皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「大学空手部引退後も鬱の廃人状態(過去編・1998年3月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が大学空手部引退後もトレーニングを続け、鬱を悪化させていった、という話でした。そう、自分は空手部引退後も週3で1回1時間のトレーニングを繰り返しました。しかし、相変わらずトレーニングの翌日に体調を滅茶苦茶壊すばかりで一向に体力が付いたという実感が得られなかったのです。その結果、自分の心の中には「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」がさらに増えていってしまいました。そして、鬱の悪化の原因はトレーニングだけではありません。自分は空手部引退後、「自分は空手部の3年間でかなり体力が付いたはず!!」と思いたがっていました。死の恐怖に怯え続けた3年間が無為なモノとは決して認められなかったのです。そこで自分はその虚構の体力を活かすべく、様々な事に挑戦していきました。大学4年生(休学中)の1年間では2つのダンス教室にファミレスバイト、そして自動車教習所に挑戦しました。さらに、自分は他の大学に入り直し、新たな大学生活にチャレンジします。また、そこでサークル活動にもチャレンジしましたし、大学外でもバイトや習い事に挑戦したのです。しかし、自分はどこに行っても人間関係を作る事が出来ません。人と何を喋れば良いのか全く分からないのです。
そう、自分は高校1年生の時点ですでにその状態に陥っていましたが、それは大学空手部の3年間でさらに悪化してしまいました。自分は高校1年生の時点で自分自身に対する自信を喪失していました。そして、大学空手部の3年間でそれはさらに砕け散っていたのです。ですから、余計人と何を喋れば良いのか分かりません。また、空手部引退後の自分の体調は「鬱の廃人」状態ですからね。自分の意識は常に様々な肉体的・精神的苦痛に苦しんでおり、自分の心は常に泣いているような状態でした。そんな状態で人と楽しくコミュニケーションが取れるはずがありません。自分は行く場所行く場所で人間関係が作れず、次から次にその場所から脱落していく事になりました。これによって「孤独感」がさらに発生した事は言うまでもありません。そして、その「孤独感」によってもさらに鬱は悪化していったのでした。
さて、話が少し先に進んでしまいました。話を大学空手部引退後に戻したいと思います。ようやく話が本筋に戻って来れました。時期としましては大学4年生(休学中)の4月頃の話です(1998年4月・22歳)。自分は春合宿をようやく終えて、空手部を引退する事が出来ました。そして、春合宿を終えてから2〜3週間後に机の前に座り、ノートに「空手部3年間の評価」を書き始めた、という話を以前の記事でさせて貰いました。そこで自分は、このような玉虫色の評価に辿り着いたのでした。
「自分はこの3年間必死に必死に空手をやって来た。しかし、『自分を変える』という当初の目的は、もしかしたら何も達成されていないのかもしれない、、、、、。」
さて、今回の記事はそこから先のお話をしたいと思います。あれはいつ頃の事だったのでしょう。春合宿を終えてから1ヶ月後くらいの感じですかね。日付にして、1999年の4月後半くらい。自分は春合宿を終え、空手部を引退し、日々の稽古から解放されていました。我々空手部部員は大学3年生の春合宿を終えると部活を引退するのが通例だったのです。それはたぶん4年生になったら空手部の稽古よりも就職活動に専念しろ、って事だったんでしょう。しかし、自分の中に就職活動をする気力なんて微塵もありませんでした。というか、自分は大学4年生の1年間を休学する事にしたのです。もはや授業に出る気力は完全に無くなっていました。そして、「卒業」「就職」についてもどうでも良くなっていたのです。自分は空手部の3年間で完全に燃え尽きていました。そう、ようやく死の恐怖に怯え続けた3年間が終わったのです。自分の全エネルギーはその死の恐怖に耐え続ける事に使い切ってしまいました。もはや何も考えたくは無かったのですし、何もしたくはありませんでした。これは「トラウマ」や「PTSD」と呼ばれる状態だと思います。ですから、自分は週1回大学内のカウンセリングに通い、週1回だけロックダンス教室に通っていました。それ以外の日は家でボーッとゲームでもしていた記憶です。後は例のトレーニングですね。空手部引退後も自分はトレーニングを続けてしまったのです。トレーニング内容はランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニングです。頻度は週3回。そして、トレーニングの翌日に滅茶苦茶に体調を崩す所は空手部時代と全く変わっていません。このトレーニングも含めて、自分は空手部引退後も9個の鬱の諸症状に苦しんでいました。いつものコピペになります。
「大学空手部引退後の9個の鬱の諸症状」
①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をドライバーで思い切り刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑧慢性的な口内炎
⑨ 空手部を引退後も自分は以下の2つの理由でトレーニングを続けてしまった。
❶大学空手部を引退した事で自分の心の中にかなりの開放感が発生。その開放感の理由は以下の3つ。
⑴死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。
⑵空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。
⑶この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。
上記の開放感により、「空手部の恐怖」が無い状態での「自主練」をやってみたくなってしまった。
❷空手部を引退した事で自分の心の中に以下のような思いが発生した。
「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」
この体力を生かすべく自主練を続けていった。(しかし、実際には空手部の3年間で体力は全く付いていなかったし、それどころか鬱は3倍に悪化していた。)
そして、空手部の頃と同様にトレーニングをしても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。
空手部引退後の自分は上記の鬱の諸症状に苦しんでいました。そして、一方では空手部からの開放感も感じていました。「あぁもう布団の中で死の恐怖に怯えなくてもいいんだ!!!」って感じです。そんな日々を過ごしていた4月のある日、空手部同期の「A」から連絡が入ったのです。「A」は現役当時空手部の主将だった男です。「A」は空手部引退後も空手部にがっつり関わっており、自分に今後行われる空手部の何かのイベントに参加して貰えないか、と打診してきたのです。自分はとても困りました。「A」の顔を立ててあげたい気持ちもありますが、自分はもう空手部の事には一切関わりたく無かったのです。だって自分は空手部の現役の頃から、空手部の全てのイベント(飲み会、納会、演舞会、合宿、大会、追い出しコンパ、OB会)が嫌で嫌で仕方ありませんでした。自分は空手部の稽古に「殺される」程の恐怖感を抱いていたのです。そんな部活ですから、稽古以外のイベントだって死ぬ程嫌に決まっています。ただし、現役の頃はそれらに参加するのは仕方がありませんでした。自分が後輩の時には恐ろしい先輩の目がありましたし、自分が最上級生になると副主将になってしまいましたからね。ただしこの時の自分はもう空手部を引退した身です。ようやく死の恐怖から解放されたのです。そこでまた空手部と絡まなければならないなんて絶対に嫌な話でした。
しかし、自分の中には同期の「A」にはこれまで散々お世話になってきたという義理もありました。「A」は「鬱の廃人」状態である自分に対して、色々と配慮してくれましたからね。ですから「A」からの打診を断るにしても罪悪感が発生します。そして、とりあえず今回は断れたとしても、今後イベントごとに「A」から誘われ、そのたびごとに誘いを断るのはキツ過ぎると自分は感じました。空手部のイベントに行くのは死んでも嫌ですが、この先「A」からの頼みを断り続けるのもキツ過ぎる。そこで困った自分は、とある解決策を思い付いてしまいます。それは「空手部を辞める」という解決策でした。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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