皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 小学校3年生で離人感を発症していた事に気付き、驚愕(過去編・2004年9月・28歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が自分が記憶のサルベージ(言語化)を進めていき、小学校3年生の頃の記憶をノートに書いていった、という話でした。記憶のサルベージ(言語化)とは、自分が28歳の時に行っていた過去の記憶をノートを書く行為の事を指しています。この時の自分は全ての社会生活と家族関係から脱落し、部屋に引きこもっています。
さて、小学校3年生の頃の記憶を書いていく中で、自分は3つの大きな発見をする事となりました。その3つとは
①小学校3年生を境目にして、記憶の色が明らかに変わっている。小3「以前」の記憶には鮮やかな色が付いているのだが、小3「以降」の記憶は「灰色」一色。記憶から色が完全に剥げ落ちている。
②記憶の色の変化の原因は、当時の家庭環境の急激な悪化にあった事が判明。この頃に両親が新規事業を始め、新規事業と夫婦喧嘩に明け暮れていった。両親はそれ以前から自分に対して無関心だったが、この頃から完全放置。自分はこの状態に激しい不安感と危機感を感じていた。それは、「自分という存在が立っている地面がいつ崩落してもおかしくない」、そんな激しい不安感。それに伴いメンタルが急激に悪化し、持病の喘息も急激に悪化。学校を休みがちになり、半不登校児になっていた事も思い出す。
③小3の時に通っていたスイミングスクールで離人症を発症していた事が判明。小3で精神疾患を発症していた事を知り、自分の人生の先行きの暗さに愕然とする。
このように自分は小学校3年生付近の記憶を言語化していく事で、様々な発見をする事が出来ました。中でも自分が小3時点で離人感を発症していた事を知った時はびっくりしましたねぇ。子供時代の自分が、いわゆる「明るく無邪気な子供」では無かった事には薄々気付いていましたが、まさか精神疾患を発症していたとは。そりゃ、その後の人生もおかしくなるはずです。実際、高校時代になると鬱を発症し、その後も心身がぶっ壊れ続けていった訳ですからね。
自分は上記の発見をノートに自分の過去の記憶を書き連ねていく中で、発見していきました。そして、①〜③の発見の前に、すでに以下の6つの発見をしていました。
❶自分のこれまでの28年間の人生が大失敗に終わった。
❷高校時代に「鬱」を発症していた。当時の鬱の諸症状はこちら。
「高校時代の鬱の諸症状(2004年ver)」
・食欲消失
・日曜夜の激しい喘息
・背中の慢性的な疲労感
・慢性的な眠気
・高校生活中のめまい
❸「大学空手部の3年間」もまるで無駄であった。
❹大学空手部の3年間で鬱がさらに3倍悪化した。心身は「鬱の廃人」状態に陥っていた。
❺大学空手部引退後の自分は以下の思いを支えにして生きていた。
「自分はあの過酷過ぎる空手部の3年間を耐えたのだから、体力が付いているはず!!そして、体力が付いているなら、自分に自信が付き、社会のどこかに居場所が作れるはず!!」
しかし、実際には自分の心身は「鬱の廃人」状態に陥っており、「虚構の体力と自信」を捏造してすがっていただけだった。
❻自分の人生はただひたすらに人間関係で挫折を繰り返し、大学空手部も大失敗し、心身が壊れていくだけの人生だった。
この6つの発見をした後に、自分は小学校3年生の記憶を言語化し始めました。するとこれまで書いていますように①〜③の発見がありました。そして、①〜③の発見と❶〜❻の発見を比べてみますと、見事に繋がっているとも思いました。そう、自分は小3時点で離人感を発症する程メンタルを病んでいました。そんな自分がその後高校で鬱を発症するのはとても自然な流れのように思えました。
そう、①〜③の発見は、❻の発見をより確かなものにしていると思いました。まさに自分の人生は、「心身が壊れていくだけの人生だった。」のです。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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