鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

4時間かけて今日の事件をノートに書く〜「東○荘事件15」(2006年3月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 明日以降どうするのか問題〜「東○荘事件14」(2006年3月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。今日はここで失礼します。




前回の記事は、自分がビジネスホテルの一室でノートに自分の気持ちを書いていったという話でした。書いていった内容をまとめますと、以下の4つになります。



・お昼に起きた父親との取っ組み合いの喧嘩の興奮とそこでの自分の立ち回りへの自画自賛


・その後の家族3人からの袋叩き。これにより家族に対する憎しみが、『「殺したい」程憎い』から『「殺しても殺し足りない」程憎い』に変化した事


・自分の人生に対する激烈な「理不尽感」と「絶望感」



・明日以降どうするのか。ホテルに泊まり続けるのか、否か。



これらの気持ちを書いていくのに4時間以上かかった記憶です。そう、ホテルにチェックインしたのが夜10時頃ですから、書いてる途中で日付は変わっていました。日付が変わった頃にいったん部屋を出て、ご飯を食べたりもしましたね。ホテル近くの定食屋に行ったのを覚えています。自分の身体の中にはお昼の喧嘩の興奮がまだ残っていましたから、それで身体が活性化されたのか、食欲はしっかりあり、美味しく食べれた記憶です。ご飯を食べた後はすぐに部屋に戻り、またノートを書き始めました。この時点ですでに2時間以上ノートを書き続けていたのですが、それでもまだまだ感情が溢れてきて、ペンが止まりません。自分はここら辺から「ノートを書く行為」に少しうんざりしてきました。すでに時刻は深夜1時を回っていました。今日はただでさえ激動の1日で疲労困憊中の疲労困憊だと言うのに、まだまだ書きたい感情が残っているのです。しかし、自分は全ての感情を書き尽くさないと上手く眠れないような気がしましたので、なんとか疲労に耐え、ノートを書き続けました。




そして時刻は深夜2時半。ようやく書きたい事が無くなってきました。自分は「ふぅ〜〜〜〜っ」と大きなため息をつきました。やっと今日という1日を書き終えたのです。もうホントこの日は色々あり過ぎました。振り返ってみますと、今日は父親との取っ組み合いの喧嘩に始まり、その直後自分は家族3人から袋叩きにされました。そして、警官が家に来た後、自分はカウンセリングに行きました。そこでH先生に先程の話を1時間聞いて貰いまして、地元に戻り、今度は元仕事仲間の2人に同様の話を聞いて貰いました。その後自分は繁華街のビジネスホテルにチェックインし、そこで今日起きた出来事とぐちゃぐちゃな感情を全てノートに書いたのです。この日はホントに色々あり過ぎました。自分の人生の中でもトップ3に入るくらいの激動の1日でしたね。2年前の尿管結石発症の1日も「鬱的に濃い1日」でしたが、それと同等か、それ以上に濃い1日でした。自分はノートを書き終えると虚脱状態で10分程動けなかった記憶です。そして、ノロノロと立ち上がり、ユニットバスのシャワーでシャンプーをして、身体を洗いました。まさか自分がビジネスホテルのユニットバスを使う事になるなんて、1日前の自分は予想だにしなかった展開です。身体を洗うとさっぱりして、少しはリラックスした感じがありました。しかし、「明日以降どうなるのだろう」という膨大な不安感はそのまま残っていますし、お昼の喧嘩の興奮の余韻もまだまだ残っています。しかし、身体は疲労困憊中の疲労困憊です。あまり眠気は感じませんでしたが、すでに深夜3時。ノートを書く作業は終わりましたし、それ以外にする事は無いですから、自分はとりあえずノロノロとベッドに入ったのでした。




最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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