鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

「祖父→父親→自分と三世代に渡る発達障害の連鎖」②(2023年1月・46歳)

皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 「祖父→父親→自分と三世代に渡る発達障害の連鎖」(2023年1月・46歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、36歳の自分が父親の人生を詳細に聞いていき、その闇深さに驚愕した、という話でした。ではまずは前回の記事をそのまま引用したいと思います。



『前回記事からの引用』


このように36歳の自分は父親の人生を詳細に聞いていく中で、何度も知的興奮を覚えました。それは祖父の病的な学歴への拘りが、父親を含めた祖父の息子達の人生を壊していき、さらに祖父の孫である自分や妹の人生も壊していった、そんな「世代間の心の闇の連鎖」が見えてきたからです。



これによって、36歳の自分が父親に感じていた「殺しても殺し足りない」程の憎悪は、少しずつ減少していく事になりました。何故なら、諸悪の根源であった父親の心の中の莫大な心の闇、これらは全て父方の祖父の性格に起因していたからです。



ではここで久しぶりに父方の祖父の性格を振り返ってみます。


「祖父の性格まとめ①〜⑦」


①超学歴主義。

祖父の職業は旧帝国大学助教授だったのだが、息子達にそれ以上の学歴を病的に求めた。その結果次男と三男(父)は超高学歴を得た。一方、四男は小学校で不登校となり、以降引きこもり状態が30年以上続いた。


②超ヒステリーな性格で地雷がどこにあるか分からない。それによって家族全員を常に怯えさせまくる。

③性格がひねくれているので、あだ名が「ヒネキ」

④モノや感情を家族と共有しない( 冷蔵庫独占事件)

⑤人の好き嫌いが滅茶苦茶激しい( 長男さん大学受験事件」)

⑥大学時代に結核で長期入院。当時結核は不治の病と呼ばれており、これによるメンタルダメージは激しかったと思われる。


⑦大学卒業後、とある新興宗教に入信し、教祖の家系に養子縁組で入るも、その後1〜2年でその宗教を辞めてしまった。にも関わらず、何故か辞めた後もそこで貰った苗字を名乗り続けた。( 新興宗教養子縁組事件 )



このような祖父の性格はそのまま父親に引き継がれました。ですから、うちの父の性格は「超神経質で、超人嫌いで、超世間知らずで、永遠の中二病で、人間の好き嫌いが激しい人間」に育っていったのです。また、「自発性(好奇心)」「思いやり(想像力)」「自己肯定感」も極めて薄い人間に育っていきました。



そんな父は祖父の期待に応え、超難関大学医学部に現役合格しました。しかし、大学生活は上手くいかず大学3年生から大学休学開始。父はオカルト世界へ現実逃避し続けました。休学期間は6年間に及び、その終盤で父は母と出会いました。父は母のサポートを得て、なんとか大学に復帰。27歳頃に母と結婚し、30歳で医師として働き始めました。さらに41歳の時に独立し、医院を開設。しかし、上記の父の性格は家庭内を戦争状態に陥れ続けたのです。そう、父の性格は医師という職業に全く不適合でしたし、家庭内においても父親として夫として全く不適合でした。



そのような父の下、自分は父の性格をそのまま受け継いでいきました。自分は小学校、中学校、高校と空気を読めない言動を繰り返しました。そして、そのトラウマの蓄積で高校1年生で鬱を発症。さらに大学時代になると鬱は3倍に悪化し、しまいには家庭内においても孤立。最終的には28歳で全ての人間関係から脱落し、引きこもりになってしまったのです。



ちなみに上記の父親の性格、


①超神経質で、超人嫌いで、超世間知らずで、永遠の中二病で、人間の好き嫌いが激しい


②「自発性(好奇心)」「思いやり(想像力)」「自己肯定感」が極めて薄い



③自分自身に関する情報をまるで把握出来ていない。(自分が何が好きで何が嫌いで、何が得意で何が不得意で、どのような歴史を歩み、家族はどのような人間なのか)


④周りの空気が全く読めず、学校生活で失言、暴言を繰り返し、自己肯定感がどんどん減少。逆に被害妄想はどんどん悪化。(これに関しては主に自分が当てはまるが、たぶん父親も学校や職場で失言、暴言を色々やらかしていると思われる。)



これら4つの性格は概ね「29歳以前の自分」と「父親」に共通する性格です。これらの性格は精神医学用語で言う所の「発達障害」というやつだと思います。もしくは「アスペルガー症候群」「自閉症」。


参考サイト:https://sakuma-kokorono.clinic/developmental_disorder.html


そう、ですから自分の人生を振り返ってみますと、発達障害だったからこそ、学校生活に全く馴染めなかった、と考えると納得できるものがあります。さらに学生時代の自分は発達障害が故に学校生活で空気を読めない言動を繰り返し、トラウマを蓄積。その結果高校時代に鬱を発症し、それはどんどん悪化。28歳で引きこもりに至ったのです。つまり、自分の人生の苦しさとは「発達障害」と「鬱」によるものだった、とも考えられます。



つまり、我が家においては父親から自分へ「発達障害」の連鎖が起こっていた、と言えるでしょう。さらに遡ると祖父も「発達障害」であった確率は高い。



つまり、36歳の自分は父親の人生を詳細に聞いていく中で「祖父→父親→自分と三世代に渡る発達障害の連鎖」を感じていった、とも言えると思います。


『引用終わり』


このように自分は父親の人生を詳細に聞いていく中で、「世代間の心の闇(発達障害)の連鎖」を確信していったのです。そして、この過程の中で父親に感じていた「殺しても殺し足りない」程の憎悪は徐々に減少していったのでした。



前回の記事に書きましたように、うちの父の性格は「超神経質で、超人嫌いで、超世間知らずで、永遠の中二病で、人間の好き嫌いが激しい人間」です。また、「自発性(好奇心)」「思いやり(想像力)」「自己肯定感」も極めて薄い。前回の記事ではこれらの性格は「発達障害」のカテゴリーに入るのではと考えました。



ですから、こんな発達障害な父親が結婚し、作った家庭環境では致命的なトラブルが頻発しました。そして、家庭環境は戦争状態に陥り、それは15年以上続いたのです。そして、そんな家庭環境で育った自分は、父親の発達障害な性格をそのまま受け継ぎ、孤独と挫折と自殺願望しかない学生時代を送る事になったのです。



ですから、短期的な目線(10年スパン)で考えますと、自分の人生が破壊されてしまった原因は父親にあると言えます。



ところが、長期的な目線(50年スパン)で見ますと、その結論は変わってきます。何故なら、父親がそのような性格に育ってしまった原因は、父方の祖父の性格に病的な歪みがあったからなのです。(前回記事の「祖父の性格まとめ①〜⑦」参照)前回の記事では、祖父もまた「発達障害」であったのだろうと推測しました。



このような発達障害な祖父が作った家庭環境は病的に凍り付いており、これによって幼い父の性格が大きく歪んだであろう事は容易に想像できます。



ですから、自分にとって父親は自分の人生を滅茶苦茶に壊した「加害者」であるのですが、祖父と父親の関係において、父は「被害者」とも言えるのです。



さらに父の話を聞いてみますと、祖父が育った家庭環境もまた凍り付いたものだったようでした。祖父は幼い頃から家庭内で冷遇されていたそうです。また、祖父は大学時代に結核にかかっています。昭和初期、結核という病は「不治の病」と言われていましたから、この病気が祖父の性格に更なるネガティヴインパクトを与えた事が予想出来ます。



ですから、超長期的視点(100年スパン)で見ますと、祖父もまた「被害者」と言えるのかもしれません。そう、祖父も父も自分も「世代間の心の闇(発達障害)の連鎖」によって人生を壊されていった、被害者と言えるのです。



こうなってしまいますと、自分が父親を憎悪する理由は薄くなってきます。何故なら超長期的な視点で見ますと、自分の人生が破壊された原因は、「うちの家系の世代間の心の闇(発達障害)の連鎖」にあるからです。




このような流れで、自分が父親に感じていた「殺しても殺し足りない」程の憎悪は徐々に減少していった、という事になります。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!



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