鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

記憶のサルベージ後半戦における8つの発見(過去編・2005年3月・29歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」 という謎の真相(過去編・2005年3月・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事も、自分が過去の記憶をノートに書いていった際の話でした。当時の自分は29歳です。全ての社会生活と家族関係から完全脱落し、部屋に引きこもって過去の記憶をノートに書く日々を過ごしていました。


当時の自分は過去の記憶をノートにひたすら書きまくっていた訳ですが、それには目的がありました。自分は以下の謎の真相を知りたかったのです。


「何故に自分の人生はどこにも居場所が作れず、社会から脱落する羽目になってしまったのか??」


自分はこの謎の答えを知りたくて知りたくてたまりませんでした。ですから、自分の過去の記憶を全てノートに書き出し、この謎を探っていきました。


そして、部屋に引きこもってから9ヶ月くらい経ったでしょうか(2005年6月頃)。自分はいよいよその答えらしきものに近付きつつありました。自分はこの9ヶ月+4ヶ月の間に、自分の人生に起きた様々な事件を言語化していきました。そして、その中で自分に関する様々な発見をしていきました。その発見の積み重ねによって上記の謎の核心部分に近づこうとしていたのです。



その謎の核心部分に見えてきたものは、


・小学校3年生で起こった「家庭環境の急激な悪化」


です。自分は様々な発見の積み重ねの中で、上記の事件が全ての元凶である、という手応えを掴みつつありました。




ではここで上記の謎解きは一端横に置いて置きまして、自分が記憶のサルベージ後半戦において、どんな発見をしていったのか、それをまとめてみたいと思います。まずは前半戦での発見を振り返ってみます。



「記憶のサルベージ中の7つの大きな発見(前半戦)」



①小学校3年生を境目にして、記憶の色が明らかに変わっている。小3「以前」の記憶には鮮やかな色が付いているのだが、小3「以降」の記憶は「灰色」一色。記憶から色が完全に剥げ落ちている。


②記憶の色の変化の原因は、当時の家庭環境の急激な悪化にあった事が判明。それに伴いメンタルが急激に悪化し、持病の喘息も急激に悪化。学校を休みがちになり、半不登校児になっていた事も思い出す。


③小3の時に通っていたスイミングスクールで離人症を発症していた事が判明。小3で精神疾患を発症していた事を知り、自分の人生の先行きの暗さに愕然とする。


④高校時代の時点で「鬱状態」に陥っていた。

⑤大学空手部の3年間は全くもって無駄だった。

⑥大学空手部の3年間で鬱がさらに3倍悪化した。

⑦自分の人生はただひたすらに人間関係で挫折を繰り返し、大学空手部も大失敗し、心身が壊れていくだけの人生だった。



そして、後半戦での発見をまとめてみます。


①小学校3年生、4年生の時の自分は半不登校児状態だった。喘息で夜眠れない日々が続き、小学校の半分を休んでいた。


②小学校6年生の時に起きた「A先生怒鳴られ事件」で甚大な精神的ダメージを受けた。事件後の自分は虚無感に襲われ、親の金を盗んだり、万引きをしたりと問題行動が頻発。


③中学1年生の時に起きた「自己紹介事件」でもかなりの精神的ダメージを受けた。そして、「A先生怒鳴られ事件」も「自己紹介事件」も同じような原因によって引き起こされていた。つまり、自分の精神は小学校3年生で止まり、そこから全く成長していなかった。その「成長しなささ」はその後もずっと変わらず、28歳まで続いていた。


④大学3年生の時に受け始めたカウンセリングにおいて、安心して喋れる暖かな暖かな居場所を初めて知った。そして、自分の周りには幼い頃から、このような安心して喋れる暖かい居場所は皆無だった。


⑤中1の時の「自己紹介事件」以降も学校生活において以下の事件が続き、全ての事件で自分は甚大な精神的ダメージを受ける事となった。その蓄積によって高校2年生の春に鬱を発症。


*高校入学時「歓迎会逃亡事件」
*高校1年生秋「暴言事件」
*高校2年生4月「寄せ書き事件」
*高校2年生4月「自己紹介事件」


当時の鬱の諸症状は以下の通り。


「高校時代の鬱の諸症状(2004年ver)」


*食欲消失

*日曜夜の激しい喘息

*背中の慢性的な疲労

*慢性的な眠気

*高校生活中のめまい


⑥全ての事件の元凶は、小学校3年生の時の「家庭環境の急激な悪化」にあった。この事件の問題点は以下の4つ。



❶家庭環境が戦争状態に陥った事で、両親が幼い自分をますます放置。これにより自分は家庭内においてかなりの不安感に怯える事となった。言うなればそれは「自分という存在が立っている地面がいつ崩落するか分からない不安感」。これによって自分は「自分に対する自信」を大きく失っていった。この精神的ダメージによって持病の喘息も急激に悪化。小学校に通えなくなり、半不登校児のような状態に陥ってしまった。



❷この事件によって当時の自分はますます家の中で自己表現をしなくなっていった。また、両親の方もますます自分に興味を向けなくなっていった。当時の自分はそんな両親に対して何の愛情も信頼も感じておらず、ただただ親に対して諦め切っていたし、冷め切っていた。故に両親に対する興味など一切無し。これによって、自分と両親はお互いの人生を全く共有しないまま、時が流れる事となった。



❸この事件によって自分の中にある「承認欲求」が飢餓状態に陥った。「飢餓状態の承認欲求」を簡潔に言い換えると「極度の寂しさ」。この「極度の寂しさ」が、その後様々な事件を引き起こしていった。


❹「極度の寂しさ」によって、小学校6年生の時に「A先生怒鳴られ事件」が発生。当時の自分はこの事件により甚大な精神的ダメージを受けたのだが、その事を両親に喋る気になどさらさら無かった。自分と両親は日々の出来事や感情を全く共有していなかったので、そんな両親に対して重大事件を喋る気になるはずがない。また、それ以外にも自分の周りには信頼出来る人間関係が皆無だったので、自分はこの事件を何一つ言語化出来なかった。


これによって、この事件の精神的ショックはいつまで経っても何一つ消化されなかった。同時に事件をいつまで経っても客観視出来なかったので、この事件から反省や学びを得ることもできない。よってその後も「極度の寂しさ」が何度も何度も事件を引き起こし、そのたびに自分は「自分に対する自信」を大きく失っていった。その結果高校時代に鬱を発症。



(ただし上記の4つの考察は2022年の自分が書き上げたものであり、2004年の自分の考察は上記の考察より50%くらい浅い。とは言っても「骨組み」と「流れ」と「結論」は、上記の考察と全く一緒。)


⑦当時の自分も自分の高校時代が酷く虚しく悲しいものになっている事は認識していた。高校時代の自分はクラスや吹奏楽部において完全に「透明人間化」。女の子とのコミュニケーションどころか、大人しめな同性とのコミュニケーションすら絶望的になっていた。よってそんな自分を変える為に大学では空手部に入る事を決意。


⑧人生に対する明るい希望や展望など何一つ無かったが、高校の女の子達に自分の存在をアピールしたいだけの一心で大学受験に集中。高校ではずっと透明人間だっただけにその気持ちはとても強く、結果志望大学に合格。



いいですね!素晴らしい!!



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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