みなさんこんにちはスキッパーです。見に来て下さりありがとうございます。もし初めてこのブログに来た頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「大人の目が届かないエアポケットな生育環境」の続きを書かせて頂きます。
前回は3歳の頃の自分が感情表現を辞めてしまったという話でしたね〜。あの事件から自分の社会不適合な人生が始まった訳ですが、それと同時にその時期から自分は喘息に苦しみ始めたんですね。15年前サルベージをしていた自分は(サルベージの説明はこちらの記事をどうぞ。)、「この2つには因果関係があったのではないか?」と考えました。
つまり、「自分が感情表現を諦めた事件と喘息の発症が同時期であるという事は、感情表現を諦めた事が喘息の発症に繋がったのではないか?」という仮説です。
そして、この仮説は考えれば考えるほど正しいのではないかと思うようになりました。どういう事かと言いますと、親に対して感情表現を諦める=親に対して甘えられなくなるという事だと思うのですが、そうは言ったって子供は親に対して甘えたいですよね。しかし、感情表現の道は塞がってしまったので、そこで身体が本能的に「喘息」という病気を作りあげたのではないか?という感じです。
そう、病気になれば感情表現をしなくても親に甘えられる、と。
つまり、「自分の喘息は肺になんらかの機能的な異常があったのではなく、心因性のものだったのではないか?」、と。
この「自分の喘息=心因性説」もサルベージをしていて「な、なるほど〜」と目から鱗な説でした。そしてその後の自分の人生を思い出してみると、まさに自分の精神状態が酷くなっている時期に喘息も苦しさを増していたのです。
まず、自分の喘息が酷かった時期として思い出すのが、小3〜小6の時期なのですが、この時期に父親が事業を始め、両親の仲が荒れに荒れ始めました。両親の仲が荒れれば当然子供のメンタルは悪化します。そして、同じ時期に自分の喘息も悪化し、夜は喘息の苦しさで一睡もできず、学校を週の半分は休んでいましたし、体育の時間もほぼ休んでいました。(サルベージをしている時に小3の頃の学校の連絡帳を見返したのですが、余りの休みの多さに驚きましたw)
また、自分は高校1年生の頃にも喘息が酷く、小学生の頃と同様に夜一睡もできず高校に行く事がよくあったのですが、この夜一睡もできない日にはとある法則性がありまして、日曜の夜に喘息がよく起きていたんですね。そして高校1年生の頃といえば、自分がいよいよ周りの同級生とコミュニケーションが取れなくなり、日常的に食欲がなくなり、鬱を発症した時期でもあります。
当時の事を思い出してみると、学校に居場所が作れず、学校に行くのが嫌で嫌で仕方のなかった自分が一番精神的に辛かったのが日曜の夜だったのではないかと思うんです。「明日からまたあの居たたまれない場所に行かなくてはならないのか、、」と。そして当然当時はその自分の精神的な辛さは言語化されておらず、心の中にモヤモヤのままとしてありましたから、そのモヤモヤが喘息を酷くしていたのではないかな、と。
高校1年生の頃の喘息が日曜の夜によく起こっていた事を思い出した時、「自分の喘息=心因性説」が確固たるものになりました。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m