鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

中学の吹奏楽部で後輩との接し方が全く分からない(過去編・1989年・13歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「ゲームボーイ依存だが、ゲームボーイ友達は皆無(過去編・1989年・13歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が小学校3年生以降着々と心を病んでいった、という話でした。自分が病んでいった時系列は以下の通りになります。


小学校3年生の時の家庭環境の急激な悪化



小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」



中学入学時の「自己紹介事件」

中学校3年間の「ゲームボーイ依存」




う〜ん、着々と病んでますねぇ。そして、「自己紹介事件」以降の自分のメンタルヘルスは以下の通りになります。


「中学時代(『自己紹介事件』後)のポジティブな感情」


①学校のまぁまぁ勉強が得意


「中学時代(『自己紹介事件』後)のネガティブな感情」


❶家庭内における自分という存在のかなりの不安定さ

❷一晩中続く喘息の苦しさ

❸背中の慢性的な疲労

❹喘息のせいでスポーツが全く出来ず、スポーツ系のクラスメートに引け目を感じる

❺小学校6年生の時の「A先生怒られ事件」によるかなりの虚無感+この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感

❻中学校入学時の「自己紹介事件」による「やらかした感」と「恐怖感」+ この事件を誰にも喋る事が出来ない孤独感


(❶〜❹は小学校3年生時点ですでに発生)




上記の①の「学校の勉強が得意」ですが、これは中学校に入学以降「学校の勉強がまぁまぁ得意」くらいに下がりました。小学校から中学校に上がり、勉強の内容が難しくなった事で、それについていく事が難しくなった印象です。また、これまで書いていますように、自分の中学校の3年間はひたすらゲームの世界に現実逃避していた3年間です。かなりの時間をゲームに使っていましたから、単純に勉強をする時間が少なくなっていました。また、長時間のゲームにより、背中の疲労感は「疲労感」から「痛み」に悪化していました。そんな背中が痛んでいる状態では、集中力を削がれ、勉強にもなかなか身が入らなかった記憶です。あ、ちなみに自分が入学したのは公立の中学校です。私立の中学校は全部落ちてしまいましたからね。


さて、「自己紹介事件」以降の吹奏楽部の活動ですが、その後も小さいやらかしは続きました。楽器を壊してしまったり、先輩を困らせてしまったり。やはり自分は精神年齢の成長って小学校3年生で止まっていますから、周りの空気が読めないんですよ。そして、以前の記事にも書きましたが、自分は学年が進むにつれて、後輩との接し方が分からず、そこでの辛さが発生しました。



そう、この状態はこの先の大学空手部で起こる状態と全く同じです。自分は幼い頃から日々の出来事や感情を全く言語化していませんから、日々の経験が全く蓄積していませんでした。ですから、吹奏楽における経験の全ても何も言語化されず、ひたすらカオス状態のまま記憶の海の底に沈んでいきました。そして、他のカオスな記憶と混ざり合って、思い出すのが困難になっていったのです。ですから、自分は吹奏楽部での経験や楽器を吹くノウハウを何も蓄積させる事なく、学年を上がっていく事になりました。そして、後輩が入り、自分が教える立場になった時に困ってしまった、と。




自分は後輩に対して教える事が何もありませんでしたし、そもそも彼らとの日常的なコミュニケーションすら困難だったのです。自分は自分自身の事を何も把握していませんでしたから、自分自身の事を何も表現出来ませんでした。また、自分自身の事を何も把握出来ていませんから、後輩に対する興味も皆無です。自分は彼らと何を喋っていいのか、さっぱり分かりませんでした。そして、何を教えて良いのかもさっぱり分かりませんでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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