鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

母親に自分の鬱人生を喋っていく(2007年12月・31歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 母親と喋り始めてみると、言葉が止まらない(2007年11月・31歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、2007年の11月頃に自分が母親と喋り始めたという話でした。そう、自分は母親に自分のそれまでの人生を喋り始めたのです。自分のそれまでの人生は、孤独感と挫折感と恐怖感だけがただひたすら蓄積していき、心と身体がぶっ壊れていくだけの31年間だった訳ですが、その31年間を母親に喋り始めた、という事になります。懐かしいですねぇ。その中で自分はこれまで全く母親に喋ってこなかった学校生活の話を母親に喋っていったのです。そう、どのようにして自分が学校生活で周りと全くコミュニケーションが取れなくなり、孤独感を蓄積させていったのか、という話です。何度も書いていますが、自分の精神年齢の成長は家庭環境の悪化が原因で小学校3年生で止まってしまいました。故に自分は周りの空気が全く読めず、学年が進むにつれて、学校生活の中で様々な失言と挫折を経験する事となったのです。そして、この時に出来た心の傷がより周りとのコミュニケーションを難しくしていき、孤独感を蓄積。結果高校1年生で鬱を発症です。ですから、自分はこの鬱発症の過程を全て母親に喋っていった、という事になります。そう、自分が学校生活においてどのような失言と挫折を繰り返していったのか、その失言や挫折のエピソードの一つ一つを詳細に説明していったのです。その具体的なエピソードの一つ一つはこのブログの前半に書いていますので、興味のある方はお読み下さい。




そして、自分は高校3年生の時にそんな自分を変えようと決意しました。そう、周りと全くコミュニケーションが取れない自分を変えようと思ったのです。そこで大学入学を機に空手部に入るのですが、そこでの練習は自分には厳し過ぎました。自分は練習日の前夜、練習の恐怖で眠れなくなってしまい、そんな日々が3年間続いたのです。結果空手部を引退した頃には鬱がさらに3倍悪化する事に。毎度毎度の当時の鬱の諸症状のコピペです。



「大学空手部時代の鬱の諸症状」

・大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
・慢性的な食欲消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
・酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
・慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
・常に訳もなくず〜っと悲しい。
・慢性的な口内炎




もちろん自分はこの大学空手部の記憶も母親に喋りました。というか、この空手部関連の話は自分の記憶の中ではとても喋り易い部類の話です。よって母親と喋り始めてからすぐくらいに喋ったような気もします。もちろん母親にとってはこの空手部の話も全く初耳だったと思います。当時の自分がこの空手部の練習の恐怖を親に喋る事など一切無かったですからね。いや、当時の自分は、友達も皆無でしたから、誰にもこの恐怖感を喋れず、どんどん鬱が悪化していく事になったのでした。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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