鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

母親と喋り始めてからの生活(2007年11月・31歳)

皆さんこんにちはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「首吊りを悩みつつの深夜アニメ視聴(2007年11月・31歳)」の続きを書かせて頂きます。





前回の記事は、自分の2007年10月〜12月のカオス過ぎる状況についての話でした。そう、この時期の自分は、「首吊り」or「母親と喋る」という2択に深く葛藤していたのですが、一方では深夜アニメを1日平均2本見て、その感想をSNSにアップしてもいたのです。懐かしいですねぇ。そして、その2択で「母親と喋る」を選んだ自分はその後母親と喋り始め、自分の鬱まみれの人生を喋って行く事となりました。自分が2択で悩んでいたのが2007年11月下旬くらいで、母親と喋り始めたのが2007年12月の頭って感じ。そこから自分は母親にこれまでの自分の人生を喋っていったのですが、それ以外の雑談をする時間もけっこうありました。雑談の内容は天気の話とか体調の話とかたわいもない話です。そして、そういう雑談の中で近況として当時見ていた深夜アニメ「Myself ; Yourself」のストーリーを詳細に喋って聞かせたんですね。そして、この作品の1番の名シーンをテレビで実際に母親に見せた記憶もあったりします。(見ている方しか分からないと思いますが、郵便ポストから手紙が山のように出てくるシーンです。)また、前シーズンにやっていた「School Days」に関しても母親にストーリーの詳細を語って聞かせましたね。そんな感じで、自分は母親に自分の人生を喋りつつも、近況を喋る事もありましたし、その最中に母親に対してブチ切れる事もよくあった、という事になります。そう、そもそも自分にとって母親は「殺しても殺し足りない」以上に憎い存在でしたから、母親を目の前にするとどうしてもコントロール不能な暴力衝動が自分の心の中で暴れ回るんですよ。(その理由はこちらになります→「何故両親に対して「殺しても殺し足りない」程の憎悪を抱くに至ったのか(2006年8月頃・30歳)
」)ですから、自分は母親を目の前にするとそれを必死に押さえつけなければなりません。だって自分が母親にコンタクトを取っている理由は「暴力をふるう為」ではなく、「自分の人生を喋る為」なのですから。しかし、そうするとその押さえ付けた暴力衝動によって今度は自分の方に甚大な精神的苦痛が発生するのです。よって自分は母親と喋っている時間は基本超不機嫌でしたし、超ブチ切れ易い状態でもありました。ですから自分は母親のちょっとした言動にもブチ切れてましたし、理不尽に母親を責める事もよくありました。また、それに対して母親も言い返してきて、とても激しい口喧嘩になる事もしばしばあったのです。そういうとても激しい口喧嘩を自分と母親は幾度となく繰り返していた記憶です。



そう、ですから自分は母親に自分の人生を喋りつつも、アニメ話などの雑談もし、さらに幾度となくブチ切れていた、という事になります。そもそも自分にとって母親は「殺しても殺し足りない」以上に憎い存在でしたから、「母親と喋る」という選択肢など絶対にありえない選択肢だったのです。しかし、犬の吠え声の出現を経ていざ母親と喋り始めてみますと、自分の中から言葉が湯水のように溢れてきたのでした。過去の記憶が次から次へと浮かんでくるのです。ですから自分は喋り始めて最初の2〜3ヶ月は1日4〜5時間母親と喋っていた記憶です。そう、2007年12月の自分は、母親と1日4〜5時間喋りつつも、自分の部屋に戻れば深夜アニメを1日平均1時間視聴し、時にはその感想を1〜2時間かけて書いていた、という事なんですね。う〜ん、ハードスケジュール。



振り返ってみますと、1年半前の引っ越し以降の自分の生活って、1日のうち18時間をベットの上で過ごし、6時間だけを起きて活動するような生活でした。そう、殺人的な疲労感と眠気で意識朦朧としていましたから、ベットから起きれる時間は限定されていました。しかし、母親と喋り始めてからはこの生活に変化が訪れたように思います。そう、1日4〜5時間母親と喋っていますし、さらに深夜アニメを1日平均1時間視聴、時には深夜アニメの感想にも1〜2時間費やしていましたからね。ですから母親と喋り始めてからは、ベッドから出て活動している時間は増えてたと思います。しかし、果てしない疲労感や眠気で意識朦朧としている状態は全く変わってはいなかったと思います。相変わらず自分は「睡眠を妨害する可能性のある音」に対して、病的過ぎる恐怖と憎しみを感じていましたから、眠りの質は劣化しまくっていたのです。ただし、母親と喋っている時間は多少意識がしゃんとしていた記憶です。そう、喋り始めると身体の中で血が巡るのか、意識は冴えていましたね。特に過去の自分の人生を喋っている時間は、かなり冴えていたと思います。やはり自分はそれを喋る為に母親とコンタクトを取っていましたから、それを喋る時間はとても気合いが入っていた記憶です。懐かしいですねぇ。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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