鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

空手部時代の話①

みなさんこんばんはスキッパーです。見に来て下さりありがとうございます。昨日今日と急にアクセス数が増えて驚いております。昨日は70、今日は50見て頂きました。Twitter経由で来て頂いた方が多いのではないかと思うのですが、全くお小遣い稼ぎ関係ないブログですみません。お小遣い稼ぎ関係はTwitter、鬱関係はこのブログという風に棲み分けておりますのでよろしくお願い致します。



もし初めてこのブログに来た頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「感情表現を辞めた事と喘息の因果関係」の続きを書かせて頂きます。



さて、前回は自分の喘息が心因性のものだったという話でしたね〜。自分は幼い頃からずっと「自分の喘息の原因は肺の機能に問題があるから」だと思っていたのですが、それが実は心の問題が原因だったと気付いた時は「な、なるほど〜」と目から鱗な驚きがありました。ちなみに大学入ってからは喘息はほとんど起こらなくなったのですが、これは自分のメンタル状態が良くなったから起こらなくなったのでは全くありません。むしろ逆で、大学入った後自分はとある体育会系の部活に入ったのですが、そこでの練習が自分には厳し過ぎ、それは生命の危機を感じる程のものでしたので、その死の恐怖の前では喘息どころではなくなってしまった、という感じです。



では、ここからは自分が何故大学で体育会系の部活に入ったのか、そして、体育会系の部活に入りどうなったのか、書かせて下さい。ここからは「子供を自分のような社会不適合者に育てない為にはどのような家庭環境が望ましいのか?」というテーマは一旦横に置かせて貰いまして、「鬱」をテーマに書かせて貰います。



何故自分が大学で体育会系の部活に入ったのかですが、それは「自分を変えたかったから」の一言に尽きます。これまで書かせて頂いたとおり、自分は3歳で喘息を発症し、それは小3、高1と悪化していきましたから、当然スポーツは全くできません。ちょっと走るだけで喘息が起こってしまいますから、苦しくてスポーツどころではない状態でした。ですので当然、中学、高校と文化系の部活に所属していまして、スポーツとは無縁の生活を送っていました。



しかし、自分の対人関係は中学、高校と悪化する一途で高校の時点でもうにっちもさっちもいかなくなっていました。そうそう、自分の場合学校生活において特にいじめを受けるという事はなかったのですが、なんというか休み時間になると周りの友達が楽しそうに喋っている中、その輪の中に入る事ができないので、机に突っ伏して寝たフリをしているという感じの高校生活を送っていました。(この記憶もサルベージするまでは自分の中で思い出したくない過去として抹消されていました。)あとはまぁすごく優しい友達を見つけて、その友達の後ろを金魚の糞みたいにずっとくっついて歩いていた印象です。要するに自分は精神年齢の成長が小3で止まっていましたから、年齢が上がるにつれて周りと話が合わなくなっていったという単純な話です。




さて、そのように人間関係に行き詰まっていた自分は「自分を変えて周りとコミュニケーションがとれるような人間になりたい!」と強く思うようになっていました。そこで考えついたのが、「大学入学を機にこれまで自分が苦手で全くやってこなかった体育会系の部活に入り、そこで自分を鍛えれば自分に自信がつきコミュニケーション能力も改善するのでは?」という仮説です。なんというかあえて自分の苦手な事をやる事で自分の成長を促す、「ショック療法」とか「荒療治」とか言われる部類のものだと思います。




そして、その仮説に基づき、大学に入った自分は体育会系の部活・空手部に入部しました。何故空手部かと言うと、当時プロレスや格闘技が好きだったからです。やはり喘息で脆弱だった自分には強さへの憧れがありました。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m





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