鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を振り返っていきます。skipper1242でツイッターもやってます。

東○荘事件によりさらに鬱が悪化(2006年3月頃・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「東○荘事件翌日(2006年3月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は「東○荘事件」の翌日の話でした。自分は一晩だけ部屋で過ごし、翌日には東○荘に向かうつもりだったのですが、起きてみると、疲労感はまだまだエグく残っていました。加えて、東○荘の布団の極寒の冷たさや東○荘の宿泊費を払う精神的ダメージを考えると、東○荘に向かう気には全くなれなかったのです。自分はとりあえず体力、気力が回復するまで部屋に留まり続ける事にしました。しかし、そうなると不安なのが「激昂した父親が部屋に突入してくるリスク」です。東○荘事件の際、自分と父親は取っ組み合いの喧嘩になりましたし、さらに母親や妹からも袋叩きに遭いました。自分の心には、それによる精神的ダメージがかなり深く刻み込まれていたんですね。そう、自分は東○荘事件以前からこの家族内で孤立無援状態であり、そこでの精神的ダメージは凄まじいものがあったのですが、さらに東○荘事件で家族3人から暴力を受け、そこにさらに凄まじい量の精神的ダメージが上乗せされていました。ですから、自分はこの家に戻って以降、「敵の巣窟にいるような激しい緊張感」を感じていたのです。「またあいつらが暴力行為を仕掛けてくるかもしれない!!!」という緊張感は凄まじいものがありました。実際、半年くらい前には激昂した父親が無理矢理自分の部屋に入ってこようとする事件が起こっていたのです。自分は家に戻ってきてから、生命の危機を感じる程の凄まじい緊張感に晒され続けていました。




ところが、その凄まじい緊張感よりもさらに自分の心身は疲れ切っていたのです。自分の心身は東○荘事件により疲労困憊の極みにありましたから、もう1度家を出て行き、東○荘の「冷た過ぎる掛け布団」や「いつも違った環境」を受け入れる気力が皆無でした。また、何度も書いてますが、宿泊費の事も自分の中でとても納得出来ない気持ちがあったのです。「俺が苦労して苦労してパチンコで貯めたお金を、あいつらにボコられた上に何故にホテル代に使わなきゃならない訳???」、と。




そんな感じで、自分はしばらくはこの部屋で過ごす事にしました。自分は常に「激昂した父親が部屋に突入してくるかも」という緊張感の中で生活する事になりました。先程も書きましたが、「生命の危険」を常に感じながらの生活です。それにより、自分の睡眠はますます寝付きが悪くなり、眠りも浅くなっていった記憶です。そもそも東○荘事件以前から自分は妹の出すドア音に多大な恐怖感を感じており、それにより眠りの質は酷くなる一方だったのです。今回それに加えて「寝ている時に父親が部屋に突入してくるかも」、という恐怖が上乗せされ、寝付きはますます悪くなっていき、眠りはますます浅くなっていきました。それはつまり鬱のさらなる悪化を意味していました。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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