鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

恐怖で一睡も出来ず、引っ越し当日を迎える(過去編・2006年6月・30歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 ここまでの経緯をフローチャートにまとめてみる②(過去編・2006年3月・30歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事も、「東○荘事件」以降のフローチャートを考えてみました。「東○荘事件」とは自分が29歳の時に起きた事件です。自分はこの事件をきっかけに両親に対して「殺しても殺し足りない」程の憎悪を抱くようになっていきました。 (自分が両親に対して憎しみを募らせていく過程はこのブログのトップ記事 「人生年表&鬱悪化のフローチャート 」をお読み頂きたいです。)



ではここで、前回まとめた「東○荘事件」以降のフローチャートを思い出してみたいと思います。(「東○荘事件」の詳細はこちらの記事をご覧下さい。)



東○荘事件から2〜3週間後、両親が自分に2ヶ月後の引っ越しの決行を伝えてきた。これにより、自分の心の中にはこれ以上無い挫折感と虚無感が発生した。つまり、この時の自分の心の中には以下の9個(①〜⑥+❶❷+1)の致命的な憎悪と不安感が発生していた、という事になる。


・「引っ越しに対する凄まじい憎悪と絶望感、その6つの理由①〜⑥」(①〜⑥の詳細はこちら)


・❶家族3人に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪


・❷ 「もしベッドに入り寝てしまったら、その無防備な所を家族に襲われ、殺されてしまうかもしれない」という病的(×12倍)な被害妄想


・東○荘事件の後、両親が引っ越しの決行を決めた事による、過去に例を見ない程の挫折感と虚無感

((マイナス264→264))



両親が引っ越しの決行を決めた事で、「引っ越しについて行くか」、「一人暮らし」するのか、選択を迫られる事となった。最終的には断腸の思いで「引っ越しについて行く」を選ぶ事となった。(「一人暮らし」を選べなかった理由はこちら) ((マイナス264→264))



「引っ越しについて行く」事で、上記9つの憎悪と絶望感が最大化する事が確定的になった。この事で自分の中には以下の最悪の事態が想定された。


引っ越し準備の中で、自分の自我が憎悪と被害妄想に飲み込まれてしまい、正気を完全に失い、「自殺」という現実離脱手段すら使えなくなる事態。(具体的には、自分が気が狂った末に、精神病院の閉鎖病棟に隔離され、死ぬまでそこで苦しみ続けるような状態を想定) ((マイナス264→264))




よって自分は上記の状態を避ける為に、この先の引っ越し作業の中でもし正気を失いそうになったら、すぐにでも首を吊って、現実から離脱しようと決意。ホームセンターに行き、電源コードと突っ張り棒を購入し、自分の部屋の中に「首吊り装置」を設置。試しにコードに全体重を掛けてみたところ、身体は浮き上がった。これにより自分はかなりの安堵感を覚えた。自分はこの「最終安全装置」を心の支えにして、引っ越し準備を進めて行く事に。((マイナス264→264))



「最終安全装置」を設置した翌日、妹とコミュニケーションを取り、引っ越しの情報を得た。当時の自分は妹に対しても「殺しても殺しない」程の憎悪を感じており、本来ならコミュニケーションは絶対にあり得ない精神状態。しかし、引っ越しについていくからには家族内の誰かとのコミュニケーションは避けられず、家族3人の中で妹はまだマシな存在だった。((マイナス264→264))



その故に自分は妹に対する憎悪を必死に抑えて妹とコミュニケーションとなった。すると、妹の自分に対する態度は悪くなかった。妹は引っ越し関する詳細を教えてくれた。なんでも妹は今回の引っ越しを両親に反対していたそう。その理由は「兄(自分)が家庭内で完全孤立している状態で引っ越しをするべきではない。」、と。自分はその話を聞き、少し嬉しくなった。((マイナス264→264))



それから2〜3日後、自分と妹は引っ越し先の一軒家を見に行く事となった。新しい一軒家は現在住む家よりも広くて新しかったのだが、そんな事で自分の心が晴れる事は一切無かった。(その理由は「引っ越しに対する凄まじい憎悪と絶望感、その6つの理由①〜⑥」の⑥) ((マイナス264→264))



新しい家の下見が終わると、自分と妹は2年ぶりくらいにじっくり話した。自分は引きこもりの1年間自分が何をしていたのかを妹に喋った。また、他にも「我が家が小学校3年生以降戦争状態に陥っていた」、という話や「家庭環境が戦争状態に突入した事自分の学生時代が滅茶苦茶に壊され、心身も壊れていった」という話もした。((マイナス264→264))



下見の翌日くらいから、引っ越し準備が本格化する事となった。それにより、パチンコ稼業へのモチベーションは完全消滅。何故なら引っ越しの流れが確定的になった事で、上記の9個の憎悪と絶望感が最大化される事が確定的になった為。この時の精神状態を短くまとめると以下の通り。


「頭の中が2ヶ月後の引っ越しに対する不安感と絶望感で溢れ返っているので、もはやパチンコどころではない。」

((マイナス264→264))



結果自分のパチンコ生活は半年間で幕を下ろす事となった。稼いだ額は半年間で180万。そして、手元に残った貯金は100万。自分としてもこの生活を貯金200万円までは続ける気持ちだったので、そこはくやしい思いがあった。また、当時の自分は「引っ越しが終われば、もしかしたら稼ぐモチベーションが復活するかも」、と期待している部分もあった。

((マイナス264→264))


フローチャート終わり』



では上記の続きを考えていきます。自分が妹と一緒に引っ越し先を見に行ったのが、2006年4月です。その後自分はパチンコ稼業から撤退し、引っ越し準備に専念する事となりました。そして、2006年の6月下旬にいよいよ引っ越し本番を迎えた、という流れになります。



引っ越し当日を迎えるにあたり、自分はかなりの不安感を感じていた記憶です。そう、当時の自分は病的(×12倍)な被害妄想状態に陥っていました。これは何をやっても極度の不安感と緊張感に襲われてしまう精神状態です。まして、今回の引っ越しで自分が受けた精神的苦痛は計り知れないものがありました。



ではここで、改めて「東○荘事件」以降の自分の精神状態を振り返ってみたいと思います。


「東○荘事件以降の9個(①〜⑥+❶❷+1)の致命的な憎悪と不安感」


・「引っ越しに対する凄まじい憎悪と絶望感、その6つの理由①〜⑥」(①〜⑥の詳細はこちら)


・❶家族3人に対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪


・❷ 「もしベッドに入り寝てしまったら、その無防備な所を家族に襲われ、殺されてしまうかもしれない」という病的(×12倍)な被害妄想


・東○荘事件の後、両親が引っ越しの決行を決めた事による、過去に例を見ない程の挫折感と虚無感



う〜ん、酷い。自分はこのような精神状態で引っ越し準備をする事に致命的な精神的苦痛を感じていました。場合によっては致命的な憎悪と被害妄想の嵐によって、自分の正気が失われる可能性すら感じたのです。ですから、自分はそのような事態に備えて、「首吊り装置」という名の「最終安全装置」を部屋に設置したのでした。



その後自分はなんとか妹とコミュニケーションを取り、引っ越しの情報を得ました。そして、なんとか引っ越し準備を進めていったのです。



それから2ヶ月後、自分は引っ越し当日を迎える事となりました。先程も書きましたが、この時の自分は極度の不安感と緊張感に襲われていた記憶です。そう、ただでさえこの時の自分は「被害妄想」が病的(×12倍)に酷くなっていました。まして、今回の引っ越し準備において自分が受けた精神的ダメージは致命的でした。という事は、この先の引っ越し「当日」の出来事によっては、さらなる精神的ダメージを受ける展開だって全然あり得るように思えたのです。




そう、引っ越しの当日となると様々なハプニングが起こる事が予想出来ます。例えば自分の新しい部屋に家具が入らない展開です。自分の古い部屋には大きな棚があったのですが、それが新しい部屋に入らない展開になる事もあり得るような気がしていました。もちろん、事前に部屋の大きさと棚の大きさを測って確認していましたが、ギリギリな感じがあったのです。もし、新しい部屋に大きな棚が入らなければ、事態は一気に厄介さを増す事でしょう。その大きな棚を自分の部屋以外でどこに置くのか、それとも再び元の家に戻すのか、滅茶苦茶厄介な事態になるのは目に見えています。



このような事態になった時に自分が最も恐れていたのは、「両親とコミュニケーションを取らなければならなくなる事」です。そう、大きな棚をどうするのかを巡って、両親とコミュニケーションを取る必要性が生じるかもしれません。しかし、何度も書いていますように、当時の自分は両親に対して「殺しても殺し足りない」程の憎悪を抱いていました。ですから、両親とのコミュニケーションなど天地がひっくり返ってもあり得ない精神状態でした。ですから、自分は引っ越しするに当たり、妹とコミュニケーションを取り、両親との間の情報の橋渡し役としたのです。



ですから、このような不測の事態に陥った場合、自分は妹を通じて両親とコミュニケーションを取る事になるでしょう。しかし、当時の自分からしてみますと、そのような妹を橋渡し役にした両親とのコミュニケーションすら、気が狂いそうな憎悪を感じるものでした。



しかも、そのよう突発的なトラブルの場にもし妹がおらず、自分が両親と直接コミュニケーションを取らなければならない事態に陥りでもしたら、どうなるでしょう。これは本当に最悪中の最悪の事態でした。もしそうなったら自分の心は致命的な憎悪と被害妄想の嵐に襲われ、正気が失われてしまう事でしょう。自分が最も怯えていた事態はそれでした。この場合はすぐに「首吊り装置」という名の「最終安全装置」を作動させる事となります。



ですから、自分は引っ越しの当日にそのような不測の事態が起こる事を極度に恐れていたのです。故に引っ越し当日の前夜はその不安感でほとんど眠れなかった記憶です。あの夜もかなり辛い夜でした。翌日の引っ越しが無事に終わるというイメージが全く出来ないのです。




まぁでもそれは仕方なかった事だと思います。何せこの引っ越し当日に至るまでに自分が受けた精神的ダメージは致命的でした。両親が引っ越しを言い出した事で、「東○荘事件」が起こり、自分はそこで少なくとも「中指の拷問」一回分の精神的苦痛を受ける事となったのです。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)そりゃ、引っ越し当日に更なる精神的苦痛を受ける事を予期してしまうのも無理はありません。




ですから、自分は引っ越し前夜その凄まじい予期不安により、ほとんど眠れませんでした。ですから、疲れがほとんど取れていない状態で、引っ越し当日の朝を迎える事となったのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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