鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

自分の居場所への切実な渇望感(過去編・1998年11月・22歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「新しい大学に入り直す事を思い付く(過去編・1998年11月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が自動車教習所を休学した直後、大学を入り直す事を思い付いた、という話でした。時期は大学4年生(休学中)の11月頃です。ホント懲りないですねぇ。しかし、当時の自分は切実に自分の居場所を求めていたのです。だって、自分は高校、大学とどこにも自分の居場所を作る事が出来なかったのですから。もちろん、幼い頃から家庭内にもそんな場所はありません。そう、この「自分の居場所への渇望感」は、喉が渇いた時に水を求める気持ちと同じくらい切実で本能的なモノでした。ですから、自分は大学空手部を引退した後、様々なモノに挑戦してきたのです。ロックダンス、タップダンス、ファミレスバイト、自動車教習所。もちろん、そこには、自分のこういう気持ちも強く作用していました。


「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」


ですから、自分はその「虚構の体力」を活かすべく、空手部引退後様々なモノに挑戦してきたのです。なるほど。先程の「居場所作りへの渇望感」とこの「虚構の体力」を一緒の文章にしても良さそうです。一緒にするとこんな感じです。


「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!その体力を活かして、自分の居場所を作りたい!!!」



なるほど〜。大学空手部引退後の全ての自分の行動は、この行動原理を元にしていた、と言っても過言ではないような気がします。この行動原理に引っ張られて、大学空手部引退後から引きこもるまでの6年間を過ごしていた感じです。



しかし、何度も書いています通り、当時の自分の体調は「鬱の廃人」状態です。自分は9個の鬱の諸症状を併発している状態でした。以下いつものコピペになります。



「大学空手部引退後の9個の鬱の諸症状」

①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑧慢性的な口内炎
⑨ 空手部を引退後も自分は以下の2つの理由でトレーニングを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)


❶大学空手部を引退した事で自分の心の中にかなりの開放感が発生。その開放感の理由は以下の3つ。


⑴死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。


⑵空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。


⑶この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。


上記の開放感により、「空手部の恐怖」が無い状態での「トレーニング」をやってみたくなってしまった。



❷空手部を引退した事で自分の心の中に以下のような思いが発生した。


「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」


この体力を生かすべくトレーニングを続けていった。(しかし、実際には空手部の3年間で体力は全く付いていなかったし、それどころか鬱は3倍に悪化していた。)


しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。



おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』




こんな状態じゃどこに行ったって、グダグダです。どこに行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。まぁホントあれは「無意識的な全力の自傷行為」でしたね。さらに絶望的な事に自分の精神年齢の成長は小学校3年生で止まっており、周りとのコミュニケーションもままならないのです。う〜ん、無惨。




ですから自分が空手部引退後、ロックダンス、ファミレスバイト、自動車教習所と立て続けに居場所作りに失敗したのは、当然の帰結だったと言えるでしょう。しかし、当時の自分はまだ懲りません。何故なら、



「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!その体力を活かして、自分の居場所を作りたい!!!」


と思っているからです。そこで自分は自動車教習所を休学後、新たな行動「新しい大学に入り直して、大学生活をやり直す」を思い付いたのでした。





今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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