鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

空手部時代の話③

みなさんこんばんはスキッパーです!見に来て下さりありがとうございます。見に来て下さる皆様がいるお陰で、ブログを更新するモチベーションが保てていますm(_ _)mもし初めてこのブログに来た頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「空手部時代の話②」の続きを書かせて頂きます。




前回は空手部の人間サンドバッグという練習が原因で自分の鬱が酷くなったというお話でしたね〜。そして部活を辞めるという選択肢もなかった、と。そもそも、自分が空手部に入部した理由は「自分に自信をつけて、コミュニケーション能力を改善したい!」というものだったのですが、さすがに大学2年の途中辺りで「あれ?気付いたら高校時代よりさらに孤独になってるし、これコミュニケーション能力が改善されるどころか、悪化してないか?」と薄々気付いていたように思います。しかし、辞めるという選択肢は自分の中にありませんでしたから、「もしかしたら空手部の3年間を終えたら、終えた瞬間に自分への自信がみなぎってくるかも!」と空手部を引退した瞬間に自分が劇的に変わる事に期待を繋ぐしかありませんでした。




また学年が1年から2年と進むに連れて人間サンドバッグへの恐怖感は増える事はあっても減る事はありませんでした。全くもって人間サンドバッグの恐怖感に「慣れる」という事はなかったですね。そして3年になると今度は最上級生という立場ですから、練習を仕切る立場になり、人間サンドバッグをやるかどうかや、どれくらい厳しくやるかどうか決められる立場になりました。(自分の学年はその頃になると自分ともう一人しか残っていませんでした。)ですので人間サンドバッグそのものへの恐怖感は多少減ってたような気もしますが、その頃になると「空手部」そのものが自分にとって恐怖の対象になっていましたから、結果恐怖感の総量は変わらなかった印象です。




最上級生になるともう一人の同学年が部長となり自分は一応副部長という役職になりましたが、そんな感じのメンタルではとてもじゃないですけど後輩の指導や面倒を見れる訳もなく、もう一人の同学年に空手部の仕切りのほぼ全てを任せていた記憶です。というかそもそも自分は中学、高校時代の文化系の部活でも先輩らしい事何一つできていませんでしたからね。自分の人生は経験が何一つ蓄積していきませんでしたから、後輩に教えられる事がないんですよ。それで空手部時代は高校時代よりさらにメンタルが悪化しているわけですから、教えられる訳がない。




さてさて、そんな感じで人間サンドバッグの死の恐怖にのたうち回っただけの不毛に不毛を重ねた空手部も引退の時を迎えました。先程書いたように自分は「もしかしたら引退の瞬間に全てから解放され、自分への自信がみなぎってくるかも!」と淡い期待を抱いていたのですが、実際迎えてみると、そこにあったのはただひたすらの徒労感と脱力感と虚無感と厭世感とわずかばかりの安堵感でしたね〜。「もう空手部の恐怖に怯えなくて済む!」という嬉しさは確かにありましたが、その5倍くらい「やっと終わった、、」という気持ちの方が強かった。真っ白な灰になって燃え尽きたような感じでとにかく徒労感が半端なかったです。そして実際、自分の身体には空手部の1年あたりから慢性的な疲労感が発生し、それは寝ても寝ても取れなくなっていました。その疲労感は特に背中に酷く発生し、常に自分から気力を奪っていきました。例えるならそれは3年間常に背中に30キロぐらいの重りを背負って生活していたような印象です。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m



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