鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

東○荘事件前夜②(過去編・2006年3月・30歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「東○荘事件を書くのは本当に気が重い(過去編・2006年3月・30歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、29歳の自分が両親や引っ越しに対して凄まじい憎しみを感じていた、という話でした。今回の記事ではまず前回の記事をそのまま引用しまして、そこから東○荘事件の話に入って行きたいと思います。


『前回記事からの引用』


ではここで当時の自分が感じていた憎しみを5つの要因に分解したいと思います。以前の記事でまとめたものになります。


「引っ越しに対する凄まじい憎悪と絶望感、その5つの理由」(前提として当時の自分は実家暮らし)



①そもそも当時の自分は両親に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。(自分が両親に対して憎しみを募らせていく過程はこのブログのトップ記事 「人生年表&鬱悪化のフローチャート 」をお読み下さい。) よって自分と両親とはこの1年以上全くコミュニケーションが無い状態が続いていた。そんな状態で両親が急に「引っ越し」という一大イベントを言い出してきたことが許せない。自分には「引っ越しをしたい」という気持ちが1㎜もない。




②もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、家族とのコミュニケーションは避けられない。そして、当時の自分は家族に対して「殺したい」程の憎しみを感じていた。よって、家族とコミュニケーションを取らざるを得ない状況を強制的に作り出された事に対する凄まじい憎しみ。




③もし引っ越しをするとなると、「引っ越しについて行く」にしろ「一人暮らしする」にしろ、そこに自分の時間やエネルギーを割かなければならなくなる。その事に対する凄まじい憎しみ。何故なら、当時の自分はそれまでの29年間の人生を、両親によって全て搾取されたような感覚を持つに至っていた。よって、両親に人生を搾取された上に、さらに引っ越しで時間とエネルギーを搾取されそうな事が気が狂いそうな程の憎悪を発生させていた。




④当時の自分の心身は長年の孤独によって、「鬱の廃人」×2倍状態に陥っていた。「被害妄想」は病的(×6倍)に悪化していたし、日々の心身の辛さも半端ではなかった。(当時の鬱の諸症状はこちら)当時の自分はカウンセリング&パチンコ生活をしていたが、それは心身ともにギリギリな状態でなんとか日々を過ごしている状態。こんな状態で「望まない引っ越し」や「望まない一人暮らし」をするエネルギーがあるはずもなく、それに対する凄まじい不安と憎しみも発生していた。




⑤当時の自分は1年間の引きこもり生活を終え、ようやく外の世界に出れるようになっていた。そこで新しく始まった生活は、週1回カウンセリングを受け、そのカウンセリング代と生活費を稼ぐ為に週4〜5回パチンコで稼ぐ生活。この生活は「鬱の廃人」状態に陥っていた自分にとってかなりの心身の苦痛を伴うものだったが、一方でそれ以上のやり甲斐と希望もこの生活に感じていた。それは自分が29歳にしてようやく掴んだ自分らしい日々だった。しかし、両親が引っ越しを言い出した事で、この明るい日々はたった2ヶ月で終わってしまった。自分は引っ越しがもたらす凄まじい憎しみと絶望と不安と悲しみに打ちひしがれ、再び人生の先行きが全く見えない状態に陥ってしまった。これによる、恨みも凄まじいものがあった。




上記の①〜⑤を合わせた憎しみの総量は凄まじいものがありました。自分は引っ越しの話が出る前から両親に対して「殺したい」程の憎しみを感じていたのですが、引っ越しの話が出てきて以降、それは『「殺したい」程の憎しみ』以上の憎しみに悪化していったのです。



こうなりますと、自分はもはや憎しみを理性でコントロール出来なくなっていきました。自分は暴力衝動を我慢が出来ず、事あるごとにその暴力衝動を家の中でぶつけていく事になりました。例えば玄関や家の中のドアをこれ以上なく思い切り閉めたり、自分の部屋の壁や床を殴ったり、蹴ったり、です。



そんな日々が3〜4ヶ月続いた頃でしょうか(2006年3月頃)。この頃にとある事件が起き、自分の心は地獄の底の底に叩きつけられるこ事になりました。事件の名前は「東○荘事件」。自分の人生の中で起きた事件の中でもそのメンタルダメージはトップクラスです。



『引用終わり』



なるほど〜。ではここからは事件について書いていきたいと思います。事件が起きたのは、2006年3月頃です(29歳)。上記に書いていますように当時の自分は憎しみをコントロール出来なくなっており、家の中で「物」に対してそれをぶつけまくっていました。例えば玄関や家の中のドアをこれ以上なく思い切り閉めたり、自分の部屋の壁や床を殴ったり、蹴ったり。あとは「うぁぁぁぁぁ!!!」みたいな奇声も発していた記憶です。



ちょっと東○荘事件の話の前に書きたい事が出てきました。それは事件が起こる3〜4ヶ月前の出来事です。その頃自分は母親とコミュニケーションを取りまして、そこで引っ越しが避けられない状況にあると認識しました。この出来事は以前記事に書いています。この出来事によって①〜⑤の憎しみがさらに増幅し、もはや理性でコントロール不能な状態になったのです。ですから、ここから3〜4ヶ月の間、自分は事あるごとに家の中で「モノ」に当たりまくっていた記憶です。自分はそうする事で「引っ越しに断固反対」という意志を表明しているつもりでした。この意志表明により、少しは両親が自分の辛さを汲み取り、引っ越しの流れが弱まわるのではないか、という期待もあったように思います。



しかし、自分の期待とは裏腹に引っ越しの流れが弱まる気配はありませんでした。そして、あれは母親と喋って1ヶ月後くらいの事でしょうか。父親が再び自分の部屋の前に立ち、声を掛けてくる事があったのです。今回の記事で書きたいのはこの出来事です。すると父親は「申し訳ないけど引っ越しをする事になりそうだ」的な事を言ってきたのてわす。自分はそれを聞き、さらに憎しみの炎に焼かれた記憶です。当時の自分はその内容に関わらず、父親に話しかけられるだけでも気が狂いそうな憎しみに襲われていました。その理由は以下の通りです。以前の記事でまとめたものになります。



①そもそも父親が自分に喋りかけてくる事自体が許せない。当時の自分は家族全員に対して「殺したい」程の憎しみを感じており、特に父親に対してはそれ以上の憎しみを感じていた。2年前の「尿管結石事件」の際、父親から発せられた血も凍る暴言と、半年前の「父親突入事件」の事を忘れられるはずがない。(それぞれの事件の概要はこちら。)



このように自分はそもそも父親に対して『「殺したい」程の憎しみ』以上の憎しみを感じていました。その上父親は「引っ越し」という当時の自分からすれば理不尽極まりない事を言い出してきたのです。ですから、父親の「申し訳ないけど引っ越しをする事になりそうだ」という言葉を聞き、自分の脳は凄まじい憎しみの炎に焼かれ、真っ白になっていた記憶です。この時の自分の憎しみを言葉にするとこんな感じですかね。


「申し訳ねぇなら、引っ越しすんな、クソがっっっ!!!」


もしかしたら当時の自分は実際にこの言葉を父親にぶつけていたかもしれません。さらに父親は、こう言って去っていったのです。


「引っ越しに関する資料を置いていくから、見ておいてくれ。」


自分はその言葉を聞き、さらに憎しみの炎に焼かれた記憶です。なんだかんだ言いながらも、両親が引っ越しの話を進めようとしている事が明白だからです。自分はその資料を見る気になど全くなりません。自分は確か1〜2日それを放置した後、最後には全く読まずに資料をビリビリに破いて、自分の部屋のドアの前にばら撒いてしまったのでした。




このように自分が引っ越しに対して断固反対の態度を示しているにも関わらず、引っ越しの話は進んでいる様子でした。自分はその様子を感じるとますます憎悪の炎が燃え上がり、暴力衝動はより激しさを増したのです。そしてその行き着く先で起こったのが、これから書きます「東○荘事件」です。



それにしても今回の記事を書いてる最中、自分は当時の憎しみを思い出して、けっこうしんどかったです。父親に喋り掛けられた時の憎しみがそのまま蘇りましたからね。しかし、こうやって記事を書き終えてみますと、そのしんどさは全て消え、少しスッキリした気分になっています。やはりトラウマの言語化は、自分にとって有用なものだと思います。



今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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