鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

空手部時代の話②

みなさんこんばんはスキッパーです。見に来て下さりありがとうございますm(_ _)mもし初めてこのブログに来た頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「空手部時代の話」の続きを書かせて頂きます。



前回は自分が空手部に入部したいきさつについてでしたね〜。あの時は「空手部に入って自分を変えるんだ!」と意気込んでいたのですが、前回書いた通りこの空手部の練習は自分にとって余りにも厳し過ぎ、結果自分を変えるどころか、鬱が3倍酷くなってしまいました。



どういう事かと言うとこの空手部の練習の中に「人間サンドバッグ」というメニューがあったのですが、これが鬼きつかったんですよ。この人間サンドバッグというメニューは先輩と1対1で行う練習で、先輩が防具やミットをつけ、後輩はその防具やミット目掛けてひたすら連続で突きや蹴りを繰り返していく中で先輩を後ろに下がらせて行き、道場を往復すると1セット終了というものでした。これがまぁ心肺機能がめちゃくちゃ追い込まれるんです。まぁ1セット大体1分ぐらいでしたかね〜。1分間休みなく全力でひたすら突きと蹴りを繰り返す、と。それでまぁ普通にやっても心肺機能が追い込まれるものだったのですが、これが厳しい先輩に当たるとなかなか1セットを終わらせてくれないんですよ。先輩を後ろに下がらせて行き、先輩の背中を道場の壁につけると1セット終了で20秒くらい休憩が取れるのですが、「あとちょっとで道場の壁で1セット終わりだ!」って所まで来ると、先輩が猛烈に押し返してきて、スタート部分まで戻されて0からやり直しみたいなwですから先輩がその気になれば延々と後輩を追い込み続ける事ができる練習で、心肺機能を鍛えると共に根性を鍛える面もある練習でした。



なんか今こうやって書いてると懐かしくて笑っちゃうのですが、当時の自分はこの練習が嫌で嫌でしょうがなかったんですよね〜。この練習っていつも行われている練習ではなく、納会の日や合宿最終日など何かのイベントがある日にやる事が多かったのですが、それらの日の前日の夜なんかは、人間サンドバッグの恐怖で上手く眠れませんでしたからね。「明日の人間サンドバッグで自分の心肺機能を追い込まれ過ぎて殺されてしまうのでは?」ぐらいの恐怖感がありました。



さらにこの人間サンドバッグはそういうイベントの日だけでなく、通常の練習の日に突発的に行われる事もありましたから、週3回の通常の練習の日の前夜も「今日は人間サンドバッグやるんじゃないだろうな、、」とビビりまくっていました。



ですから自分の大学生活はこの人間サンドバッグへの恐怖一色でもう授業どころではありません。常に睡眠不足な状態でしたから、授業もまともに受けれませんでしたし、当然友達とのコミュニケーションもグダグダです。そもそも高校の時点で周りの友達とはコミュニケーションが取れなくてなっていた訳で、それがさらに鬱が酷くなってる状態でコミュニケーションがとれるはずもない。



結局空手部を引退するまでの3年間ず〜っとそんな状態で過ごしました。お読みの方の中には「そんなに辛いのだったら部活を辞めれば良かったのに」と思われる方もいらっしゃるでしょう。当然の話だと思います。しかし、当時の自分には「辞める」という選択肢は全くなかったんですよ。何故なら自分は不毛だった高校時代の反動で「空手部で自分を変える!」という一心で空手部に入部しましたから、空手部を辞めてしまうとその不毛だった高校時代に戻ってしまうような気がして、それは絶対嫌だったのです。「高校時代に戻るくらいなら、この死の恐怖に耐えていた方がまだマシだ!」と、当時の自分の気持ちを言語化するとこういう感じだったと思います。



また、それに加えて連日続く人間サンドバッグの恐怖で自分のメンタルはもうボロボロでしたから、「空手部を辞める」などという大それた行動をとれる気力など全くなかった記憶です。もうただただ3年間が過ぎるのを耐え忍ぶしかなかった。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m




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