皆さんこんばんはスキッパーです!見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「〜高1で鬱を発症するきっかけとなったとある暴言①〜高1で鬱病を発症するまでの具体的エピソード11」の続きを書かせて頂きます。
前回の記事は、自分が鬱を発症するきっかけとなった高校1年生の時の暴言事件について書くにあたっての前フリって感じでしたね〜。あの事件について書くのはなかなか勇気がいる作業なのですが、頑張ります。さて、高校に入った自分は再び吹奏楽部に入る事になりました。中学時代の吹奏楽部では後輩とのコミュニケーションが全く上手く取れず、同級生達とのコミュニケーションも上手く行ってた訳ではないのですが、それでも高校では吹奏楽部に入りました。その理由としてはまぁやはり楽器を吹く事自体は好きだったという事が大きかったと思います。言葉によるコミュニケーションでは自分という存在をアピールする事が全くできなくても、楽器を吹いていれば自分という存在はアピールできますからね。なんというか楽譜を読んで、その旋律を吹くのは自分という存在をアピールできているようで気持ち良かった記憶です。特に楽曲によっては自分の吹いていたホルンが主旋律を担う事があり、そういう時は張り切って吹いていました。
ちょっと話は脱線しますが、今「楽譜が読める」と書きましたが、正確には読めたのは「音階」だけで、「リズム」を読み取る事は中学、高校6年間を通じてできませんでした。それじゃどうやってメロディを吹いていたのかと言うと、楽曲のお手本のテープや先輩が吹いているのを聞いてリズムを覚え、真似していたんですよ。ですから学年が上がり、先輩やお手本がいない状況になると自分はそのメロディをどう吹いていいのかさっぱり分からなくなりました。そうなると必然的に後輩達に「こうやってこの楽譜は吹くんだよ」と自信を持って教える事ができず、冷や汗かいた記憶があります。冷や汗かくくらいなら単純に自分が勉強して、楽譜のリズムを読めるようになれば良いだけの話ですが、当時の自分は自分自身の能力や状況を全く自己認識できていませんでしたからね。ですから「リズムが読めないんだったら、譜面が読めるようになるよう勉強しよう!」と決意する事もなく、ただただボーッと部活生活を送ってしまい、気付いたら後輩ができていて、冷や汗をかいていた、と。同じように中学、高校6年間を通じて「チューニング」もできませんでしたねぇ。チューニングについて説明させて貰いますと、例えば同じ「ファ」を出していても、個々人が吹く楽器ごとに高い「ファ」だったり、低い「ファ」だったりするので、それを同じ高さの「ファ」に統一する必要があるんですね。このチューニングが上手く行ってないとどんなにまとまった演奏をしてもちぐはぐで統一感のないものになってしまうので、超重要作業でした。んで自分は最後までこのチューニング作業が上手くできなかったんですよ。できる人は基準の音を聞いてささっとその高さに調整するのですが、自分はいつまで経ってもそれが上手く出来ず、後輩達のチューニングを手伝ってあげるような場面でも自信がない中冷や汗かきながらなんとなくあやふやに調整を指示していた記憶です。
なんなんでしょうね〜、譜面のリズム読みといい、チューニングといい、自分が出来ない事に対して勉強や研究をして上手く出来るようになってやろうという「向上心」が全くない感じ。当時の自分は「言葉によって現実を把握する」という事が全く出来ていませんでしたから、自分が置かれている状況や自分自身について考える事が全く出来ておらず、自分が出来ない事に対して「あれ?自分はこれが出来ないんだ」と認識する事も出来なかったんですよ。ですから「あれ?自分ってこれが出来ないんだ。悔しいから頑張って出来るようになりたい!」みたいな事も全くありませんでした。結果精神年齢が成長していく事なく小3で止まってしまった、と。そして、そうやって現在自分が置かれている状況や自分自身について把握する事が全く出来ておらず、過去の経験から反省や教訓を学ぶ事も出来ませんでしたから、性懲りも無く色々な所で失言、暴言が繰り返されてしまった訳です。
今日はここで失礼します。最後までお読み頂きありがとうございました!m(_ _)m