みなさんこんにちはスキッパーです。前回の記事「 何故両親の仲が悪い事が子供のメンタル状況に多大なる悪影響を与えるのか? 」の続きを書かせて頂きます。「サルベージ」のリンクで飛んできて頂いた方、「サルベージ」の説明は後半になります。
前回は「夫婦仲が良くないと子供の経験が言語化されず、精神年齢の成長が止まりますよ」的な話でしたね〜。いや〜、自分の精神年齢の成長が小3でストップしていた事が徐々に確信に変わっていく過程はとても悲しいものではありましたが、反面謎が解けていく快感みたいなものもありました。「なるほど!だからどこに行っても人間関係作れなかったのか!」と。
さて「精神年齢の成長が小3で止まる」とは具体的にどういう事かと言いますと、まずは単純に学生時代の経験で自分の中に記憶として残っている経験の総量がとても少ない印象です。自分が大学を2つ中退した後(28歳の頃)1年間かけてノートに自分の人生を全て書き出したという話はこれまでもしていますが、書き始めの頃「何故に俺の人生こんなにも上手くいかなかったのか?」という切り口で自分の人生を思い出し始めました。そこでびっくりしたのが自分の過去を振り返ってみると自分の後ろが真っ白な霧に覆われていて、28年間自分がどのような人生を歩んできたのか、全く把握できなかったんですよ。視界0メートルのホワイトアウト状態。「え?え?どういう事??」って感じでしたねぇ。
それでまぁホント探り探り思い出せる所から自分の記憶をノートに書き出していきました。そこでさらにびっくりしたのはその辛うじて思い出せる思い出のほとんどが人間関係での失敗から来る孤独感や部活の練習で追い込まれて死にそうになった恐怖の記憶、そして鬱の進行と共に壊れていく身体、とネガティブな記憶ばかりだったんですね。そうそう、自分はこのノートに自分の記憶を書き出す作業を「サルベージ」と呼んでいたのですが、記憶の海から引きあげられるエピソードは見事にネガティブで思い出したくないエピソードばかりw
そんな感じでそもそも思い出せる記憶の総量が少なかったし、辛うじて思い出せるエピソードの数々もネガティブなものばかりだった記憶です。「記憶の総量が少ない」というのは先程書いたような強烈に鬱なエピソードの数々は覚えているのですが、生活の中での細かいエピソードはほとんど覚えていない感じです。例えば自分は7歳から26歳までの間ファミコンを始めとするテレビゲームにどハマりして300本以上プレイしたのですが、その中で強く印象に残っていたのは30〜40本でして、残りのソフトはうすらぼんやりとしか覚えていないという状況でした。そして強く印象に残っている30〜40本も感想は「面白かったな〜」ぐらいしかない。あれだけ視力を大幅に落とす程熱中したにも関わらずホント薄い感想です。特に当時は「RPG」と呼ばれるドラゴンクエストやファイナルファンタジーを始めとするストーリー系のゲームを好んで沢山やったのですが、それらのストーリーも全く覚えていなかったですねぇ。
今日はここら辺で失礼します。お読み頂きありがとうございましたm(_ _)m