鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

大学空手部の副主将になったものの、後輩達と全くコミュニケーションが取れない(過去編・1997年4月頃・21歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 自分の健康状態すら把握出来ていない人生(2008年2月・32歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が自分の健康状態をどのように認識していたのか、その変遷をまとめてみました。自分は大学に入学後、空手部の厳し過ぎる練習が原因で夜眠れなくなり、さらに鬱を悪化させていました。その際の鬱の諸症状が以下の通りです。いつものコピペになります。



「大学空手部時代の鬱の諸症状」


・大学空手部のとある練習メニューが自分には厳し過ぎて、その恐怖感で夜眠る事が出来ない。(空手部時代の話②)
・慢性的な食欲消失(大学時代の鬱の諸症状)
離人感(〜離人感と冷え性〜)
・酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
・高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・限定的な難聴(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
・自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
・常に訳もなくず〜っと悲しい。
・慢性的な口内炎
・空手部のとある練習メニューの恐怖を乗り越えようと、自主練を繰り返すも翌日の体調が滅茶苦茶に崩れるだけで一向に体力が増える実感を得られない。そのうちに自分の中には「脱力感」「無力感」「虚無感」がどんどん増えていき、これが自殺願望へと繋がっていった。



引用終わり



しかし、大学時代の自分は上記の諸症状をほとんど認識出来ていません。認識出来ていたのは以下のぼんやりとした感覚のみです。


「自分の大学生活が、なんか身体が滅茶苦茶疲れていてずっとかなり辛いし、なんかずっとかなり悲しい」


この感覚はかなり切羽詰まった感覚でしたので、流石の自分も大学2年生の中盤で自分の生活に疑問を感じ始めたのです。そう、自分は小学校3年生以降全く自己表現をしておらず、それ故に自己認識能力が皆無だったのですが、そんな自分でも危機感を感じる程、日々の大学生活が辛くなっていました。そこで自分は大学の図書館で精神医学系の本を読み漁り、自分が「離人感」を発症している事を突き止めました。ただし、それ以外の精神疾患に関しては分かりませんでしたね。それ以外の精神疾患を発症している可能性は高いように思えましたが、「自律神経失調症」や「神経症」などの症例を見てもピンとは来なかった記憶です。そう、当時の自分は自分の健康状態をまるで把握していませんでしたから、それに見合う精神疾患を見つける事は出来なかった感じです。



こんな感じで自分は大学2年生の中盤くらいで精神医学系の本を読み漁り、自分が離人感を発症している事を突き止めました。ただし、自分の病名が分かったからと言って、日々の生活の辛さが和らぐ事は全くありませんでした。空手部の恐怖で夜眠る事が出来ない日々も相変わらずです。そんな日々が続いていた翌年の4月、自分は進級し大学3年生になりました。進級したと言っても授業中は寝てばかりですから、ろくに単位は取れていません。勝手に進級した、という感じです。大学3年生になると空手部では最上級生です。自分の同期は自分ともう一人だけでしたから、当然もう一人の方が主将の役職に就きました。そして、大変困った事に自動的に自分にも副主将の肩書きが付いてしまったのです。副部長になったからには、自分も部活を仕切って引っ張っていかねばなりません。後輩は2年生が2人で1年生が4人です。しかし、自分が部活を仕切るなど、それはどうひっくり返っても無理な芸当でした。



何故なら自分の精神年齢の成長が小学校3年生で止まっていたからです。自分は小学校3年生で自己表現をしなくなりましたから、日々の体験や感情を全く言語化しておらず、それらが全く蓄積していかない人生を送っていたのです。(この場合の「言語化」とは、「喋る事」もしくは「書く事」を指しています。)そう、このせいで自分が自分の健康状態さえ認識出来なくなった、という話は以前の記事で書かせて貰いました。その自己表現を全くしない所は大学に入っても全く変わりません。ここら辺の話も最近の記事で書かせて貰っていますが、自分は空手部のとある練習メニューの恐怖に関しても全く言語化する事が出来ず、その恐怖感を誰とも共有する事が出来なかったのです。それ故に恐怖感と孤独感はどんどん自分の心を蝕んでいき、自分はその恐怖感で夜眠れなくなってしまったのでした。この状況は1年半続き、その間に自分は鬱をさらに悪化させていました。その結果が上記の鬱の諸症状です。こんな感じで自分は空手部で体験した恐怖の感情を全く言語化出来ていませんでしたし、それ以外の体験や感情も全く言語化する事が無かったのです。つまり、空手部で2年間活動していく中で得られた体験や感情は全く整理整頓もされず、全く消化される事もなく、「カオス状態」のまま、記憶の海の底に沈んでいく事となったのです。「カオス状態」のまま沈んだ記憶は、他のカオスな記憶と混ざり合いさらにカオス化が進みます。こうなると後から思い出すのはかなり困難です。ゴミ屋敷の4〜5メートル積み重なったゴミの地層の中から、任意のモノを見つけるのが困難なのと同じ理由です。こうなるとその記憶は「無かったも同然」の記憶となってしまうのです。



自分はこのような日々を2年間続けた挙句、空手部で最上級生になってしまいました。こんな自分が空手部を仕切れるはずがありません。だってこれまでの空手部での2年間の体験が「無かったも同然」な訳ですからね。後輩達に教えられる体験が何も無いのです。そう、空手の技術だったり、ノウハウだったり、大会での勝ち方だったり、がまるで自分の中に蓄積されていません。そして、空手部のイベントに関する思い出もまるで蓄積されていない。空手部では大会、合宿、演舞会、新歓コンパ、納会、と様々なイベントがありましたが、自分はどのイベントにも何の思い出も無いのです。こんなんで下級生に空手の技術や空手部の事を教えられる訳が無い。自分は空手部の最上級生になってしまいホントにまずい事になったと思いました。最上級生になれば練習を仕切れますから人間サンドバッグの恐怖はかなり減ります。その意味では最上級生になる事を待ち望んでいた部分もありました。しかし、今度は自分が最上級生らしく振る舞えないという新たな致命的なストレスが発生したのです。いつ自分の化けの皮が剥がされ、後輩達からそれを糾弾されるか分からない、今度はその恐怖が発生してしまいました。その恐怖は人間サンドバッグの恐怖と変わらないくらいの凄まじい恐怖だった記憶です。




加えて、この時期に大学内で「ゼミ」が始まったのですが、そこでも自分は全く周りとコミュニケーションを取る事が出来ませんでした。ゼミの中で同学年は5〜6人いたのですが、その中で自分は完全に浮いていました。そりゃそうですよ。大学生の集団に小学校3年生の子供が紛れ込んでいるようなものですから。このように自分は大学1年生の頃から大学内で孤立気味でしたが、それはどんどん酷くなっていき、3年生の4月頃には大学内で完全孤立状態に陥っていました。部活でもゼミでもクラスでも孤立しまくっていたのです。他にはバイトもやりましたが、そこも全く駄目でした。また、この頃になると就職活動の話もちらほらあったような記憶ですが、上記のような「鬱の廃人」状態で就職活動が出来るはずもありません。自分の大学生活はいよいよ切羽詰まっていました。




ちょうどその頃、自分は大学内の新聞で学内にカウンセリングセンターがある事を知ったのです。自分の精神状態は上記のようにかなり切羽詰まっていましたから、藁をも掴む気持ちでそこに行ってみる事を決めたのでした。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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