鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

父親方の祖母の死とその影響(2001年4月頃)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「古本屋でバイトを始めた話(2001年2月頃)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は自分が大学復学の足がかりとして古本屋でバイトを始めたって話でしたね。そう、自分は大学に復学する2ヶ月程前から古本屋でバイトを始めたんですね。ですから流れとしては、2001年2月に古本屋バイト開始、2001年4月大学に復学、7月に和楽器サークルを辞め、9月に再び休学、という感じになります。と、ここで2001年4月に起こった家庭内の出来事について書かせて頂きます。それは自分が大学に復学した直後の事なのですが、父親方の祖母が亡くなったのです。ある日父親が自分の部屋を訪れ、それを告げました。それを聞いて自分は特に悲しみや感慨を抱く事なく「そっか〜」と淡々とその事実を受け入れた記憶です。そう、父親方との祖母と自分との間にはほとんど交流がありませんでしたから、祖母の死になんの悲しみを抱く事もありませんでしたし、かと言って「やっと亡くなってくれたか」と感慨を持つ事も無かったですね。これまで何度も書かせて貰っています通り、我が家はこの祖母とニートの叔父が勝手に我が家の近所に引っ越してきてしまった事で滅茶苦茶になってしまいました。(我が家のゴタゴタの歴史①)この2人をどう扱うのかを巡ってうちの両親の間には喧嘩が絶えず、家庭内は10年以上戦争状態であり続けました。そう、ですから当時の自分がその祖母の死を聞いて「やっと我が家の戦争の原因である祖母が亡くなったくれた」と感慨を持っても良さそうなものですが、当時は何も感じなかった記憶です。推測するに、祖母が亡くなったからと言って、ニートの叔父が近所から居なくなるわけではありませんでしたから、まだまだ安心できるような状況では無かったですし、その1人残されたニートの叔父をどう扱うかを巡って両親や親族の間でさらなるゴタゴタが起こる可能性もありました。




そして、それから2〜3ヶ月経った頃、再び父親が自分の部屋に来まして、「叔父さんはうちの兄が引き取る事になったから」と告げました。どういう事かと言いますと、うちの父親には2人の兄がいたのですが、九州に住む父親の兄(長男)の方がニートの叔父を引き取る事になりまして、それにあたって父親は父親が受け取る権利のあった遺産の相続分を放棄したという話でした。そう、父親は長男さんとの間に弁護士を立てまして、「自分の遺産は要らないからあいつの事を引き取ってくれ」と交渉したらしいのです。(実の兄弟の間にも関わらず弁護士を立てて交渉するあたりにうちの父親の家族の異質さが伺えると思います)そしてこの交渉が実り、ニートの叔父は神奈川の我が家の近所からいなくなる事が決まりまして、これでようやく我が家を10年以上壊し続けたあの2人の件が解決する事になりました。しかし、当時の自分はここに至ってもその事に対してそこまでの感慨を抱かなかった記憶です。無理もありません。当時の自分は、自分の過去にどのような出来事が起こっていて、その出来事の蓄積が自分にどのような影響を与えたのかをほとんど把握できていなかったですから、あの2人がいかに我が家を滅茶苦茶にし、さらに自分の人生をも滅茶苦茶にしたのかもほとんど理解していなかったのです。しかし、あれから20年以上経った現在の自分はこう思います。「あの2人のせいで我が家は滅茶苦茶になったし、自分の人生も滅茶苦茶になったけど、しかし、あの祖母の死は我が家がこの先再生していく上での最初の大きな一歩だったな」、と。




そう、ここから先も自分のメンタルは悪化していく一方でしたし、自分と家族の関係も血みどろの関係になっていったのですが、少なくともうちの父親と母親の関係はこの祖母の死以降回復していったのです。振り返ってみますと、1985年の父親の開業以降うちの両親の間にはどんどんどんどん喧嘩の火種が増えていきまして、それは常に家の空気を酷く不穏なものにしていました。その主なものは、
・あの2人の件
・父親が勝手に引っ越しを決めてしまった件
・引っ越した先の家が超ボロボロだった件
・父親と整体師の件
の4つですが、細かいモノを入れると喧嘩の種は気が遠くなる程無数にありました。しかし、両親はどんな喧嘩をしていても結局最後には「あの2人をどう扱うか」の喧嘩に行き着いていたんですよ。それ程「あの2人の件」は2人の諍いの根本的な原因だったのです。ですからあの2人がうちの近所からいなくなったという事はそれまでの積み重なってきた喧嘩の原因の「大元」が無くなったという事であり、この事は両親の関係が改善していく上でとても大きな出来事となりました。




今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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