鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

母親に自分の鬱人生を喋っていく②(2007年12月・31歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「母親に自分の鬱人生を喋っていく(2007年12月・31歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が母親に自分の学校生活の話を喋り始めた、という話でした。そう、自分の学校生活は、孤独感と挫折感と恐怖感がただひたすら蓄積していき、心身がぶっ壊れていくだけの17年間だったのですが、その17年間を喋り始めたのです。そしてこの話は母親にとっては全て初耳の話だったと思います。何故なら自分が家庭内で学校生活の話をする事など事務連絡以外は1秒も無かったと記憶しているからです。我が家は自分が小学校3年生の時に戦争状態に陥りましたから、その荒廃しきった雰囲気の中でそもそも自己表現能力の低かった自分が学校生活の話を言い出せるはずもありません。また、両親の方から自分に学校生活の話を振ってくる事も皆無だったと思います。両親が自分に対して「興味を持っていた」という記憶が無いですからね。そう、うちの両親は「物質的」には何不自由なく自分の事を育ててくれたとは思いますが、「精神的」にはほぼほぼ放置されていた印象です。まぁとにかくうちの父親がアホみたいに神経質で精神的に虚弱な人間でしたから、うちの母親は父親の世話と妹の世話に神経とエネルギーの大半を割かれてしまい、長男の自分にまで母親のエネルギーが回って来なかった、そんな印象です。この傾向は小学校3年生「以前」からありました。そして、小学校3年生「以降」父親の開業をきっかけにそれは激化したのです。開業以降父親はさらに消耗していきましたし、開業から派生した親類問題により、夫婦仲がアホみたいに悪化していきましたからね。



さてさてそんな感じで自分はこれまで全く喋って来なかった学校生活の話を母親に喋り始めたのです。また、これまで書いていますように当時の自分にとって母親は「殺しても殺し足りない」以上に憎い存在でしたから、母親を前にすると自分の中でコントロール不能な暴力衝動が暴れ回っていました。自分はその暴力衝動をなんとか抑えながら喋ってはいましたが、それは母親のちょっとした言動で抑えが効かなくなり、母親に対してとても激しい言葉を投げつける事もしばしばありました。



また、時には自分と母親は普通の雑談をする事もありましたから、そういう時は自分は最近見ている深夜アニメのストーリーを母親に喋ったりもしていた、という事になります。



そう、こんな感じで自分は2007年12月頃から母親と喋り出し、最初の2〜3ヶ月は毎日4〜5時間母親と喋っていました。一度喋り始めると自分の中から湯水のように過去の記憶が溢れ出し、それは怒涛の勢いで自分の中から出て行った感じです。そもそも自分が母親と喋り出したきっかけは「何故自分が犬の吠え声でこんなにも精神的に追い詰められているのか、それを母親に分かって貰いたい」という気持ちからでした。そして、それを分かって貰う為には自分のこれまでの人生全てを喋るしかないと思ったのです。あの時の自分の精神状態は犬の吠え声の幻聴が聞こえるほど追い詰められ、これまでの人生の中で首吊りの実行確率が最も高い状況に陥っていました。そして、自分はある日急に何の因果もなく犬の吠え声の幻聴が聞こえてきた訳ではありません。31年間の人生の中で孤独感をどんどん蓄積させていき、心身が壊れていった末の「犬の吠え声の幻聴」だったのです。ですから、自分が犬の吠え声の辛さを伝えようとすると、自分の人生全てを母親に喋らなければならなかったのでした。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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