鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

自分と妹との間の致命的な「差」②(2022年9月・45歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 「トラウマ歩きの最中に発生していたポジティブな感情①〜⑥」


「トラウマ歩きの最中のネガティヴな感情❶〜❽」




そして、この①〜⑥のポジティブな感覚と❶〜❽のネガティヴな感覚、これらをトータルで差し引きしますと、「プラス」という感じです。ただこれは「トラウマ歩き1年目」の評価であり、2年目以降はまだ評価出来ません。またこれは今現在(2022年8月)の評価です。今後変わる可能性もあります。




次に、「トラウマ歩き1年目」において自分がよく歩いていたルートを確認したいと思います。そのルートは以下の4つになります。



・東京都心ルート

・鉄道沿線ルート(2種類)

・駄菓子屋ルート



ここまでの話をまとめますと、当時の自分は「トラウマ歩き」の最中に、①〜⑥のポジティブな感覚と❶〜❽のネガティヴな感覚、両方を同時に感じていた、という事になります。なんというか凄まじく自己矛盾した状態で上記の4つのルートを歩いていた、という感じです。



『前フリ終わり』



ここからは前回の記事をそのまま引用したいと思います。自分が妹への憎悪を増大させる要因の一つとなった「引っ越し及び東○荘事件」、この事件に関しても妹には直接的な原因が無かった、という話になります。



『前回記事からの引用』


☆ご注意:今回の記事の中には6つの時系列があり、それぞれの時代の自分が出て来ます。6つの時系列は以下の通りです。



①今から19年前の「尿管結石事件」の時の自分(2003年10月頃・27歳)

② 今から16年前の引っ越し事件の時の自分(2006年6月・30歳)

③今から15年前の「ぎっくり腰事件」の時の自分(2007年3月・31歳)

④今から15年前の「母親と喋り始める事件」の時の自分(2007年10月・31歳)

⑤今から10年以上前の「トラウマ歩き」をしている自分(2008年4月〜・32歳)


⑥今現在のブログを書いている自分(2022年8月・45歳)




この6つをなるべく分かりやすいように書いていきますが、ややこしくてすみません。




このように今現在(2022年8月)の自分は、『「尿管結石事件」の致命的な精神的苦痛の責任は100%妹にあった!』とは考えにくくなってきています。しかし、トラウマ歩きをしていた頃の自分(2008年・32歳)は全く違います。尿管結石事件による致命的な精神的苦痛の責任は、100%妹にあると信じて疑っていません。また、尿管結石事件後の自分を考えてみますと、その後の自分は「引っ越し事件」によってさらに鬱を2倍悪化させ、妹への憎悪もさらに2倍悪化させる事となりました。さらにその後、この憎悪は「ぎっくり腰事件」と「母親と喋り始める事件」によって、「殺しても殺し足りない」(×3.375倍)程の憎悪となっていき、「トラウマ歩き」の時代と繋がります。



ただここで2006年に起きた「引っ越し事件」について改めて考えてみますと、「引っ越し事件」関しても、妹の責任は直接的には全くありません。何故ならこの引っ越しは父親と母親2人の一存で決めた事だからです。なんだったら妹はこの引っ越しに反対していたという話ですからね。ですから、本来ならこの事件で妹への憎悪がさらに2倍に悪化するのは筋違いとも言えなくはありません。



しかし、これは今現在(2022年8月)の自分だから出来る考え方であって、当時の自分にその考え方は無理でした。何故なら当時の自分はこの引っ越しによって首吊り装置を部屋に作らなければならない程、精神的に追い詰められたからです。




引っ越し事件の頃の自分は、家族全員に対して「殺したい」程の憎しみを感じていましたから、本来ならコミュニケーションなど到底あり得ない精神状態に陥っていました。しかし、この引っ越しによって家族の誰かとはコミュニケーション取らねばならない状況に陥ったのです。当時の自分には一人暮らしという選択肢はありませんでした。そこで自分は「首吊り」or「妹と喋る」という選択肢に追い込まれ、首吊り装置を自分の部屋に設置した上で、妹とのコミュニケーションに臨んだのです。



また、妹と喋る事になる1ヶ月ほど前には「東○荘事件」が起こり、自分はここで家族3人から袋叩きに遭う事となりました。この事件は今回の引っ越しが引き起こした事件です。自分はこの事件においても致命的な精神的ダメージを受けています。


一方妹の方はと言えば、両親と普通にコミュニケーションを取りながら、引っ越しを進めていました。そんな妹がこの引っ越しで自分のように精神的に追い詰められているようには到底思えませんでした。ですから、ここでも自分と妹との間には致命的な「差」が発生していたのです。まとめますとこういう「差」になります。


・自分は今回の引っ越しに際し、まず東○荘事件によって致命的な精神的苦痛を受け、さらに妹とのコミュニケーションを強制され、首吊り装置を設置する所まで精神的に追い詰められる事となった。


・一方の妹の方はと言えば、今回の引っ越しに際し、自分程精神的に追い詰められているとは到底思えなかった。何故なら妹は両親と良好な関係をずっと保ち続けていた。



そう、この引っ越しにおける致命的な「差」によって、当時の自分が妹に対して感じる憎悪はさらに2倍に悪化したのです。そう、最初に書きましたように、この引っ越しに関して妹には直接的な責任は全くありません。両親が強行した引っ越しですから。しかし、それにも関わらず当時の自分はこのようなロジックで、妹に対してさらに2倍の憎悪(「殺しても殺し足りない」程の憎悪)を妹に感じ始めた、という話になります。



そして、この引っ越し後の「殺しても殺し足りない」程の憎悪、これが「花粉症発症→ぎっくり腰事件」によってさらに1.5倍悪化し、さらに「母親と喋り始める事件」によってさらに1.5倍悪化しました。そして、「母親と喋り始める事件」で発生した自分と妹との間の致命的な「差」、これよってさらに憎悪は1.5倍悪化したのです。このようにして、「トラウマ歩き」の頃の自分は妹に対して「殺しても殺し足りない」(1.5×1.5×1.5=3.375倍)程の憎悪を持つに至ったのでした。



『引用終わり』


☆ご注意:今回の記事の中には6つの時系列があり、それぞれの時代の自分が出て来ます。6つの時系列は以下の通りです。



①今から19年前の「尿管結石事件」の時の自分(2003年10月頃・27歳)

② 今から16年前の引っ越し事件の時の自分(2006年6月・30歳)

③今から15年前の「ぎっくり腰事件」の時の自分(2007年3月・31歳)

④今から15年前の「母親と喋り始める事件」の時の自分(2007年10月・31歳)

⑤今から10年以上前の「トラウマ歩き」をしている自分(2008年4月〜・32歳)


⑥今現在のブログを書いている自分(2022年8月・45歳)




この6つをなるべく分かりやすいように書いていきますが、ややこしくてすみません。



このように引っ越し事件に関しても、妹には直接的な責任はありませんでした。しかし、当時の自分は到底そうは思えなかったのです。その理由は引っ越し事件に際しての以下の致命的な差にありました。


・自分は今回の引っ越しに際し、まず東○荘事件によって致命的な精神的苦痛を受け、さらに妹とのコミュニケーションを強制され、首吊り装置を設置する所まで精神的に追い詰められる事となった。


・一方の妹の方はと言えば、今回の引っ越しに際し、自分程精神的に追い詰められているとは到底思えなかった。何故なら妹は両親と良好な関係をずっと保ち続けていた。



このような致命的な「差」によって、当時の自分は引っ越し事件においても、妹に対する憎悪を増大させる事となったのです。そして、このような「差」のロジックによって、当時の自分は「ぎっくり腰事件」においても、妹に対する憎悪を増大させました。さらにその後の「母親と喋り始める事件」においても同様のロジックによって、妹に対する憎悪を増大させる事となります。結果的に「トラウマ歩き」初期の自分は家庭内で以下の憎悪状態に至っていたのです。

・妹に対して感じていた憎悪→ 「殺しても殺し足りない」(×2.25倍)程


・父親と母親に対して感じていた憎悪→ 「殺しても殺し足りない」(×1.5倍)



これは両親に対する憎悪よりも、妹に対する憎悪の方が大きいという状態です。この状態は今現在(2022年8月)の自分が見るとかなり歪んだ状態です。まずは母親への憎悪が全くもって見当違いな憎悪です。超長期的な視点で見ますと、自分が小学校3年生の時に起きた「家庭環境の戦争状態突入」、母親にはこの出来事に関する責任が全くありません。全ての責任は、父親及び父親の育った家庭環境にあったのですから。よって、この時の母親に対する憎悪は筋違いの憎悪だったのです。



しかし、「トラウマ歩き」初期の自分が、母親に対して「殺しても殺し足りない」(×2.25倍)程の憎悪を感じていたのは無理もない事でした。何故ならこの頃の自分はまだ両親それぞれの人生を聞いていません。それぞれの人生聞いていない状態では、父親の家庭環境の致命的な闇深さ、そして、母親の家庭環境の暖かさを知るはずがありません。



また、妹に対する憎悪に関しても当時の自分は「差のロジック」には当然気付いていません。何故なら自分がこのロジックに気付いたのは、このブログを書いている今現在(2022年8月)ですから。また、「トラウマ歩き」をしている頃の自分が、妹の方をより憎んでいたというのも、最近の記事を書いていて気付いた事です。



このようにトラウマ歩き初期の自分が上記の憎悪状態に陥ったのは、無理もない話だったと思います。




今回の記事はここで失礼致します。お読み頂きありがとうございました!




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