皆さんこんにちは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表&鬱悪化のフローチャートも併せてどうぞ。では、前回の記事「 「ぎっくり腰事件」の頃から深夜アニメにハマり始める(過去編・2007年3月・31歳) 」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事も、自分が花粉症を発症し、その後ぎっくり腰を発症した、という話でした。これは自分が31歳の時の話しになります。時期は2007年3月です。そして、この事件と同時期に自分は深夜アニメにハマり始めたのでした。
今回の本題に入ります前に、この花粉症発症には「何故そうなったのか?」という「前フリ」部分があります。この前フリは「花粉症発症」「以前」の自分の心身の状態をまとめたものです。いつもこのブログをお読みの方はスルーして下さい。
『「花粉症発症→ぎっくり腰事件」の前フリ』
遡る事9ヶ月前、両親が「引っ越し」を強行したのですが、それが原因で自分の中の両親に対する憎悪は「殺しても殺し足りない」程の憎悪にまで激化しました。この事件によって激化した憎悪と絶望は9個に分かれています(①〜⑥+❶❷+1)。そして、これらの憎悪が原因で、自分の心身は引っ越し後「極度の虚脱状態と放心状態」に陥ったのでした。この「極度の虚脱状態と放心状態」は8個の諸症状(⑴〜⑻)に分かれています。興味のある方は 『「花粉症発症→ぎっくり腰事件」の前フリ 』をご覧下さい。
このように自分は引っ越しが原因で「極度の虚脱状態と放心状態」に陥りました。そして引っ越し後の自分は9ヶ月に渡って⑴〜⑻の症状にのたうち回り続けたのです。そして、翌年の3月、「花粉症発症→ぎっくり腰事件」が起きたのでした。
『前フリ終わり』
この「花粉症発症→ぎっくり腰事件」の経緯についてはフローチャートでまとめてあります。かなり長いフローチャートになります。いつもこのブログをお読みの方はスルーして下さい。
上記のフローチャートの流れで「花粉症発症→ぎっくり腰事件」が起き、そして終わっていった、という事になります。
ここからは前回の記事をそのまま引用したいと思います。「花粉症発症→ぎっくり腰事件」「以降」、自分がどのような生活を送っていたのか、という話になります。前回の記事をお読みの方はスルーして下さい。
『前回記事からの引用』
事件後の自分の生活ですが、表面上は特に変わりませんでした。相変わらず働かずに食って寝るを繰り返していました。しかし、この時の自分は上記9つの精神的苦痛(①〜⑥+❶❷+1)も1.5倍に悪化しています。さらに⑴〜⑻の諸症状も1.5倍に悪化。よって、日々を送る事がますます困難になっていきました。
中でも⑻の「首吊り装置への傾倒」はさらに悪化していた記憶です。日々を送る事がさらに困難になっていく事で、それだけが自分の心の救いになっていたのです。
また、この時期の自分は心の救いを求めて、心療内科の受診を検討したしていたような記憶もあります。抗うつ剤を飲んで楽になりたいと思ったのです。しかし、結局は1回も行きませんでした。薬で精神をコントロールするのは自分の性には合わないと思いました。どんなに精神が辛くても、それをノートに書いて言語化する事に意味を感じていたのです。カッコいい言い方をしますと「ジャーナリズム精神」みたいな感じです。
さて、そんな感じでぎっくり腰回復後の日々が過ぎていきました。先程も書きましたように、表面上は相変わらずの「働かずに食って寝て生活」でしたが、その中での変化はありました。それは深夜アニメを見始めた事です。以前の記事にも書きましたが、これくらいの時期から深夜アニメにハマり始めた記憶です。当時自分が見ていた深夜アニメを時系列で並べてみます。
2006年10月〜12月 あさっての向こう側
2007年1月〜3月(ぎっくり腰発症)まなびストレート、すもももももも、灼眼のシャナ、ゼロの使い魔
2007年4月〜6月 タートルズ、らき☆スタ、ゼロの使い魔、エルカザド、ぼくらの、流されて藍蘭島、ロミオ&ジュリエット、風のスティグマ
2007年7月〜9月 タートルズ、エルカザド、もえたん、ぼくらの、School Days、ドージンワーク、スカイガールズ、ロミオ&ジュリエット、絶望先生、ゼロの使い魔
う〜ん、懐かしい。かなりハマって見てましたねぇ。この時期は深夜アニメが面白くてたまらない時期でした。以前の記事にも書きましたが、当時の自分は「鬱アニメ」と呼ばれるアニメが本当に大好きでした。上記のアニメで言いますと、「School Days」や「ぼくらの」です。これらのアニメの中では、登場キャラクターが心を病んでいく描写があり、当時の自分はそのような描写に自分自身を重ねていました。重ねきっていましたね。そして、そんな鬱アニメに心を救われている部分もありました。
以前の記事にもそこら辺の気持ちを書いてます→ 「鬱アニメが狂おしい程に好き過ぎる(2007年4月・31歳)」
上記のアニメに関する詳しい感想は、去年の6月の記事に書いています。興味のある方は読んでやって下さい。
『引用終わり』
なるほど〜。このように「ぎっくり腰事件」以降、自分は深夜アニメにハマっていきました。懐かしいですねぇ。そして、半年が過ぎ、2007年10月。この月に自分の生活はとても大きな変化を迎える事となりました。まず、 この大きな変化は当時の自分にとって、筆舌に尽くし難い程の精神的苦痛となりました。もちろん、これによって上記⑻の「首吊り装置」への傾倒がますます激しくなってた事は言うまでもありません。
しかし、超俯瞰的な視点で見ますと、この変化こそが「鬱回復」の第一歩だったと思います。この変化から始まった大きな流れによって、自分の鬱はホントに少しずつ回復していったのです。
では2007年10月に自分に一体何が起こったのか、という話ですが、それは「母親とのコミュニケーションの開始」です。そう、この月から自分は母親とコミュニケーションを取り始めました。当時の自分は母親とのコミュニケーションが4年間断絶していたのですが、それが復活する事となったのです。
しかし、本来なら自分が母親とコミュニケーションを取る事など天地がひっくり返ってもあり得ませんでした。何故なら当時の自分は母に対して「殺しても殺し足りない」「以上」の憎悪を感じていたのですから。
しかし、この月に起きたとある環境の変化によって、自分は母親とコミュニケーションを取らざるを得ない状況に追い込まれていきました。その環境の変化とは、「近所の家が犬を飼い始めた」です。次回の記事では、この環境の変化について書いていきたいと思います。
今回の記事はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!
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