鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

東大に向けて受験勉強を開始するも1日で挫折(過去編・1998年11月・22歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「健康状態が「鬱の廃人」状態だと全く気付けない(過去編・1998年11月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が大学空手部引退後どのような状態だったのか、という話でした。自分は空手部引退後、ロックダンス教室を始めとして色々なモノに挑戦したのですが、全く居場所を作る事が出来ません。そこでこうおもったのです。


「新しい大学に入り直して、もう一度大学生活をやり直したい!!」


「新しい大学で、空手部で付いた体力を活かしてサークル活動をやってみたい!!」


そう、思い切って現在の大学を辞めて、新しい大学で大学生活をやり直したいと思ったのです。そもそも現在在籍している大学には空手部の3年間の恐怖がべっとりと染み付いています。そして、この頃には大学内の人間関係から完全脱落していました。加えて、卒業に必要な単位は半分くらいしか取れていませんし、就職に関しても諦め切っています。もはや自分は現在の大学に通う気力を失っていました。そこで、心機一転大学生活をやり直したいと思ったのです。そして、新しい大学生活においては絶対体育会系の部活には入らないつもりでした。もう空手部の二の舞はごめんです。新しい大学では文化系のサークルに入るつもりでした。文化系のサークルなら体育会系の部活ほど雰囲気は厳しくないでしょうし、空手部で培った(はずの)体力を使って活躍できるかもしれません。自分は自動車教習所を休学した頃、このような青写真を思い付いたのでした。



しかし、問題は親です。学費を出すのは親ですからね。自分は今の大学には3年半通っており、その間の1年半は休学しています。すでに親からは1年半の休学の許可を貰っていました。自分と両親の関係ですが、両親は幼い頃から自分の事を完全に放置していましたし、自分も両親に対して小学校3年生の頃から冷め切っていました。その頃から両親は新規事業を始めたのですが、その新規事業はとても厄介な親族問題も派生させていたのです。これにより両親は激しい夫婦喧嘩を10年以上繰り返しました。つまりうちの両親は10年以上に渡って新規事業と夫婦喧嘩に全てのエネルギーと時間を割き続けていたのです。故に自分は幼い頃から両親から可愛がられた記憶が皆無ですし、興味を持たれた記憶すらありません。ですから、当時の自分は両親に対して何の思い入れも感じていません。ただ、そんな自分でも両親に対して「今いる大学を辞めて、新しい大学に入り直す」とは、流石に言い辛い雰囲気を感じていました。



そこで自分は現在の大学を辞める理由を思い付きました。「『東大に入る為に大学を辞めて受験勉強をし直す』ではどうだろう??」と。そう、うちの両親は「学歴史上主義」みたいな所がありましたから、「東大」という名前を出せば、通るのではないかと思ったのです。そこで両親にこの話をした所、上手く話が通ってしまいました。ここら辺の両親の説得が上手くいったのは、1年半のカウンセリングの成果かもしれません。



そこで自分は受験勉強を3年半ぶりに再開しました。その為に地元の図書館に行った記憶があります。ところが全く知識が頭の中に入ってきません。そりゃそうですよ。だって当時の自分の体調は「鬱の廃人」状態ですからね。自分は以下の9つの鬱の諸症状の併発していたのです。以下いつものコピペになります。


「大学空手部引退後の9個の鬱の諸症状」


①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑧慢性的な口内炎
⑨ 空手部を引退後も自分は以下の2つの理由でトレーニングを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)


❶大学空手部を引退した事で自分の心の中にかなりの開放感が発生。その開放感の理由は以下の3つ。


⑴死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。


⑵空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。


⑶この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。


上記の開放感により、「空手部の恐怖」が無い状態での「トレーニング」をやってみたくなってしまった。



❷空手部を引退した事で自分の心の中に以下のような思いが発生した。


「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」


この体力を生かすべくトレーニングを続けていった。(しかし、実際には空手部の3年間で体力は全く付いていなかったし、それどころか鬱は3倍に悪化していた。)


しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。



おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』




こんな酷い体調で受験勉強が頭の中に入ってくる訳がありません。だってついこの前のファミレスバイトでは、新しいレシピさえ覚えられなかったのです。新しいレシピさえ覚えられなかった自分が、東大合格に必要な気が遠くなる程の知識量を覚えられるはずがありません。自分は地元の図書館に行って勉強し始めたものの、1日でその無謀さに気付いた記憶です。「あ、こりゃ無理だわ。」、と。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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