鬱、引きこもり、家庭問題、コミュニケーションについて

15年間引きこもって鬱と闘病した44歳ニートが、何故社会に適応できなかったのか、どのようにして鬱から回復していったのか、過去を考察しています。skipper1242でツイッターもやってます。

カウンセリングに感じていた希望(過去編・1997年3月・21歳)

皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 過去の記憶がトラウマだらけで、思い出したくもない(過去編・1997年3月・21歳) 」の続きを書かせて頂きます。




前回の記事は、自分が大学3年生でカウンセリングを受け始めたものの、お喋りが病的に拙かった、という話でした。その理由は以下の3つになります。③を新たに付け加えてみます。



①自分は幼い頃から家庭内で日々の出来事や感情を全く喋ってきていなかった。それにより日々の出来事や感情は、全く整理整頓されず、「カオス状態」のまま記憶の海の底に沈んでいく事となった。「カオス状態」のまま沈んだ記憶は、他の「カオス状態」の記憶と混ざり合い、「超カオス状態」に変化。こうなると記憶がぐっちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに混ざり合い、後から思い出す事がかなり困難になってしまった。つまり自分の記憶の海の底では、21年間分の記憶がぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃに混ざり合っているので、過去の記憶を喋る事がかなり困難。



②自分は幼い頃から「自分に対する自信」を失い続ける一方の人生を送っていた。そして、「自分に対する自信」を失えば失う程、「被害妄想」が悪化。大学時代になるとそれは「空手部の先輩達が自分の事を無根拠に殺しにくるに違いない」という程酷くなった。こうなってしまうと自分は日々の生活を病的(
(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」しながら送る事となり、他人とのコミュニケーションが完全に不可能になっていった。故にカウンセリングにおいても「こんな事を言ったらカウンセラーの先生は自分の事を馬鹿にするのでは???」と病的(×3倍)に「ビクビク」「オドオド」してしまい、自分の事を喋る事が全く出来ない。



③自分の過去の記憶のほとんどがトラウマなので、全くもって思い出したく無い。特に大学空手部の記憶は「中指の拷問」を最低でも2回受けた程、致命的なトラウマ。(中指の拷問の詳細はこちら。記事の前半は読み飛ばして下さい。「そんな日々が3日程続いた後、、」という段落から始まります。)こんな記憶は思い出す事自体が拷問。




上記の3つの理由により、自分のお喋りは病的に拙く、お喋りはなかなか前に進んでいきません。しかし、当時の自分はカウンセリングを受ける事自体には希望を感じていました。まず、自分の人生において、大人が自分に対して真摯向き合ってくれる経験は、これが生まれて初めての経験でした。そして、その事に対して「心が暖かく」なるような感覚があったからです。そう、自分はカウンセリングの初回に大号泣してしまい、1時間半に渡って喋る事が全く出来ませんでした。その理由は、カウンセラーの先生に何か暖かいものを感じたからに他なりません。



そして、自分のお喋りは病的に拙かったのですが、①〜③の障害を乗り越えて、自分の近況や感情を話すと、何かこう気持ちが軽くなるような感覚もありました。当時の自分は酷い鬱状態にありましたが、そんな精神状態の中でも喋る事で気持ちが軽くなる感覚はあったのです。それはホントに僅かな感覚でしたが、当時のひたすらに重くて辛いだけの心理状態の中においては、それは明らかに異質で希望を感じさせる感覚でありました。




このように自分はカウンセリングにおいて病的にお喋りが拙かったものの、カウンセリングのトータルではポジティブなものを感じていました。ですから、週1回のカウンセリングを心待ちにしていた記憶もあります。自分はそこで①〜③の障害を乗り越えながら、自分の近況や感情を喋っていき、徐々に「安心して素直に」喋る訓練を積み重ねていきました。そう、自分は家庭内において全く出来なかった喋る訓練を、21歳にしてようやくカウンセリングでし始めたのでした。




今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!





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