鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

和楽器サークルを辞めた話(2001年4〜7月)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「サークルを辞めれなかった理由と鬱の緒症状(2001年5月)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、サークルを辞められなかった理由と当時の鬱の諸症状についてでしたね〜。さてそんな感じで自分はサークルの新歓合宿を泣く泣く休みまして、超不安な日々を過ごしました。そして、ゴールデンウィークが終わり、再びサークルのいつもの練習が始まったんですね。サークルに向かう途中の自分の気持ちは「あぁ、新歓合宿の3泊4日を経てサークル生はさらに仲良くなっているのだろう。合宿前ですら自分は彼らとコミュニケーションが全く取れず疎外感を感じまくっていたというのに、これが合宿休んだとなるとそれはさらに厳しくなるに違いない」という感じでして、合宿前よりさらに超ダークで重かった記憶です。それでそういう気持ちでサークルが行われている部屋に入り、三味線の練習を始めたのですが、もうなんかね、自分は合宿前よりさらに頭がテンパリまくっているような状態になってまして、さらに周りとのコミュニケーションが難しくなっていました。先程書きました「あぁ、新歓合宿の3泊4日を経てサークル生はさらに仲良くなっているのだろう。合宿前ですら自分は彼らとコミュニケーションが全く取れず疎外感を感じまくっていたというのに、これが合宿休んだとなるとそれはさらに厳しくなるに違いない」という気持ち、これが重過ぎて、もはや周りのサークル生が合宿前より仲良くなってるかどうかは関係なく、その気持ちから来るプレッシャーだけで周りとのコミュニケーションがさらに難しい状態に突入してしまっていたのです。そう、その気持ちが重過ぎてもはや周りのサークル生が合宿前より仲良くなっているかどうかを伺う余裕すら無くなっていました。要するに自分は自分自身が作ったプレッシャーに潰されてしまっていたのです。それでね〜、そこから息も絶え絶えな状態で2時間の練習をなんとか凌ぎまして、脱兎の如くサークルから帰っていきました。



それからと言うもの、自分はサークルに行くのがさらに嫌で嫌で仕方なくなってしまいまして、徐々にサークルを休みがちになっていきました。そう、サークルの為だけに1時間半かけて大学に行くも、どうしても足が進まず、途中の駅で引き返す、なんて事もありましたね。そして、サークルに入って3か月後の7月くらいに先輩から「夏休みは夏合宿をするよ」という話を聞きまして、それを聞いた自分は「新歓合宿ですらあんなキツくて仕方無かったのだから、夏合宿なんてもっと無理!」と諦めがつきまして、サークルを辞める事にしたのでした。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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