当然、父は幼い頃から日々の出来事で起こった嫌な事や辛い事も一人で抱え込んでいった事だろう。このような家庭環境が父の性格形成に多大な影響を与えたのは間違いなく、結果父の性格は「超神経質で、超人嫌いで、超世間知らずで、永遠の中二病で、人間の好き嫌いが激しい人間」になってしまった。また、このような家庭環境で「自発性(好奇心)」「思いやり(想像力)」「自己肯定感」も育つはずもなかった。
故に、父は開業後に発生した①②④のストレスに関しても誰にも相談する事が出来なかったと思われる。
④ 父の開業の話を聞いて、父方の祖母と引きこもりの叔父(四男)が勝手に我が家の近所に住み着いてしまう事件が発生。
父としてはこの2人の存在を完全に無視したかったのだが、母はこの2人への対応を父に激しく求め続けた。母は暖かい家庭に育っていたので、近くに住む父方の祖母と引きこもりの叔父を無視し続ける事など出来なかった。しかし、そもそも父の家庭の人間関係は元から凍り切っていて、家庭内はバラバラ。しかもこの時の父は開業によって激しい消耗状態に陥っていた。よって、父にはこの問題に対応する力は皆無であり、2人の存在を無視するしか、方法は無かった。
このようにこの問題に対する両親のスタンスは180度真逆のものであり、どんなに言葉を尽くしてもお互いの溝は全く埋まらなかった。よって、我が家の食卓においては、この問題を引き金とする両親の激しい喧嘩が10年以上続く事になった。
⑤父はアルコールに溺れ、母親は「離婚したい、離婚したい」と泣く毎日。
③にあるように、父は①②④の激しいストレスの数々を誰とも共有する事が出来ず、その膨大なストレスの捌け口をお酒に求めるしかなかった。よって、父は開業後アルコール依存気味になり、家の中での行動が荒れていった。母はそんな父に酷く怯え、「離婚したい離婚したい」と泣く日々。これによって、当時小学校3年生の自分と小学校1年生の妹の心も同時に病んでいく事になった。我が家は戦争状態に陥り、それは10年以上続く事になった。
⑥ 開業から5年目に父が母親に全く相談する事なく、半ば騙される形で中古のボロ家を買わされてしまった。これによって母親の怒りが怒髪天を衝いた。
開業から5年後に我が家は家を購入し、そちらに引っ越す事になったのだが、それが夫婦間の新たな酷い火種となった。父が購入したその家は、値段の割にボロボロの中古の一軒屋であり、父はこれの購入を母に全く相談せずに決めてしまった。これによりうちの母親の怒りは怒髪天を衝き、我が家は更なる戦争状態に陥った。( 母親の激怒の理由❶〜❸はこちら)
⑦ 父は開業以降自身に起き続けた心理的葛藤①〜⑥を全く言語化せず、全く整理整頓出来なかった。それによって父の記憶の海の底にはトラウマが溜まりまくり、父の心は無力感と虚無感で溢れ返っていった。
これにより父は患者さんの話という『情報』が頭の中に入ってこなくなってしまった。ここから父は新たな集客の柱を求めて、代替医療の研究に傾倒していく事になった。これには「中二病の再発」という面もあった。
⑧ 開業から11年後、我が家に新たな酷い火種が発生。父がとある整体師と出会い、その整体師に心酔し始めたのだった。母親は父親がこの整体師に洗脳されているのではないかと激しく疑い、父親の事を激しく糾弾した。
父はその整体師の整体を受けるうちに、どんどん彼に傾倒していき、心酔していった。父は整体師と共同で代替医療の研究を行い、本を共著で書いたり、共同で研究所を立ち上げたりしていった。つまり父親はこの整体師をどんどん医院の経営の内部に入れていってしまったのだった。しまいにはこの整体師が大学に通う為の額を全額払うとまで言い出す始末。
父のこの動きに大きな危機感を抱いていたのが、母だった。どのような危機感かと言うと、父がこの整体師に心酔する余り、この整体師に医院の経営の主導権を渡してしまうのではないか、という切実な危機感だった。その切実な危機感は、 「開業から11年後、父親(当時50歳)が整体師に心酔していく事件が発生。この時に母親が父親に対して感じていた莫大な不信感と怒り❶〜❺(フルver)」 の中の❶〜❹の莫大な不信感の蓄積の結果と言っても良かった。特に❸にあるように、父は銀行の支店長に半ば騙されるような形で中古のボロ家を買わされていたのだ。母はこの事件の再来を病的に激しく恐れていた。故にこの整体師の件でも父が整体師に騙され、洗脳されているのではないかと、激しく疑い、責め立てた。
⑨代替医療研究への没頭
この頃の父は整体師と共に代替医療研究に没頭しており、それによってかなり心身を消耗していたと思われる。これにより、胃に穴が空く1〜2ヶ月前から血便が出ていたそう。父自身は、この没頭が胃に穴に空く要因になったと感じている。
10土下座事件
父の入院から遡る事1〜2週間前、自分は両親に対して大学休学の承認を得に行った。しかし、そこから話の流れは全く思いもよらなかった方向に展開し、最後には母親と共闘して、父親を土下座させる事になってしまった。この事件によって父がメンタルダメージを受けた可能性は充分考えられる。