皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 女性と街を一緒に歩く事に対して、絶望的に自信がない③(2013年〜2015年・37歳〜39歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、38歳頃の自分が元バイト仲間のTさんと吉本の劇場に行った、という話でした。では、まずは前回の記事をそのまま引用したいと思います。
『前回記事からの引用』
このように38歳の自分は絶望的な状態でTさんとの待ち合わせに向かったのでした。電車の中で自分の精神はかなりの不安感と緊張感に襲われました。と同時に、体調はぶっ壊れまくっており、「背中の慢性的な激痛」と「鼻水」と「睡眠不足」が辛くて仕方ありません。これはどう考えても女の子と会うような体調ではありません。しかし、この時の自分には約束をドタキャンをする気力さえありません。自分はドナドナの子牛のように待ち合わせ場所に運ばれて行きました。
新宿駅に着くと待ち合わせ場所にTさんが待っていました。自分達は吉本の劇場に向かいました。しかし、もはや頭の中は疲労感と鼻水と眠気に支配されており、思考能力は何一つ働きません。それはまるで高校時代にタイムスリップしてしまったかのようでした。
自分達は劇場に着くと、座席に座り、開演を待ちました。開演まで10分くらいありましたが、その間もTさんとの会話は途切れがちで気まずい沈黙が流れていた記憶です。自分はなんとか会話をしようとしますが、焦れば焦るほど話題が見つかりません。また、必死に頑張って話題を見つけても、一言二言で会話が終わってしまいます。この時の自分は「早く公演始まってくれ!!」と願っていた記憶です。
10分後ようやく公演が始まり、目の前では漫才が始まりました。確か南海キャンディーズが出ていました。しかし、自分の心の中はもはや漫才どころではありませんでした。自分の頭の中は疲労感と鼻水と眠気による肉体的苦痛で朦朧としていましたし、さらにTさんとの会話がままならない事に対する絶望感まで発生しています。
もし、この時の自分が通常の自分なら大好きな漫才が目の前で見られて、テンションが上がりいくらでも喋る事が出て来たと思います。しかし、この時の自分は鬱的な身体的苦痛で意識が朦朧としており、まるで別人のように何も言葉が思い浮かばなくなっていました。ですから、その後の公演の休憩時間の間もTさんとの会話は一向にままならず、針のむしろ状態です。ホント高校時代の透明人間な自分にタイムスリップしたようでした。
『引用終わり』
このように自分は針のむしろ状態で吉本の公演を見続け、公演が終わりました。そういえば公演の後半は吉本新喜劇が上演され、座長がほんこんさんだったのを覚えています。公演が終わり、自分の頭の中は「これからどうしよう」という気持ちでいっぱいでした。
そう、一応事前の予定では、公演後はTさんと近くのファミレスでも行って、公演の感想でも喋ろうと思っていました。しかし、現在の自分の頭の中は鬱的な身体的苦痛とTさんとの会話が全く出来ていない事への絶望感で占められており、公演の感想など一文字も出てきません。かと言って、公演だけ見てTさんと別れるのも、なんかすごく不自然な気がして、その決断も出来ません。
すると、Tさんの方からこう切り出してくれたのでした。「じゃあ今日はここでお別れという事にしません?私はこの後お笑いの友達と会う予定なので」
どうやらTさんはここまでの自分を見て、自分がテンパリまくっている状態である事を察してくれていたようでした。そして、これ以上一緒にいるのは無理と考え、ここでの別れを言い出してくれたっぽいです。
自分はその言葉に救われた思いでした。自分は答えました。「そ、そ、そ、そうだね。ごめん、ちょっと今日は俺体調悪いみたいだから、これで帰るわ、、」
自分はTさんと別れると脱兎の如く、吉本の劇場から逃げ出しました。そして、絶望的な気持ちで電車に乗りました。帰りの車内では自分の頭の中は精神的ショックで真っ白になっていました。
そう、振り返ってみますと、自分はTさんと久しぶりに会うにあたって、このような気持ちでTさんに10年ぶりに声をかけたのでした。
「今の自分は、記憶のサルベージや家族とのコミュニケーションを経て、学生時代よりは全然喋れるようになっている。これならば女の子とも喋れるはずだ!!」
この思いの通り、確かに1回目2回目の居酒屋ではTさんと上手く喋る事が出来ました。ところが3回目の今回は一気に天国から地獄に叩きつけられました。今回の自分は20年前の学生時代に逆戻りしてしまったのです。だとしたら、この20年間は一体なんだったのでしょう。首吊り覚悟で自分のトラウマと戦い続けた「記憶のサルベージ」、「トラウマ歩き」とは、何だったのでしょう。
自分はこれ以上ない挫折感に打ちひしがれながら、家に帰って来ました。そして、思ったのでした。「もう女の子と交流したいなんて思うのは辞めよう。」、と。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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