鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

母親と喋り始めてみると、言葉が止まらない(2007年11月・31歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 母親と喋り始めてからの生活(2007年11月・31歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が母親と喋り始めた頃の日々の生活についての話でした。そう、自分は母親と喋り始めてから最初の2〜3ヶ月は1日4〜5時間母親と喋っていた記憶です。本来なら自分が母親と喋るなど絶対にあり得ない選択肢でしたが、犬の吠え声の出現を経て、実際に喋り始めてみますと、次から次に自分の中から言葉が溢れてきて止まりません。何故なら自分はそれまでの31年間の人生において、母親に自分の学校生活について喋る事が皆無だったからです。自分の心の中には17年間分の詳細な学校生活の記憶が溜まりに溜まっていたのでした。そう、振り返ってみますと、小学校、中学校、高校、大学の17年間において、自分が両親に自分の学校生活の様子を喋って聞かせる事など、事務的な話以外は皆無でしたからね。いや、それは学校生活に限った話ではありません。自分は生活全般に渡って何も家庭内で喋ってきていません。何度も書いていますが、我が家は自分が小学校3年生以降戦争状態に陥りましたから、自分が何かを喋れる雰囲気は全く無かったですし、逆に両親が自分に学校生活や生活全般について聞いてくる事も皆無だったのです。また、自分は幼い頃から両親に「興味をもたれた」記憶がありません。父親と母親は、新しく始めた事業やそれから派生した親族問題を巡って激しくぶつかり合い、そこに時間やエネルギーの全てを捧げていました。故に子供の自分の事を顧みる余裕など1ミクロンも無かったのです。また、そもそも両親は事業を始める以前(小学校3年生以前)から、自分という存在について興味が薄かった印象もあったりします。ここら辺の詳しい話はこのブログの初期に書いてありますので、興味のある方はお読み下さい。




こんな感じで自分は学校生活について何一つ両親に喋る事のないまま、年齢だけを重ねる事となったのです。故に精神年齢の成長は小学校3年生で止まり、その後年齢を重ねれば重ねる程周りとの精神年齢差は大きくなっていきました。そして、精神年齢差が開いていけば行く程、周りのクラスメートとのコミュニケーションは困難になっていきました。結果自分はどんどん孤独感を蓄積させていき、高校1年生で鬱発症。その後の大学生活でも孤独感は酷くなっていく一方で、さらに自分の鬱も悪化していきました。そして、自分は2004年・28歳で矢尽き盾折れ部屋に引きこもる事になりました。そこで、これまで全く言語化して来てこなかった学校生活・家庭環境の記憶を1年かけて一気にノートに書いていったのです。その中で自分は「何故自分がどこに行っても周りとコミュニケーションを取る事が出来なかったのか」、その謎を解き明かしていきました。この作業により自分は引きこもりを脱しますが、直後に両親によって引っ越しが強行され、自分の鬱はさらに悪化。そして、引っ越しから1年4ヶ月後の31歳の時に、自分は母親に自分の人生を喋り始めた、という流れになります。ですからこの時点で自分の中には17年間分の学校生活の記憶が溜まりに溜まっており、だから言葉が次から次に出てきて止まらなかったのです。自分は最初の2〜3ヶ月は1日4〜5時間母親と喋っていました。まぁその喋っている記憶の95%は、孤独と挫折と恐怖のにまみれた、漆黒のトラウマだった訳ですけどね。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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