鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した43歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

離人感と人間サンドバッグの記憶をサルベージ(2004年10月頃)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「 去年両親を大学に連れて行った話(2019年10月頃)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は自分が今でも1つ目の大学が大好きだ、という話でした。話は2004年の記憶のサルベージに戻ります。これまで書いてきました通り、自分が記憶のサルベージを開始すると様々な衝撃的な事柄が記憶の海から引き揚げられていきました。以下いつものコピペです。



・自分の過去を振り返ろうとすると、視界0mの超濃霧状態で全く自分の過去を見えない。(過去を振り返ろうとするも視界0mの超濃霧状態で後ろが全く見えない(2004年4月頃・28歳))


・自分が高校以来食欲が全く無くなっている事に気付き、自分が長年鬱だった可能性に気付く。(高校時代以後食欲が一切無くなっていた事が異常だったと気付く(2004年9月頃・28歳))


・自分が長年鬱だった可能性が出てきた事で、「自分は本質的に極度に劣っている人間なのでは?」という思いが若干薄らぐ。(自分が長い間鬱であった可能性が出てきてホッとした(2004年9月頃・28歳))


・小学校3年生以前の記憶と、小学校3年生以後の記憶とでは、明らかに色合いが違う事に気付く。小3以前はフルカラーなのだが、小3以降は灰色一色。( 小3以前の記憶⇒フルカラー、小3以降の記憶⇒灰色(2004年9月頃・28歳))


・小学校3年生付近の記憶を引き揚げてみると、小学校3年生以降自分の家庭が戦争状態に突入した事を思い出す。(小3を起点とする記憶の色の違い=小3時の家庭環境の急激な悪化(2004年9月頃・28歳))


・若かりし頃の両親の写真を見て号泣。(若かりし頃の両親の写真を見て号泣(2004年9月頃・29歳))

・大学空手部の印象が180度真逆に(記憶のサルベージにより空手部の印象が180度真逆に(2004年9月頃・29歳) )


↑コピペここまで。



さて、自分は1つ目の大学における空手部の記憶を一通り引き揚げた後、次にカウンセリングの記憶を言語化していきました。そう、自分は大学3年生の4月から大学内でカウンセリングを受け始めたんですね。1つ目の大学の記憶を引き揚げてみますと、大きな比重を占めるモノはやはり空手部の記憶なのですが、このカウンセリングの記憶も欠かす事の出来ない出来事でした。このカウンセリングに出会えた事も自分の中でとても衝撃的な出来事だったのです。当時の自分は大学3年生に進級したばかりでしたが、いよいよ学生生活が進退極まっていました。空手部を2年間続けた事で、自分の心身はどんどんぶっ壊れていきましたからね。当時の鬱の諸症状はこんな感じです。以下いつものコピペになります。



・慢性的な食欲消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
・酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
・慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
・常に訳もなくず〜っと悲しい。
・慢性的な口内炎


↑コピペここまで。



上のコピペはしょっちゅうこのブログに貼っていますが、今回改めて貼ってみますと、「離人感」について思い出す所があります。「離人感」もマジでキツかった。自分は高校時代から酷いめまいに苦しんでいたのですが、その進化verが離人感という感じです。当時は日々の生活における人間サンドバッグの恐怖感と孤独感が酷かったですから、それにより夜がどんどん眠れなくなっていきました。夜ベッドに入っても人間サンドバッグの恐怖でほとんど眠ることができず朝になり、フラフラな状態で大学に向かう事もよくありましましたからね。故に大学に行っても眠気は酷かったですし、眠れていませんから蓄積していた疲労感もエグかったのです。ですからね〜、この「恐怖感」「孤独感」「眠気」「疲労感」、これらがず〜っと自分の意識を攻撃し続けていますから、もう自分は大学で席に座っているだけでも青息吐息の状態だったのです。ホント意識朦朧としていましたね。そして大学の授業が進んでいき、段々と放課後の空手部の時間が近付いてきますと、恐怖心と孤独感はさらに大きくなっていきます。もちろん眠気と疲労感も悪化していく一方。そうすると自分の意識はこれ以上の苦痛に耐えられなくなってしまいまして、とある機能が働き始めていたんですよ。そう、自分の意識は自分が感じているその「現実」を「自分の現実」として受け止めきれなくなってしまいまして、これにより現実感が薄くなってしまう現象が起きていました。なんかこう「自分」と「現実」の間に半透明のフィルムが発生しまして、「自分」の現実にも関わらず半分「他人」の現実のような感覚になっていくのです。まぁだからと言ってそのフィルターにより恐怖感を始めとする精神的苦痛が半分になっていたかと言えばそうでもなかった記憶ですが。そう、恐怖感や孤独感などの精神的な苦痛量は変わらなかった印象ですが、心のどこか一部分がすごく鈍い感覚になっていたのを思い出します。実際の自分の視界にもうすらぼんやりとしたフィルターがかかっていた記憶。そしてこの症状は空手部の練習時間が近付いていくにつれどんどん激しさを増していたように思います。そしてそれがピークに達した所で練習開始です。




練習が始まってしまうと、もう後は恐怖の中で練習メニューをこなすのみです。離人感どころではありません。最初はランニングで始まり、柔軟運動、空手の形、ミット打ち、組み手というように練習は進んでいきます。練習の途中で「後どれくらいで練習終わるだろう、、」と何度時計を見たか分かりません。人間サンドバッグは3時間の練習時間の中で最後にやるメニューでしたから、時間が過ぎるにつれさらに恐怖感は高まっていきました。そして、ラスト30分となった所で先輩達がいつもと違う形で防具をつけ始めたら「今日は人間サンドバッグやるのか、、」と、自分の恐怖はピークを迎えます。そして人間サンドバッグが始まったらもうそこからはどんなに苦しくても自分はそれをやるしか無いのです。あ、人間サンドバッグはこんな練習です。(空手部時代の話②)人間サンドバッグが始まってしまうと、もはや離人感以外の鬱的な症状も気にならなくなっていたような記憶です。人間サンドバッグは自分にとって「死」そのものでしたから、その前では鬱的症状どこではありません。自分は圧倒的な恐怖の中で必死になって先輩の持つミットや胴に突きや蹴りを叩き込み続けるしか無かったですからね。なんというかあの時の自分の脳内にはアドレナリンが出まくっていまして、一種の覚醒状態に入っていたような気がします。連続で突きや蹴りを繰り返していると呼吸がどんどん苦しくなり追い込まれていき、その苦しさで脳内が覚醒していく感じです。もちろん「死の恐怖」に対する覚醒もあったと思います。そして、そのような状態が30分くらい続くとようやく終了です。人間サンドバッグが終わった後の自分は「超虚脱状態」で抜け殻のようでした。心の中の99%は虚脱感で満たされていましたが、1%だけは安堵感もありましたね。「あぁ今回も殺されなくて済んだ」、と。あれはホント逃げたくても逃げられない、絶望的な日々でした。




自分は空手部入部後、上記の人間サンドバッグのせいでどんどん鬱が悪化していき、体調もさらに悪化して行きました。自分はそれらの心身の不調の謎が知りたくて、大学の図書館で様々な精神医学の本を読み漁りました。自分は経済学部の学生でしたから、本来なら経済学の本を読むべき立場でしたがそんな本には全く興味が持てず、精神医学系の本ばかり読んでいたのです。するとその本の中に、自分が練習前に感じている現実感が薄くなる症状がそのまんま書いてあったんですね。そこには「離人感(離人症)」と名付けてありました。「あ!あの練習前の妙な現象がそのまま本に書いてある!あれは離人感っていうのか!!」って感じでその記述を見つけた時はとても嬉しかった記憶です。(離人感についてのwikiこちら)他にも「自律神経失調症」の記述も自分に当てはまるような気がしましたね。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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