鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

ぎっくり腰事件のここまでをフローチャートにまとめてみる[花粉症発症→ぎっくり腰事件30](過去編・2007年3月・31歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 歯磨きすらまともに出来ない[花粉症発症→ぎっくり腰事件29](過去編・2007年3月・31歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事も、自分が花粉症を発症し、その後ぎっくり腰を発症した、という話でした。これは自分が31歳の時の話しになります。そして、自分はぎっくり腰発症後に耳鼻科に行くのを諦め、防寒着を脱いでいった、という話になります。その後自分は仮眠を取ったのでした。



本題に入ります前に、この花粉症発症には「何故そうなったのか?」という「前フリ」があります。この前フリは「花粉症発症」「以前」の自分の心身の状態をまとめたものです。




遡る事9ヶ月前、両親が「引っ越し」を強行したのですが、それが原因で自分の中の両親に対する憎悪は「殺しても殺し足りない」程の憎悪にまで激化しました。この事件によって激化した憎悪と絶望は9個に分かれています(①〜⑥+❶❷+1)。そして、これらの憎悪が原因で、自分の心身は引っ越し後「極度の虚脱状態と放心状態」に陥ったのでした。この「極度の虚脱状態と放心状態」は8個の諸症状(⑴〜⑻)に分かれています。興味のある方は 『「花粉症発症→ぎっくり腰事件」の前フリ 』をご覧下さい。




このように自分は引っ越しが原因で「極度の虚脱状態と放心状態」に陥りました。そして引っ越し後の自分は9ヶ月に渡って⑴〜⑻の症状にのたうち回り続けたのです。そして、翌年の3月、「花粉症発症→ぎっくり腰事件」が起きたのでした。



「花粉症発症→ぎっくり腰事件」の途中までの経緯をフローチャートでまとめてあります。かなり長いフローチャートになります。いつもこのブログをお読みの方はスルーして下さい。


「花粉症発症→ぎっくり腰事件」のフローチャート




今回の記事は、前々回、前回の記事を参照にして、上記のフローチャートの続きを考えていきたいと思います。では始めます。



ラジオを聞いていると、2〜3時間で眠気に襲われ、1時間くらい眠った記憶。起きると夜の12時。ここで自分はご飯を食べようと思った。食欲はないものの、何かを食べないと腰の痛みが回復しそうにない。自分は腰の爆発的な痛みを我慢しながら、1階の台所に降りていき、ご飯の準備をし始めた。





この時の自分に「家族に頼る」という選択肢は皆無。今回のぎっくり腰でさらに家族への憎悪は激化し、「殺しても殺し足りない」「以上」の憎悪となっていた。こんな精神状態では、助けを求める為のコミュニケーションであっても、あり得なかった。





自分は爆発的な腰の痛みを我慢しながら、台所でご飯の準備を進めた。問題なのはこの後。ご飯が載ったお盆を持ち、階段を登って2階の自分の部屋に戻らねばならない。自分はこの作業にかなりの不安を感じていた。この時の自分はただ歩くだけでも腰に爆発的な痛みが発生している状態。「身体の縦軸」と「床の横軸」の角度が少しでも90度からズレると凄まじい痛みが自分を襲う。少しでもその角度が、90度からズレると、腰のガラス細工が粉々に砕け散り、その破片が腰の筋肉に突き刺さる、そんなイメージ。




こんな状態でお盆を持ってさらに階段を登っていかなければならない。とりあえず自分はお盆を腕に載せて恐る恐る歩いてみた。するとやはり爆発的な痛みに襲われてしまう。自分は痛みが発生するごとに立ち止まり、その痛みが引くまで待った。その繰り返しでなんとか歩いて行く事は出来そうだった。




自分はなんとか階段の下に辿り着いた。ここから階段を20段程登らねばならない。ここが最終関門。自分は恐る恐る階段を2〜3段登った。するとやはり爆発的な痛みが自分を襲う。自分はその場で立ち止まり、その痛みが引くのを待った。そして、痛みが引くと再び階段を登るが、2〜3段登るとまたも痛みが爆発。自分は再び立ち止まり、その痛みが引くのを待った。このような繰り返しで自分はなんとか階段を登り切った。





自分は2階に上がり、痛みに耐えながら自分の部屋になんとか辿り着いた。そして、食事をいつもの机の上に持ってくる事が出来た。自分はこの時かなりの達成感を感じた記憶。「なんとか無事にご飯を持って来る事が出来た、、!!」、と。



そして、自分は腰の痛みを我慢しながらご飯を食べた。





自分はご飯を食べた後、歯を磨いた。普段ならご飯を食べた後はすぐに皿を1階の台所に持って行き、洗うのだが、今日はそんな事をする気には全くなれない。当然風呂に入る気も全くしない。自分は食事後すぐに歯を磨いて再びベッドの中に戻ろうと思った。



そこで自分は洗面台に立って歯を磨こうと思ったのだが、この時にも腰の痛みが大爆発だった。洗面台の前に立ち、歯ブラシを掴もうとするだけでも涙目になる程の痛みが自分を襲う。この時の自分の身体は、「身体(腰)の縦軸」と「床の横軸」の角度が少しでも90度からズレると凄まじい痛みが発生してしまう状態だった。そして、少しでもその角度が、90度からズレると、腰のガラス細工が粉々に砕け散り、その破片が腰の筋肉に突き刺さる、そんなイメージ。




そして、洗面台で歯を磨く時にはこの角度が90度からズレがちだった。例えば、歯磨きや歯ブラシを取る作業、歯をゆすぐ時の作業。故に自分はこれらの作業をするたびに凄まじい痛みに襲われ、一旦動きを止めなければならなかった。いつもは当たり前に出来ている歯磨きすらまともに出来なくなっていた。



自分は痛みに必死に耐えながら、なんとか歯磨きを終えた。そして、凄まじい痛みに耐えながらベッドに移動し、凄まじい痛みに耐えながらなんとかベッドの中に潜り込みました。時刻は深夜1時頃。後はベッドの中でラジオを聞きながら時間を潰し、寝るだけだった。この日はもう動く必要はない。自分はここでけっこうな安堵感を覚えた。



今日1日を思い返してみると、自分が夕方頃に耳鼻科に行こうとした所、急にぎっくり腰が発生し、凄まじい痛みにのたうち回る事となった。それから1時間に渡って防寒着と格闘し、なんとかベッドに入った。そして、仮眠をとった後、凄まじい痛みに耐えながらご飯を食べ、なんとか今日1日が終わろうとしていた。



自分の心の中は絶望という言葉では到底言い表せない程の絶望に支配されていた。自分はただでさえ9ヶ月前の「引っ越し及び東○荘事件」で致命的な精神的ダメージを受けたというのに、さらにぎっくり腰まで発症するとは。この時の気持ちは「俺はただただ必死に生きているだけなのに、なんでさらにこんな事になるんだ、、」。



しかし、この時の自分はこれ以上深くは考えないようにしていた。これ以上深く考えると心の中で家族への憎悪が大爆発し、眠れなくなる。また、自分の腰はベッドの中に入ってからも痛みが酷かったですから、その意味でも物事を深くは考えられない状態でもあった。



自分はベッドの中でラジオを聞き続けた。そして、1〜2時間後に睡魔に襲われ、眠りについたのだった。ようやくぎっくり腰発症の1日が終わった。




いいですね!よくまとまりました。次回の記事ではこの続きを考えていきます。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!




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