鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーション、発達障害について

30年間鬱と闘病した46歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。引きこもり歴15年、就職経験無し、発達障害歴&彼女いない歴45年。skipper1242でツイッターもやってます。

自分の喘息=心因性説②(過去編・2005年7月・29歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 自分の喘息=心因性説(過去編・2005年7月・29歳) 」の続きを書かせて頂きます。



前回の記事は、自分が記憶のサルベージをしていて見つけた発見についての話でした。当時の自分は29歳です。当時の自分は部屋に引きこもって、過去の記憶をひたすらノートに書いていく行為を行なっていました。その行為の事を「記憶のサルベージ(言語化)」と呼んでいます。そして、その中で自分は自分に関する様々な発見をしていきました。自分は1つ発見するたびに驚き、目から鱗な感動を覚えました。その発見は19個あるのですが、今回取り上げるのは前回に引き続き、サルベージ終盤の以下の発見になります。



②自分の最も古い記憶を言語化した所、それは3歳頃の記憶だった。その記憶の中で自分はわがままを言って母親に怒られてしまっていた。そして、当時の自分は血相変えて怒る母親を見て「あぁ、もうこの母親に自分の感情や欲求を伝えるのは一切辞めよう。」と決意。これによって自分は家庭内での感情表現を諦めてしまった。



この発見をまとめますと、幼い自分が母親に怒られた事をきっかけに感情表現を諦めてしまった、という話になります。(事件の詳細はこちら)そして、29歳の自分はノートに自分の過去を書いていく中で、この事件を言語化したのですが、さらに「この事件」と「喘息発症」との間に因果関係を感じ始めたのです。つまりはこういう事です。「3歳の時に感情表現を辞めた事で幼い自分の中にストレスが生まれ、それが喘息発症の原因になったのではないか??」、と。つまり、「自分の喘息は心因性の喘息だったのではないか??」、と。



何故に29歳の自分がそう考えたのかと言いますと、以前の記憶のサルベージにおいて、「自分の喘息=心因性」と思える事象が起こっていたからです。それが前回の記事でお話した話です。簡単にまとめますと、高校時代になると自分の喘息は激化していたのですが、その発症には法則性があったのです。その法則性とは「必ず日曜の夜」に起こっていた、という事。自分は日曜の夜になると必ず激しい喘息を発症し、喘息の苦しさで一睡も出来ずに、高校に通っていたのです。そして、この「日曜の夜」というのがポイントです。高校生の自分にとって最も精神的ストレスかかる夜が日曜の夜だったのです。


何故なら、高校生の自分は月曜から始まる高校生活が本当に苦しくてたまりませんでした。ここら辺の話は度々していますので割愛しますが、当時の自分は高校生活において「寄せ書き事件」や「自己紹介事件」と言った「舌禍」をたびたび起こし、その精神的ダメージによって病的な被害妄想と鬱の諸症状を発症していました。その病的な被害妄想は、自分が「社会的な死を迎える」くらいの凄まじい恐怖感を作り出していました。そのストレスは凄まじいものでしたから、そのストレスが「日曜夜ごと」に喘息を発症させていた、と考えるのが自然のように思えました。つまり、高校時代の自分の喘息は「心因性」の可能性が高かった、という事です。



このように高校時代の自分は、「心因性」で喘息を発生していた可能性が高いように思えました。という事は、そもそもの3歳頃の喘息発症のきっかけも「心因性」だったのでは??と考えたのです。そう、ちょうどその頃に自分は母親に怒られ、感情表現を諦めてしまっていました。そうやって感情表現を諦めた事で発生したストレスが喘息を発症させたのではないか??、と。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!



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