鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

新しい大学に入り直す事を思い付く(過去編・1998年10月・22歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 2ヶ月で自動車学校休学(過去編・1998年10月・22歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が大学4年生の時の行動をまとめてみました。そして、当時の自分がトレーニングという名の「無意識の自傷行為」にハマっていた、という話もさせて貰いました。まずは、前回まとめた大学4年時の行動を貼りたいと思います。



1998年


3月 空手部引退

4月 大学4年生に進級するも、1年間休学

5月 タップダンス教室に通い始める

6月 1年間通ったロックダンス教室を辞める

7月 ファミレスバイト開始・パチンコにハマり始める
8月 パチンコでOB会費30万を使い込む

9月 ファミレスバイトで大失敗をやらかし、足が遠のく
9月 自動車教習所に通い始める

11月 自動車教習所休学



う〜ん、ダメ人間wそして、当時の自分は「鬱の廃人」状態にあり、以下の9つの鬱の諸症状を併発していました。いつものコピペになります。



「大学空手部引退後の9個の鬱の諸症状」

①空手部を引退後、『翌日の空手部の稽古が恐ろしくて眠れない』という状況は無くなった。しかし、空手部の3年間で受けた精神的ダメージは少なくとも「中指の拷問」2回分。これにより脳の一部が破壊された感がある。よって、空手部引退後も破壊された脳は元に戻らず、睡眠の不安定さはそのまま残った。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)
②食欲の完全消失(大学時代の鬱の諸症状)
③酷いめまいと離人感(〜離人感と冷え性〜)
④酷い冷え性(〜離人感と冷え性〜)
⑤高校時代と比べて3倍酷くなった慢性的な疲労感と眠気。背中の疲労感は余りにも酷く、それは「疲労感」というより「激痛」という方が妥当。例えるなら「背中をナイフで刺され続けている感じ」。(〜慢性的な疲労感と眠気〜)
⑥自殺願望(〜自殺願望と救い〜)
⑦何が理由かは全く分からないのだけれど、大学にいる時の自分が、身体がいつも疲れ切っていて眠くて仕方なく、いつも泣きそうなくらい悲しい事
⑧慢性的な口内炎
⑨ 空手部を引退後も自分は以下の2つの理由でトレーニングを続けてしまった。(トレーニングの内容は、ランニング、坂道ダッシュ、縄跳び、筋トレなどで、1時間程度のトレーニング。頻度は週3回。)


❶大学空手部を引退した事で自分の心の中にかなりの開放感が発生。その開放感の理由は以下の3つ。


⑴死の恐怖に怯え続け、永遠に続くと思われた空手部の3年間がようやく終わった。


⑵空手部の稽古に殺されずに、生きて空手部を引退する事が出来た。


⑶この3年間、自分の脳内の中心部分には空手部の恐怖が常に居座り続けていた。その空手部の恐怖がようやく無くなった。


上記の開放感により、「空手部の恐怖」が無い状態での「トレーニング」をやってみたくなってしまった。



❷空手部を引退した事で自分の心の中に以下のような思いが発生した。


「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」


この体力を生かすべくトレーニングを続けていった。(しかし、実際には空手部の3年間で体力は全く付いていなかったし、それどころか鬱は3倍に悪化していた。)


しかし、空手部の頃と同様にトレーニングを積み重ねても一向に体力が増える実感が得られない。トレーニング翌日に体調が滅茶苦茶に崩れるだけ。翌日目が覚めると自分の身体はとても重くてダルく、身体は冷え切っていて、鼻水はダラダラ。食欲は当然全く無く、背中の疲労感は疲労感というより激痛。故にトレーニングすればする程、自分の中にはさらに「孤独感」「脱力感」「無力感」「虚無感」が増えていき、これが更なる自殺願望へと繋がっていった。そして当時の自分はトレーニングをすればする程心身が衰弱していく悪魔のからくりに全く気付いていない。体調が少し回復すると、またトレーニングをしてしまう。このトレーニング行為は「無意識的な全力の自傷行為」とも言える。



おまけ:サークル活動を始めとする様々なモノに挑戦している時の自分の体調


『こんな状態(鬱の廃人状態)じゃどこ行ったって、グダグダです。どこ行っても、「背中をナイフで思い切り刺され続けている感じ」の激痛が自分を襲ってくるのですから。加えて、冷え性も酷くて鼻水ダラダラ、めまいも頻発です。自分の意識の95%はそれらの精神的・肉体的苦痛に占領されており、集中力や意欲の欠片もありません。この状態は特に上記⑨のトレーニングの翌日が酷かった記憶です。』





う〜ん、酷い。では、話を進めたいと思います。上記にありますように、自分は1998年9月から自動車教習所に通い始めましたが、11月にはそこを休学する事になりました。理由としましては、まず体調が上記の通りの「鬱の廃人」でしたから、運転技術が何も頭に入ってきません。さらに自分の精神年齢の成長は小学校3年生で止まっていましたから、教習所の先生とのコミュニケーションもままならなかったのです。自分は空手部引退以降、大学を休学して色々な事に挑戦してきました。ロックダンス、タップダンス、ファミレスバイト、自動車教習所。しかし、どれも全くモノになりません。何をやっても自分の体調は滅茶苦茶に崩れており、集中力や意欲のカケラも無いのです。また、コミュニケーション能力もゼロですから、そこで人間関係を作る事も出来ません。しかし、まだまだ自分はこう信じていました。



「自分は大学空手部の過酷過ぎる3年間を耐えたのだから、体力がかなり付いたに違いない!!」



そう、当時の自分は自身の「鬱の廃人」状態をほとんど認識出来ていないのです。それどころか、上記の「虚構の体力」を信じ切っている始末。そして、自分はその体力が活かせるであろう場所を切実に探していました。そう、この社会のどこかに自分の居場所があるのではないか、と。自分は高校以来周りの人達と全くコミュニケーションが取れなくなってしまいましたから、自分の居場所を心の底から求めていたのです。しかし、自分は空手部引退後色々挑戦してみましたが、どこにも居場所を作れませんでした。そこで自分はこう思ったのです。



「今いる大学を辞めて、新しい大学に入り直せば、そこで居場所が見つかるのでは???」


と。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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