鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。ツイッターを@skipper1242でやってましたが凍結されましたので、現在は@skipper954954でやってます。

カウンセリングへのモチベーションも消失(2006年8月・30歳)

皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「パチンコへのモチベーションが完全消滅(2006年8月・30歳)」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分がパチンコ稼業へのモチベーションを全て失い、新たな喪失感と虚無感を感じた、という話でした。あれもかなりショックな出来事でしたねぇ。自分にとってパチンコ稼業は唯一の特技であり誇りでもありましたから、それを失った喪失感は計り知れないものがありました。そう、自分はパチンコⅢ期(2003年11月〜2004年2月)において、パチンコを数学的に突き詰めて考えていった結果、独力で期待値を算出できる所まで辿り着いていました。自分はそんな自分のパチンコスキルにプライドを持っていましたから、それが使えなくなる事はかなりの精神的ダメージとなったのです。




また、自分は今回のパチンコⅣ期において貯金200万をとりあえずの目標にしていたのですが、結局目標には届かず、貯金120万で終わってしまう事も悲しかった記憶です。自分はこの半年間パチンコで月平均30万稼ぎ、貯金を月平均20万してきましたから、20×6=120という訳です。ちなみに30万のうち20万は貯金し、4万はカウンセリングに使い、6万は生活費使っていました。



そう、思い返してみますと、自分が去年の9月(2005年9月)にこのパチンコ生活を始めたきっかけは、「カウンセング代と生活費を稼ぎたい!!」という強い思いからでした。しかし、あれから9ヵ月経ち、その思いは全く消滅してしまいました。パチンコで稼げないとなると、今後カウンセング代と生活費はどうすれば良いのでしょう。




と、お金の話をする前に、久しぶりにカウンセリング関連の話を書いてみたいと思います。自分が東○荘事件の初日にカウンセリングに行ったという話は書かせて貰いましたが、それ以降カウンセリングに関する記事を書いていないと思います。そう、東○荘事件が起きたのが2006年3月ですから、それ以後のカウンセリングの話になります。自分は東○荘事件以降もカウンセリングに通ってはいました。カウンセリングが始まると自分はまずはH先生に家族や引っ越しに対する「殺しても殺し足りない」程の憎悪を吐露していました。また、首吊りの準備をした上で妹とコンタクトを取った話なんかもしていたと思います。そして、近況を聞いて貰った後は記憶のサルベージで言語化した過去の記憶を聞いて貰う、という流れでした。しかし、この頃になると自分の中のカウンセリングに対するモチベーションはかなり落ちてしまっていた印象です。自分の心身は今回の引っ越しと東○荘事件によって致命的な精神的ダメージを受けていましたから、もはやカウンセリングで喋る気力を失いつつあるような状態でした。そう、思い返してみますと、自分は2005年11月に初めて引っ越しの話を父親から聞いたのですが、その時点でまずパチンコ稼業へのモチベーションが半減していましたし、同時にカウンセリングで自分の事を喋る喜びも半減していたように思います。自分は引っ越しの話で感じている重苦し過ぎるストレスをカウンセリングで喋ってはいましたが、その重苦しさが晴れる事は全く無かったように記憶しています。考えてみますと、あの時のストレスは単に引っ越しだけのストレスではなく、自分のそれまでの30年間の鬱人生の蓄積全てが原因となっていましたから、果てしなく根深いものでした。その根深さは1週間に1時間のカウンセリングでは到底解消されるようなものでは無かったな、という感じです。



その消化不良感はその後の東○荘事件直後のカウンセリングに関しても同様です。自分はあの事件によって致命的な精神的ダメージを受けたのですが、そのダメージは到底1時間で語り尽くせるものではありませんでした。それはこのブログの過去記事を見て頂ければ分かると思います。ですから、自分はこの東○荘事件直後のカウンセリングに関してもかなりの消化不良感を感じていたんですね。そう、ですから東○荘事件以降、自分はカウンセリングで喋る事に無力感を感じていった印象です。「どうせ喋ったって、ストレスは何も減って行かないし、現実はどんどん酷くなっていく一方だしな、、」的な。当時の自分はカウンセリングに対しても絶望してしまった印象です。



思い返してみますと、自分は2005年9月に引きこもりを終え、カウンセリング&パチンコ生活に突入しました。カウンセリングを再開したきっかけは「記憶のサルベージで言語化した膨大な量の過去の記憶を先生に聞いて貰いたい」という思いでした。しかし、その後引っ越しの話が出て来まして、さらに2006年3月の東○荘事件が起こりました。自分の精神はどんどん追い込まれていき、最終的には首吊りを準備する所まで切迫していきましたから、そうなりますと「過去の記憶を聞いて貰いたい」という当初の思いも薄れてきていたような印象です。もはやそれどころでは無くなってしまった、という感じですね。




そして、引っ越しが終わってから1ヶ月後(2006年8月)、自分は新しい最寄駅でパチンコ店のリサーチを試みたのですが、自分が再びパチンコ稼業を再開出来るような状態で無い事に気付きました。と、同時にこの頃にはカウンセリングへのモチベーションも完全に消えかかっていたように思います。そう、引っ越しが一段落した後、自分はカウンセリングに対するモチベーションも探ってみましたが、やはりこちらも一切回復しなかった印象です。つまり、自分はパチンコへのモチベーションとカウンセリングへのモチベーションを同時に失った事になります。これは裏を返せば、カウンセリングに通うモチベーションが消失したから、パチンコで稼ぐモチベーションも消えてしまった、とも言えそうです。だってカウンセリングにもはや行かないなら、カウンセリング代をパチンコで稼ぐ必要も無いのですから。





今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m





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